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躾の時間:プレアデス②

 彼との同衾に誘われてから毎日、レインはプレアデスと一緒に寝ている。本当に寝ているだけだ。面白いほど何も起きない。『一緒に寝る』がここまで文字通りだとは思わなかった。 「……」  レインは安らかに眠るプレアデスを眺めた。広くはないベッドで、微塵も下心なく寝られるのはもう才能だろう。寝相も良いので抱きついて来ることもない。  レインは若干つまらなくて、プレアデスの頬をつついたりしていた。しかしそれも飽きたし、あまりやりすぎると起こしてしまうのも不安だ。  プレアデスは綺麗な容姿をしている。他の賢者も見てくれは良いが、彼は色が特に良い。賢者は皆白髪だが、彼は少し違って月の光のような髪色をしている。今は隠れている瞳も快晴の空のように透き通った青だ。  不吉だと疎まれ蔑まれた黒髪黒目のレインとは対照的な美しい色。今の時代はそこまで黒に偏見もないとはいえ、やはり少しは奇異の目を感じる。  呪われた子、なり損ない、穢れた血。石を投げられ助けもなく、孤独の中隠れ暮らしたあの日がずっと心を蝕んで消えない。力を手に入れ、どれだけ邪魔者を排除してもまだ。  レインはうら寂しい気持ちになり、プレアデスを見下ろした。そっとにじり寄って、そばに蹲る。人間の温もりだ。 「ん……」 「!」  プレアデスが身じろいで、丸まったレインを抱き寄せた。寝ぼけているのか、胸元に引き寄せてぽんぽんと背を叩く。 「大丈夫……ひとりじゃありませんよ……」  どこまでこの男は善良なのだろう。レインは幼い子供のような気分になって、そのままプレアデスに抱かれた。人生で一番安らかな時間だった。     「ここは二じゃなくて四」 「え~わかんねえよ」 「このくらいそらでできなきゃ街にも出られないぞ」 「なんだよえらそうに! 籠もきれいに編めないくせになまいきだぞ」 「このガキ……」  子供の相手は本当に疲れる。地面に枝で字を書きながら勉強を教えてやっているが、ここの子供たちは奔放すぎてどうにもならない。 「ねえレイン、ナナにごほんよんで」 「ん……」  逃げていったクソガキに代わって幼い少女が本を抱えてやってきた。最近やたらとレインに懐いている子だ。こうした物静かな子供なら面倒を見てやる気にもなるのだが。 「ここ座れ」 「うん」  本当に丸くなったものだ。目につく人間を皆殺しにしていたレインが子供を膝に乗せて本を読んでやるなど、誰が想像できただろう。  いつのまにか数人に増えていた子供たちにぎこちなく朗読を聞かせていると、荷馬車が丘の向こうからやってくるのが見えた。プレアデスが手を振っている。 「パパー!」  ギャラリーが解散していく。だがナナはレインにくっついたままで離れない。レインの何がそんなに気に入ったのだろう。 「ほら、お前のママも来たぞ」 「んー……レインがいい」  レインはしかたなくナナを背負って荷馬車のほうへ向かった。残念ながら幼子であっても抱き上げられるような筋力はレインにはない。 「やあレイン、うちの子がすまないね」 「微笑ましいですね」 「お似合いじゃねえか、ガハハ!」 「馬鹿言え……」  こちらは数百年前の最凶魔法使いだというのに。 「子供たちのお世話、助かりました」 「それくらいしか役に立たないからな」 「ふふ、そんなことはありませんよ」  レインは存外今の生活が気に入っていた。のどかであたたかい人々と土地だ。生まれた場所がこうであったならレインはひねくれずに育つことができたかもしれない。  それだけに、ホランでの生活があと少しで終わりを迎えるのが憂鬱だった。次がこれより良くなることはきっとありえないだろう。また犯される日々が来るのか、それとも苦痛の日々が来るのか。  その夜、空を眺めながらため息をついたレインに、プレアデスが気づいてそっと近づいた。 「お疲れですか」 「……」 「それともなにか悩みが?」  プレアデスはレインの隣に腰掛け、柔らかく微笑んだ。ベッドの上にいるのにこの安心感、他の賢者にはぞんぶんに見習ってほしい。 「僕で良ければ話してみてください。できるかぎり力になります」  彼の目は真剣だ。普段は控えめだがこういう時には揺らがない強さがある。あの面子と仲間としてやっていけるのはこうした部分があるからなのだろう。 「……戻りたくない」  こぼしながら子供のわがままのようだと思った。賢者のやり方は絶対に受け入れられないし許さないが、それはそれとして元は暴虐の限りを尽くしたレインの罪が原因なのは事実だ。 「は……ここの生活はぬるかったからな。また耐え忍ぶ日々になるかと思うと反吐が出るんだよ」 「レイン様……」 「まあ贅沢言う権利は俺にはないよな。いいよ、大人しく従うさ。忘れろ」  プレアデスにこんなことを言ってもどうしようもないのは分かっている。おそらく一番の決定権を持つのはランスだ。  話を終わらせようとしたレインは、不意打ちの抱擁に身を固くした。やはり下心は感じない、どちらかといえば子供にするような抱擁だ。 「ああ……やはりあなたには酷な仕打ちだ。あのように責め立てることは間違っていたのです」 「プレアデス?」  見つめ合ったプレアデスは苦しそうな表情を浮かべていた。 「あなたの右腕を預かったときから心苦しくてたまりませんでした。ずっと助けを求めるあなたの手を、僕はただ握ることしかできなかった」 「……」  ほとんど無意識の行動なので少し恥ずかしい。 「あなたに必要なのは苦痛と陵辱の罰ではありません。心を解きほぐし、暖めてくれる愛情なのです」  プレアデスが慈しむようにレインの頬を撫でた。ランスも似たようなことを言っていたが、言う人間でここまで印象が変わるものか。 「あなたが戻りたくないと思うほどこの国を気に入ってくれたのなら、僕の行いは、考えは、間違っていなかったのだと胸を張ることができますね」 「……良い国と、人だと思う」  プレアデスは嬉しそうに微笑み、レインの両手を取った。瞳には強い決意が宿っている。 「あなたのためなら、僕は全力を尽くしましょう。すぐに他の賢者に連絡をいたします。あなたの待遇を変えてもらえるように」 「でも、お前だけじゃ難しいんじゃないか」 「ランス殿は話の分かるお方です。初めの責め苦のときも僕の行動を理解してくれました」  それはどうだろう。あの男のことだ、なにか計略があったような気もする。 「あなたは最凶の魔法使いである前に、苦しみを背負った少年でもあるのです。それを見失ってはなりません」  レインは言われてようやく理解した。プレアデスははじめからずっと、レインを子供として扱う大人だったのだ。健全な大人なら子供相手に欲情するはずもない。レインはずっとプレアデスに見守られる子供だった。 「どうかあなたの手助けをさせてください。それが賢者として、僕として正しい行いだと思うのです」 「……うん」  レインは思わずプレアデスに抱きついた。こんなに信頼に値すると感じた人間は初めてだ。ひとりでいいからこんな人間がかつてのレインのそばにいてほしかった。  その夜、レインは幼子に返ったようにプレアデスの腕の中で過ごした。

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