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第1話

 喉は焼ける様に痛く、頭は鉛の様に重い。  病原菌性上気道感染症、所謂〝風邪〟に罹患した中也は自宅の寝室にて一人、安静を期して寝台へ身を沈めて居た。  発汗が寝巻きを濡らし肌へ纏わり付いて気持ちが悪い。常備薬を置いて在る訳でも無く、病院へ行こうにも寝台から起き上がれる気力すら無い。体温を計れば多少高めではあったが、中也にとって此の程度の高熱等は丸一日大人しく為て居れば直ぐに寛解する程度の物であった。――大人しく為て居れば。  直ぐにそうにも考えて居られない状況が訪れる事を中也は長年の経験から推察して居た。 「やァ! 風邪を引いたって?」  高熱で脳細胞が破壊されそうになり乍ら中也の予想には寸分の狂いも無く、何処で嗅ぎ付けたのか施錠されて居る筈の中也宅に現れたのは元相棒で有り長年の悪友でも有る太宰治だった。昨今殊中也に対しては騒々しい人物では在ったが、此の日の騒々しさは普段の十割増しにも受け取れた。 「莫迦は風邪引かないと訊くけれど、珍しい事も有る物だねぇ」  したり顔を浮かべる太宰の顔が普段の百倍以上憎く感じる。 「……ンで、来やが、った」  今日初めて絞り出した言葉は密着した喉の奥に阻害され間々為らなかった。施錠して居ても太宰に取っては髪留め一本さえ在れば容易に突破出来る問題で有る事は知って居たが、風邪を引いた等と云う事は少なくとも組織の首領か五大幹部しか知らない筈の事だった。  他の事は知らないが、自身が弱って居る時は特に上機嫌になる太宰だったが、病に伏せて居る時こそ其の笑顔が尚更妬ましく、復調したら覺えておけと中也は倍返しを頭の中で模索する。 「看病に来た☆」 「帰、れ……」  云った処で太宰が大人しく帰るとも思えなかったが、枕元へと歩み寄る太宰へ視線を送れば其の手には近場に在るコンビニの袋が握られて居た。其の持ち物に言及する気力すらも無く、唯ゼエゼエと気管の音を響かせる中也の枕元へと屈み込んだ太宰の手が中也の額に触れる。 「うわ、あっつい。風邪如きで死ぬの?」 「……ざ、けんなっ……」  此の期に及んで口から飛び出す言葉は相変わらずの憎まれ口で、逆に其れが太宰らしくも在ると感じた中也の表情が緩む。広い自宅に一人切りで居るよりはマシだとも考えられたが、太宰が来ると後に余計な仕事が増えるだけなので出来れば此の時期だけは控えて欲しかった。  ひやり、と中也の額に冷たい物が触れる。太宰の手も元々冷たい方では在るが、決して太宰の手では無く何か密着性の有る布の様な物がぴたりと額に貼り付いて居る様だった。痛む頭を押して瞼を薄ら持ち上げれば普段と変わらぬ笑みの儘太宰が顔を覗き込んでいた。其の片手に握られて居た物は透明なシートで、中也は漸く保冷シートを額に貼られたという事に気付いた。 「大人しい物だね。普段から斯うだったら佳いのに」  云い返す気力すら無く、中也は荒い呼吸を繰り返す。暫く中也の顔に浮く汗を手巾で拭って居た太宰だったが、保冷シートの御陰も有り中也の呼吸が大分落ち着いて来た事を確認すると枕元で屈み込んで居た状態から腰を浮かせて中也に背を向ける。  其の瞬間、無意識に手を伸ばし太宰の服の裾を摑んで了ったのは中也に取って誤算だった。唯心細くて、傍に居て欲しくて、気付けば太宰の服を摑んで居た。  太宰は一瞬驚き、目を丸くして中也を振り返る。其処には寝台に身を沈めた儘、熱に浮かされた頬は赤く、目に涙を浮かべた中也の姿が在った。海を閉じ込めた宝石の様な其の瞳が涙に揺れてきらきらと光を反射する。其れが迚も綺麗で、太宰は言葉を失った。 「――大人しく待って居給えよ。何か食べられる物を作ってあげるから」  言葉に詰まった事を極力中也に悟られない様に、平静を装い乍ら裾を摑む中也の手を取る。体温を奪われない様にそっと布団の中へと戻してから太宰は宣言通りコンビニの袋を手にしたまま台所へと向かう。  つい女々しい行動を為て了ったと自覚の有る中也だったが、其れよりも其の手を太宰に解かれて了った事の方が胸の苦しみは強かった。平時ならば之幸いと弄り倒して来たであろう太宰が此の瞬間に限っては一言も言及せずに立ち去った事も妙だった。額に貼られた保冷シートの御陰なのか幾許か頭の重みが退いて来た様な気もする。ぼうっと天井を唯見詰めた儘の中也は太宰が最後に告げた言葉を思い出し小さく呟く。 「…………殺す気か?」

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