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発作

 ふいに、心がざわついた。その身に覚えのある感覚に、誉の体が微かに震え出す。 ヤバい。  自分に何度も言い聞かせて、もうとっくに諦めているはずなのに。その諦めたモノを必死で求めようとするように、時々こうして誉を襲う発作。  苦しい。寂しい。だれか。だれか助けて。救い出して。  誉の意志とは裏腹に、心が叫び出す。  弾けるように、商店街から駆け出した。水たまりから逃げるように。  スピードを上げて、息を切らしながら、込み上げてくる強い感情を必死に抑えて走る。数分で自宅マンションのエントランスまで辿(たど)り着いた。震える手でオートロックを解除し、中へと入る。エレベーターに飛び乗ると、目的の階数ボタンを連打した。誉の焦る気持ちをあざ笑うかのように、エレベーターは気怠そうな(うな)り声を上げ、のっそりと動き出した。  早く着いてくれ。  乱れた呼吸で願う。自分の家に着けば。自分の気配に囲まれた部屋に入れば。この発作も収まるはずだ。  がくん、と軽い振動と共にエレベーターが停止した。すっと音もなく扉が開く。扉が開き終わらない内に無理やり外に出て、早足に自宅の玄関に向かった。  がちゃがちゃと乱れた音を立てながら鍵を取り出し、開錠する。勢いよく扉を開き、靴を脱ぎ捨て浴室へと直行した。  洗面所の蛇口を捻って冷水を出した。勢いよく水が流れ出す。その水で一心不乱に顔を洗った。何度も何度も。繰り返し、ひたすら顔を両手で擦った。  もう何年もこの発作に悩まされてきた。最初に起きたのは、上京して一人暮らしを始めてすぐだった。自分がおかしくなってしまったのかと思った。息が苦しくなって呼吸ができない。動悸(どうき)がして、不安だけが膨れていく。ただ怖くて、ひたすら収まってくれるのを待った。  病気なのかもしれない。そう思ったが、病院に通う金はなかった。だから起きる度に必死に耐えた。家にいる時は布団にくるまり、外にいる時は人の迷惑にならないところで座り込んだ。収まるまで時間はかかったが、それでなんとかやり過ごしていた。  そんなことを繰り返している内に、発作が起きるのは、母親のことを思い出した直後だと気づいた。優しい笑った顔ではなくて、かつて誉を激しく罵る時に見せた、悪魔のような醜い顔。しかもそれは決まって、波を連想させる水場を目にした時だった。  ある日、自宅の浴室で発作が起こった時。なんでもいいから気を紛らわせたくて、蛇口から水を勢いよく出し、その水で顔を洗った。すると、すっとすぐに発作が収まった。不思議な感覚だった。  その因果はよくわからなかったが、それからは発作が起きると、とにかく母親の気配が届かないところへ逃げて、母親の存在を消すような気持ちで顔を洗うようになった。 「水」がトリガーになるくせに、「水」で救われる。どうにも妙な現象だったが、これが発作から早く逃げられる唯一の方法だった。やっかいなのは、条件が(そろ)っても必ず発作が起こるとは限らないことだった。警戒が緩んだ頃にふとやってくる。水場を全て避けられるわけではないし、生活のためには、いつ起こるかはわからない発作にびくびくして家に籠もるわけにもいかない。だから、この方法でだましだまし過ごすしかなかった。  発作の原因はわかっていた。でも気づかないフリをした。原因を解決することは、不可能だったからだ。どれだけ求めても。それを諦めてしまった自分には、こんな汚い自分には、もう手に入らないモノだから。

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