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躾の時間:プレアデス①

 プレアデスの担うホランという国は、これまで訪れた国々よりものどかな印象を受けた。レインの生きていた時代には聞かなかった名だ。 「ようこそいらっしゃいましたね」  爽やかな風に回る風車を背に、プレアデスは柔らかく微笑んだ。あの変態爺集団に属しているのが不思議なくらいに彼は清廉だ。 「この国にはリーダーがいません。国民の推薦で集められた数人の代表者が協力して政を担っています」 「へえ」 「僕の立場もその中の一人といったところで……他の皆さんほど権威もありませんから、学ぶようなことはないかもしれませんね」 「……別にこれまでだって勉学をしてきたわけじゃない。俺には必要ないものだしな」  レインがこれまで教えられてきたのは性技一択だ。どいつもこいつも好き勝手に犯してレインを玩具としか見ていない。  腹立たしい顔たちを思い出してため息をつくとプレアデスがそっと手を差し出した。 「良ければ、我が家にどうぞ」  握った手はあたたかかった。勘繰る必要もないくらいこの男からは下心を感じない。  ランスの担うオルドラント、双子の担うエルレドは文明の発達した国だった。エバンスの担うカイラは野蛮ではあったが繁栄している狩猟国家。対してプレアデスの担うホランは牧歌的で人口も少なく、自然に溢れた国だ。この穏やかさは彼のような聖人が担う故だろうか。  手を引かれながら街を眺め、レインは丘の上の一軒家にたどり着いた。ここがプレアデスの家らしい。他の賢者の住処のように豪奢でなく、普通の民家といった出で立ちだ。 「たいしたものもなくすみません」 「別に、いらない」 「ふふ……ここでは好きに過ごしていただいて構いません。どこかに出かける際は一言伝えて頂けると心配をせずにすみますが」 「ここには学校はあるのか」 「ええ。でも今の時期は休校中なんです。もうすぐ刈り入れで、子供も総出で畑仕事をするので誰も来ません」 「後進的な」 「そうですね……」  プレアデスはしょんぼりした様子で俯いた。 「子供の学ぶ機会を奪ってしまうのは忍びないことです。しかしこれでも、ようやく勉学の重要さが根付いてきたところなんですよ。学校の数もずいぶん増えました」 「……」 「ホランは複数の部落だった頃を含めても百年ちょっとの新しい小国です。だからこそ、賢者が全てを取り仕切るのではなく、みんなで考えて成長できる国にしていきたいと思っています」 「いい為政者になるだろうな、お前は」 「えっ、本当ですか? あなたにそう言って頂けると、天にも昇る気持ちですね」  照れてはにかむプレアデスには可愛げすら感じる。彼は何年生きている賢者なのだろう。落ち着いてはいるが他の賢者のようなひねくれた老成は感じない。  これまでの留学と違い、レインは平穏のままホランでの一日を過ごした。  心がすすがれていく、というのはこういうことを言うのだろうか。毎日犯されることもなく、奇異の目で見られることもなく、陰口を叩かれることも無い。国民もレインのことは頭の良い少年程度にしか捉えておらず、子供たちからノリが悪いと若干の不平を漏らされただけだ。 「ああ、ずいぶん上達したねレイン」  恰幅のいい婦人がレインの手元を覗き込んで笑った。  レインは驚くことに、国民に混じって野良仕事をしていた。男共に混じるには力が無さすぎるため、女達とともに籠を編んだり豆を選定したりと細々したものを手伝っている。化け物と恐れられたレインが丸くなったものだ。 「プレアデス様が連れてきたってんで不安だったけどちゃんと仕事ができるねえ」 「……皆はあいつをどう思ってるんだ」 「あの人ねえ」 「昔から見てっけどいつまでも頼りない男だよありゃ」  藁を叩く女性が言った。 「ずっと若くて顔の良い男でもね? 頼りがいじゃうちの孫にも負けちゃうわよ」 「良い人だけどねえ……娘はやれないね」  ケラケラと女達が笑う。確かにプレアデスには強い男という印象はまるでない。賢者の会議でも発言はほとんどなかったように思う。控えめで大人しい人畜無害な男だ。 「あの人は子供におちょくられてんのがお似合いさね」 「平和でいいじゃないか、ねえ!」  女達が力強く笑い飛ばした。     「今日もお手伝いいただきありがとうございました」 「別に、暇だからな」 「ふふ」  プレアデスはレインを見てよく嬉しそうに微笑む。なにを嬉しがっているのかは分からないが、馬鹿にしているわけでないのは伝わった。 「僕たち賢者と呼ばれる者たちは、老いを克服することはできました。しかし未だに、致命傷に至れば死は避けられません。人と同じく睡眠と食事も必要です」  食卓に置かれた一人分のスープを眺め、プレアデスは息をついた。 「あなたの体は時が止まっている。時という大いなる力を制御する方法を、賢者はずっと追い求めているんです」 「ご苦労なことだ」 「途方もないことかもしれませんね……でも、老いを克服できたばかりに、夢を諦めることができないのですよ」  プレアデスはやはり他の賢者とは違うのだろうとレインは思った。彼には野心がない。誰かの上に立とう、支配しようという欲が見えないのだ。不老不死も心から望んでいるわけではない。 「夢ね……」  レインはぼんやりと本を眺め、枕の横に投げ置いた。読書は楽しくない。何も起きない夜に一人部屋で転がるのもどうにも暇だ。プレアデスがまともなのは間違いないが、あまりにまともなので調子が狂う。思い返せば毎夜抱かれていたのだから時間を持て余すのも当たり前だ。  そっと部屋を抜け出し、プレアデスの寝室をドアの隙間から覗く。何やら机に向かっているようだ。燭台の明かりに照らされた横顔は真剣だった。 「……レイン様?」  不意に気づかれ、レインは動揺した。夜に自ら寝室を訪ねるなんて他の賢者にばれたらどんなにからかわれるか。 「どうかなさいましたか」 「いや……その」  別段プレアデスに用事があったわけではない。答えあぐねたレインに、プレアデスは微笑んでドアを開けた。 「僕でよければ話し相手になります。あなたには夜は長いでしょう」 「……お前は寝なきゃならないだろ」 「少しくらいの夜更かしは平気ですよ」  どうだろうか。プレアデスは見るからに貧弱そうだ。無理をして体に影響が出ないとも限らない。 「良い。寝ろよ」 「……」  プレアデスは思案した様子で、戻ろうとするレインの手を掴まえた。 「あの、良ければ一緒に寝てはもらえませんか」 「……え」  レインはかすかに失望した。この男でもそうしたことを言うのか。彼だけはレインにそうした欲がないものだと思っていたのだが。 「あ、不快でしたらもちろん、断っていただいて構いません」  慌てたように付け加える姿に、レインはまあいいか、という気持ちを抱いた。こいつ相手ならそこまで嫌でもない。他の賢者が最悪すぎて相対的に好感度が高い。 「構わない」 「! ……嬉しいです、ありがとうございます」  はにかんだプレアデスに促され、レインは彼の寝室に踏み入った。

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