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第52話「恋愛小説家桜庭先生はもう恋を知っている」
あれから四か月後。
桜庭みずきの新作小説が四年ぶりに書店へと並んだ。
今まではずっと“デビュー作がベストセラーのホープ”といううたい文句のポップだったが、今回は“イケメンとバズった有名小説家”という文字に変わっていた。
店頭の一番目立つ場所にタワーを作ってずらりと並ぶ桜庭みずきの本。そのコーナーの前で、瑞樹と愁は肩を並べて立っていた。瑞樹が腕を組み、うーん…。と悩ましい声で唸る。
「売れ筋はいいみたいだけど、顔が評価されてなのか、作品が評価されてなのかがわからん…。」
「でも、既に映像化の話は始まってるんですよね?」
「まぁな。」
「なら作品が評価されてるってことですよ。大丈夫です、ちゃんとこの本の中に桜庭みずきの魅力は詰まってます。」
愁が本を手に取り自信満々に言う。愁の言葉は魔法みたいだ。愁が大丈夫って言えば、本当に大丈夫な気がする。
「じゃあ、俺これ買ってくるんで。」
「ちょっ、待て待て!お前、この前も買ってただろ。てゆーか、ちゃんと愁には一番最初にサインとメッセージ付きで本渡してやっただろ。何個買うつもりだよ。」
「俺、知り合いに配り歩いてるんで。」
「いいよ、そういうのは。生活費なくなるぞ。」
「いいんです、これもファンとしての大切な活動の一環なので。」
誇らしげに胸を張っていきいきとした表情の愁を見ると、無理矢理辞めさせるのはなんだか悪いような気がする。瑞樹は呆れた溜息をついて、「あっそーかい。」と適当な返事を返した。
「あ、ちなみにちゃんと来週のサイン握手会行くんで。」
「はぁ!?なんで来るんだよ!?サインも握手もいつだってしてやるから来るなよ!」
「家にいるのは青山瑞樹じゃないですか。俺はちゃんと桜庭みずき先生としての瑞樹さんにサインと握手をしてもらいたいんですぅ!」
「理解できない…一緒だろ。はぁ、好きにしろ。ただし、会場では俺と愁は他人だからな。変なマウントとか匂わせは絶対やめろよ。最近メディアの露出も増えてるせいでガチ恋みたいな人が増えてるんだよ。」
「わかってますって。前にも言ったけど、俺は独り占めしたいタイプなんで。マウント取るためって理由で他のファンに瑞樹さんのあんなことやこんなことなんて、ぜぇーったいに一ミリも教えません。」
「はいはい。そうでしたそうでした。早くレジ行ってこい。」
シッシッと手で追い払う仕草をすると、愁は大切そうに両手で本を持ってレジへと向かった。
タワーになっている一番の上の本を手に取り、ぱらぱらとページをめくる。この中に桜庭みずきの魅力が詰まっていると愁は言った。でも、瑞樹にとってこの本は、愁と過ごした日々も詰まってあるのだ。
ページごとに、愁との切磋琢磨した日々が詰まっている。時に仲良く笑い合ったり、時に言い争ったり、時に甘くとろけるような時間を過ごしたり…。この本は愁と出会ってからの一年が詰まった大切な本なのだ。
ぱたんっと本を閉じ、元あった場所に戻す。
「あのぉ…。」
突然、女子高生に声をかけられた。通行の邪魔だったかと思い「すみません。」と謝ってどけようとすると、女子高生は慌てて「違うんです!」と言った。
「あの、その、桜庭みずき先生、ですよね?」
「えっ…あぁ、そうですけど…。」
「わぁっ!やっぱり、そうですよねっ!どうしようっ、本物イケメンすぎる…。あの、私、瑞樹先生のファンで、よかったら握手してもらえませんかっ!」
瑞樹は一瞬戸惑った。こんなこと初めてだったのだ。まるで芸能人みたいな扱いをされて、どう対応すべきかわからずおろおろとしたが、とりあえずスッと手を差し出した。
