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修行8:甘えてよ、師匠。
師匠が居なくなった。
たくさんのお金と、新しい剣。そして、一枚の置手紙だけを残して。師匠の字で書かれたその置手紙には、乱暴に一言だけ書き記されていた。
——–
シモン、お前がホンモノの勇者だ。
お前が魔王を倒せ。
——–
「どういう事だよ、コレ」
俺がもう少し強くなったら、一緒に旅に出てくれるんじゃなかったのかよ。この手紙じゃ、まるで俺一人で魔王を倒せって言ってるみたいじゃん。
そう、俺が師匠からの置手紙を読みながら茫然としていると、ヤコブが首を傾げながら俺に話しかけて来た。
「シモン。あのね、オレ……あさ、たぶん師匠に会ったような気がする」
「は?いつ?」
「……今朝かな?夢かと思ってたけど、夢じゃないかも。なんか、ししょうが、色々言ってた気がする」
「師匠は!?師匠は、その時何て言ってた!」
クソッ!何で俺じゃなくて、よりにもよってヤコブなんだよ!
一瞬、カッと頭に血が上りそうになるのを必死に抑えた。ヤコブはまだガキだ。泣かせるとむしろ面倒だ。
「……眠かったからあんまり覚えてないけど」
「なんでもいいからっ!覚えてる事を全部言え!」
ヤコブのぼんやりした口調に、俺の苛立ちは更に募る。
でも、仕方が無いだろう。だって、一度戻って来た筈の師匠が、手紙とこんな大金を残して姿を消したなんて、明らかにおかしい。
「えっと、えっと……パンを焼く時は」
「は?パン?」
「えっと、パンは、七回、素振りして、焼きなさい?」
「何言ってんだよ、ヤコブ」
「……だって、ししょうが。それ以外は、もう全部シモンに教えたって」
「っ!」
もう全部シモンに教えた。その言葉に、俺は背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
何か少しでも師匠について手がかりが欲しかった。それなのに、ヤコブときたらとんだポンコツだった。もう、全然意味が分からない事ばっかり言いやがって。
俺は、まだ全然、師匠の“全部”を教えて貰っていない。
「クソッ……師匠。なんで、俺の所に来てくれなかったんだよ」
そしたら、みすみす一人でどこかに行かせたりしなかったのに。
募る不安と、役立たずなヤコブに俺が教会の壁を殴りつけそうになった時だった。ヤコブが何かを思い出したように「あ!」と声を上げた。
「そうだ!」
「っ!何か思い出したのか!?」
そう、ヤコブに必死に詰め寄るとヤコブは、その大きな目を瞬かせながらハッキリと言った。
「ししょう、泣いてたよ」
「……は?」
「ししょうは泣いてないって言ってたけど、普通にボロボローって。いっぱい泣いてたよ」
まるで、珍しい虫でも見つけたように報告してくるヤコブに対し、もうそこからの俺の記憶は曖昧だ。
「……師匠が、泣いてた?」
何だよ、ソレ。
俺は、師匠が泣いた所なんて一度も見た事ねぇのに。じゃあ何か。師匠は一人で泣きながら此処に戻って来て、金と手紙と俺の新しい剣を置いて行ったって事か。
「……師匠、どこ行ったんだよ」
ただ、その直後だった。
聖王国から、師匠の手配書と一緒に酷い噂が出回るようになったのは。
師匠の手配書には、凄まじい額の懸賞金がかけられていた。生死は問わない、と。その手配書にはデカデカと書かれている。国王からの勅命による手配書が出されたのは数十年ぶりという事で、国中が大騒ぎのようだった。
「はは。なんだよ、コレ」
罪状はこうだ。
どうやら師匠は、自らを“勇者”だと偽り国から多額の金を騙し取って豪遊していたらしい。そのせいで、国が財政難に陥っている、と。しかも捕らえようとした本物の勇者との闘いでは、人質を取って逃げ出した一般人に怪我を負わせたとも書かれていた。
でも、そのお触れの中でもっとも酷かったのは『スラム街で暮らす年端もいかない子供達に性的虐待を行い、無理に従わせていた』という部分だろうか。そこには、目を覆う程残虐非道な行いの数々が、言葉を隠すことなく書き連ねられていた。
「……へぇ、そうだったんだ?師匠」
手配書に書かれた師匠の顔は、俺の知っている師匠の顔そのままだった。なんだか、手配書だけでも久々に顔が見れたのが嬉しくて、俺は街にある手配書を全部剥がして自分の手元に集めた。
でも、俺がどんなに手配書をかき集めても、街中、師匠のヒドイ噂で持ち切りだった。皆、俺の顔を見れば師匠の話しかしない。
「おい、コレ。お前らのトコの師匠じゃねぇか。やっぱヤベェヤツだったんだな。国の金を使い込むたぁ、とんだ悪党だぜ」
「ねぇ、シモン。これ貴方の師匠じゃない?貴方達が、あの人にこんな酷い事されてたなんて……可哀想。私が慰めてあげる」
「シモン、貴方も騙されてたんでしょう?最近ずっと国の兵士さんが来てるって聞いたけど、辛いなら私の家に来ない?」
「なぁ、シモン。アイツは今どこに居んだよ。一緒に城に突き出してやろうぜ。こんだけ懸賞金がかかってりゃ、一生遊んで暮らせるぜ?」
「黙れよ、殺すぞ」
何も知らないお前らが師匠を語ってんじゃねぇよ。
お前ら、知らないだろ。
師匠は俺達の為に毎朝毎朝、わざわざパンを焼くんだ。節約のために、固いパンしか買ってこれないから、少しでも美味しいようにって。
ボロボロの教会も、チビ達が怪我するといけないからって、ちょっとずつ修理して。夜に勝手に外に出れないようにって鍵まで手作りして。
自分の道具はずっと古いのばっかり使ってるのに、俺にはいつも新しい道具を買ってくれるんだぞ。
チビ達が体調を崩して吐いたり、漏らしたりしたモノも全部師匠が綺麗にしてくれた。眠れなくて夜に教会を抜け出したら迎えに来てくれた。体が痛くて眠れない時は、一緒に起きて体を撫でてくれてた。
何も知らないフリして、甘える振りして。
俺、師匠に色んな事シて貰った。
虐待って何だろうな。
俺達に師匠がしてくれた事が虐待だと言うのなら、親の居ない子供が盗みをしなきゃ生きていけないようなこの国は……そのトップは。一体何なんだよ。
それこそ“魔王”じゃないか。
師匠は偏っていた金をちゃんと無い所に回してくれていただけだ。
——シモン、お前がホンモノの勇者だよ。
いいや、違う。やっぱり師匠が本物の勇者だよ。
俺にとっては、救世主だった。
——
闘技場での公開処刑の際、罪人は体中に傷を負っている。それらしい者を見かけたら、必ず憲兵に報告するように。
——
「……ねぇ、師匠。傷が痛くて泣いてたの?それとも、」
俺に会えなくなるのが悲しくて泣いた?
俺は師匠の居なくなった教会の懺悔室で師匠の書いた一言だけの手紙を何度も何度も読み返す。
——–
シモン、お前がホンモノの勇者だ。
お前が魔王を倒せ。
——–
「分かった。師匠が言うなら……そうする」
魔王を倒したら迎えに行くから。それまで待ってて。
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