69 / 69
あしたへ……(エピローグ)
あしたへ……(エピローグ)
恵方巻と書かれた幟 が、十日ほど前まであちらこちらではためいていた街が、オレンジ色に染まりはじめた。
妹尾は担当地区の書店をひと通り回り終えると、スマートフォンをタップした。すると新着のメッセージがあった。
〝五時から三十分コーヒーブレイク予定〟。
ゲップが出るくらい、べったべたに愛してやる。そう宣言したとおり、紺野はマメに連絡をよこす。もっとも文面じたいは、そっけないうえに常に上から目線だ。
(今どき亭主関白は流行らないのにな……)
男同士で亭主関白もへったくれもない、と苦笑がこぼれる。紺野は甘え上手で、それが時として横柄な態度に変じる。俺さま気質な面も憎めないと思うあたり、アバタもエクボを地でいっている──照れ隠しに眼鏡を押しあげた。
週末は必ずどちらかの部屋に泊まりにいく。頻繁に口ゲンカをするが、一日中ベッドですごすことも多い。つまるところ、クリスマスからこっち蜜月を満喫していた。
のちほど、と返信してトートバッグを肩にかけなおした。バッグの底に忍ばせてきたあるものを紺野に渡すのが楽しみだ。うれし涙の一滴でもこぼしてくれれば、某デパートの某特設会場で押し合いへし合いする女性たちに混じって吟味してきた甲斐があるというものだ。
通い慣れた道を足早にたどる。行き先は外回りの合間を縫って、そこで紺野というエネルギーを充電する茶房だ。
ただし今日は、途中で落ち合った小田と一緒だが。
「最近の妹尾は絶好調って感じだよな。恋人ができたんだな、秘密主義め、白状しろ」
「できた。ガタイも態度もデカくて嫉妬深いのが。これから紹介するよ」
「これから、って。こっ、心の準備が。で、可愛い系、美人系? カレシ募集中の友だちがいたりする?」
さあねと、そらとぼけた。小田をダシにするといっては語弊があるが、何かにつけて束縛したがる紺野をぎゃふんと言わせるには、荒療治が必要なのだ。
紺野は、いつものとおり奥まったテーブルでタブレットをいじっていた。妹尾が戸枠をくぐったとたん、ラブラブと店主が呟くほど目を輝かせ、ところが小田の姿を認めると口をへの字にひん曲げた。
「なんだ、彼女っぽいの来てないじゃん。っていうか、あの威嚇オーラ放ちまくりのイケメン、妹尾の知り合いだったよな? 迫力ありすぎてマジにビビるわ」
小田は妹尾に耳打ちをし、紺野はそんな小田に向かって右手の中指を突き立ててみせた。
ともあれ三人でテーブルを囲む場合は、同僚同士が並んで腰かけるのが自然だ。
しかし妹尾はさっさと紺野の隣に座を占めると、及び腰の小田に向かいの椅子を勧めた。そして金と銀のリボンがあしらわれた箱をトートバッグから取り出すと、それを紺野の頭にぽんと載せた。
「今日が何月何日でなんの日か、もちろんわかりますね」
「バレンタインに決まってるだろうが。それより慇懃なしゃべり方は、いつ改善される」
「その件については、おいおい。今日は心ばかりの品を紺野さんに」
あっさりといなされて、紺野はますます仏頂面になった。帰れ、邪魔だ、と言わんばかりに小田を睨 めつけながら包みを開けるなり、
「轟沈、再起不能だ……」
ひと声呻いてテーブルにつっぷした。
それも道理。妹尾がよりすぐってきたひと品は、ハートを象 った缶にハート形のチョコレートがぎっしり詰まっている、というぐあいに、どぎついまでに本命仕様だ。それは、ライオンにマタタビを与えたときのそれを上回る威力を発揮する。
「バレンタインを狙うとは、クリスマスイブのサプライズ返しか? 今すぐキスできない場所でデレるとかって、ありえないだろうが。なんつぅドSだ……」
などと、ひとしきりぼやくと、チョコレートを数粒まとめて口に放り込んだ。
と、小田が後ればせながら素っ頓狂な声を張りあげた。
「態度がデカくて嫉妬深い恋人って……!」
「小田は以前、おれがムサいおじさんとくっついても応援するって言ってくれたね。だから思い切って引き合わせたんだ」
小田は間の抜けた相槌を打つと、背もたれに沿ってずるずると沈んでいった。
「公認の仲になれば、やきもち癖も少しはマシになると思うんだ。無理やり協力してもらう形になって、ごめん」
妹尾は、目を白黒させっぱなしの小田に頭を下げ、
「要するに売約ずみのこの人にちょっかいを出したら血の雨が降るぞ……って話だ」
肩に腕を回してきた紺野を肘でこづいた。それから、新しいパックの封を切った。紺野に倣って封緘紙 の部分にライターの底を軽く打ちつけ、いっとう高く突き出た煙草を抜き取ると、逆さまにしてパックに戻す。
願い事は、ただひとつ。
──十年、二十年先も紺野さんに恋し、恋される仲でいられますように……。
馥郁としたコーヒーの香りに包まれて、妹尾は紺野ににっこりと笑いかけた。
──了──
ともだちにシェアしよう!