「いいですよ。」
なるべく良い印象に思われるよう、くいっと口角をあげてにっこりと笑って見せる。女子高生は、ぱあっと嬉しそうに笑うと瑞樹より一回り小さい手で、ぎゅっと瑞樹の手を握った。
「ありがとうございますっ!新作の『俺のとなりは君がいい』最高でした!えっと、来週の握手会も行きます!これからも応援してるので、頑張ってくださいっ!」
「うん、ありがとう。」
にっこりと笑った表情を崩さないまま、嬉しそうに走り去っていく女子高生を見送る。芸能人は街を歩けばこういうのが一日に数えきれないほどあるのかと思うと、そりゃ変装するよな…。と思った。
「俺も瑞樹先生のファンなんです。握手してくださいっ!」
ひょこっと視界の端からにっこり笑顔の愁が現れた。瑞樹は鬱陶しそうな顔を作る。
「すみません。そういうの受け付けてないんで。」
「えぇーっ。さっきの女の子のファンには握手してたのにぃー。」
頬を膨らまし不満そうな愁を無視して、瑞樹は本屋を出た。ぱたぱたと小走りで瑞樹の後を追う愁。
「さっきの子、本当に桜庭みずき先生の良さ分かってるんですかねー。顔だけだったりして。」
少し嫌味の込めた言い方をすれば、瑞樹が顔を引きつらせた。
「さっき作品が評価されてるって言ったのお前だろ。やっぱ作品面白くないのかなって不安になるからやめろよ。」
「そうですけどぉー…。」
さりげなく、さっきの女子高生と握手をした手に指を絡ませる。
「おい、勝手に手を繋ごうとするな。」
「握手してくださいよぉ、瑞樹先生ー。」
「うるさい、鬱陶しい、離れろ、あっち行け。」
近づこうとしてくる愁の顔をわしっと掴み、無理矢理押し返す。
「んぅー…なんだよ、瑞樹さんってば冷たい…。どーせ俺のことなんかどうでもいいんでしょぉー。」
ぷいっとそっぽを向いて、子供のように拗ねる愁。面倒くさいなぁ、と思いながら、はぁっと溜息をつくが、きっとそれはお互い様。
瑞樹がちょっとしたことで不安がって、ネガティブモードが発動している時はきっと面倒だと思いながらも愁はいつだって優しく不安を取り除いてくれる。だから瑞樹も同じように、愁の面倒くさい部分も受け止めてそれもひっくるめて愛してやりたいのだ。
「愁。」
愁の服の裾をきゅっと摘まんで引っ張ると、膨れっ面の愁がこちらを向く。
「愁がずっと、桜庭みずきを好きでいてくれたから書けたんだ。もし、他のファンがいなくなっても、愁だけが桜庭みずきをずっと好きでいてくれるなら、俺はそれだけで充分嬉しいよ。」
愁の瞳がきらきらと喜びの光に満ち溢れていく。瑞樹からの思わぬ嬉しい言葉を聞いて、思わず、ばっと両手を広げて抱き着きそうになったが、それはなんとかぐっと我慢をして、広げた両手をゆっくり下へと下ろした。
「瑞樹さん…。俺、ずっとずっと瑞樹さんの事――」
「愁、大好きだ。」
先を越されないよう、愁の言葉を遮って瑞樹が言った。
恥ずかしくてずっと言えなかったけど、いつかは自分から先に好きだと伝えようと思っていた。やっと今日、自分から先に伝えることができた。
「…うん。俺も、大好きです。」
じんわりと目に涙を浮かべて愁が微笑んだ。人気の少ない道を選んで、二人肩を並べて歩く。
ぴったりと密着している腕。どちらからともなく、指を絡めてぎゅっと固く手を繋ぐ。
作家とファンとして、恋人として、歩幅を合わせて歩く。
その数年後、“作家と担当編集”という肩書が加わっても、変わることなく二人は肩を並べ、手を取り合って、お互いがお互いの歩幅に合わせて歩くのだ。
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