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第1章 ファーストインプレッションの評価基準
第1章 ファーストインプレッションの評価基準
消火作業が終わって間もないとみえて、アスファルトが濡れていた。ガラスの破片が散乱し、枠だけ残った窓から、煤ぼけた店内の様子が見て取れた。雑居ビルのぐるりに黄色いテープが張り巡らされて、消防士と鑑識班があわただしく出入りする。
そのビルの一階部分はコーヒーチェーン店だった。火元はあの店、と取材に訪れたテレビクルーがカメラを回しはじめた。
刺激臭が通り全体に立ち込めて吐き気をもよおす。妹尾柾樹 は上着の袖口で鼻を覆った。トートバッグを肩にかけなおしたせつな、
「お互い現場検証を見物しにきた暇人だと思われて、インタビューされちまうかもな」
いきなり顔を覗き込まれてぎょっとした。妹尾が咄嗟に横にずれると、拳ひとつぶん背の高い男は、ところどころ黒焦げになったビルに顎をしゃくった。
「幸いボヤ程度で消し止められたそうだが、放火の疑いもあるらしい。真っ昼間から物騒な話だな」
「放火魔は、えてして現場に戻ってくるそうです。今も野次馬に混じって、にやにやしながら実況検分の模様を眺めているかもしれませんね」
「犯人の心理状態に詳しいんだな。専門家、でなきゃミステリマニアか真犯人なのか?」
知ったかぶりをして、と皮肉られたように感じた。妹尾は涼やかな目許に苛立ちをにじませ
ると、眼鏡を押しあげた。上着の胸ポケットをまさぐり、煙草のパックに触れてため息をつく。依存症というほどの愛煙家ではないが、このコーヒーチェーン店は貴重な憩いの場だったのだ。
ちなみに、この界隈は路上喫煙禁止区域に指定されている。違反者を見つけしだい監視員がすっ飛んできて、罰金を徴収していく。
「ある意味、スモーカーは高額納税者なのに迫害されまくりだもんな。ニコチンの補給基地が減るのは、イタいな」
妹尾が儀礼的に相槌を打つと、
「喫煙OKの店をこの近所にもう一軒、キープしてある。一緒に行きますか」
男はビジネスバッグを小脇に抱えて歩きだした。
すらりとした後ろ姿を追って裏通りに入ると、赤とんぼが目の前を横切っていった。秋の使者だな、と妹尾は呟いた。林立するビルの窓ガラスに青空が映りこみ、その青さはここ半月あまりでずいぶん透明度を増した。
男曰く「喫煙者のパラダイス」だというそこは、茶房という名前の珈琲専門店だった。
煉瓦造りの壁は蔦に覆われ、磨りガラスがはめ込まれた扉を開けるとカウベルが鳴る。カウンターに沿ってストゥールが八脚並び、テーブル席は三卓と、こぢんまりとした店だ。しかし焙煎室が備わっていて、かぐわしい香りが妹尾を歓迎した。
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