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うるさい

千晃 side  目を閉じて、いつもの騒がしい空気の中に身を任せてみる。とっくに慣れたつもりでいたが、やはり微かな不快感が心に生まれた。  うるさい。  九条千晃は、朝の病院が嫌いだった。1日の始まり特有の、希望に満ちた活力のある雰囲気。忙しなく廊下を行き来するスタッフたちの姿。そこら中で挨拶代わりの世間話を大声でする年寄りの患者たち。みな、いささか過剰なほどに元気で明るい。ここは病院ではないのかと疑いたくなるほどに。  そういうものに囲まれていると、自分が全く異質で余分なモノの気がしてくる。絶対に交われない異物のような存在。特に、夜勤明けで寝不足の状態だと、そんな不調和音に苛々が止まらなくなる。  車で帰宅する前に眠気を吹き飛ばそうかと、わざわざ院内の騒がしいカフェへと足を運んでみたのだが。優雅にコーヒーなど飲める気分にはほど遠かった。  カップに残っていたコーヒーをさっさと飲み干して、席を立った。カフェを出て、そのまま職員専用駐車場に向かう。廊下を足早に進んだ。早くこの喧噪(けんそう)から離れたかった。仕事着を着ていないので、だれも千晃が医者だと気づかない。普段着に変わるだけで、それが隠れ(みの)になる。このまま、スタッフたちにも見つからずこの場を後にできればと思った矢先。 「九条先生」  後ろから声をかけられた。心の中で舌打ちをする。早く帰りたいのに。面倒な用事を押しつけられるのだけは勘弁して欲しい。しかし、そんな心の内を顔には出さずに振り返った。 「ああ……」 「お疲れ様です」  そこには、顔見知りの看護師が私服姿で立っていた。千晃の勤務する小児科の看護師ではなかったが、モデル並みにスタイルのいい美人だったので、院内で知らない人間はだれもいなかった。 「お疲れ様……もう上がり?」 「はい。当直だったので」 「そうか」  2人の間に沈黙が生まれる。千晃は会話が得意ではない。表情も乏しいとよく言われる。昔からそうだ。心を許した者以外には、どうしても壁を作った会話しかできない。そうは言っても、「心を許した者」なんてもう何年も、いや、それなりの大人になってからは一度だっていた試しはないのだが。 「……この後、お時間ありますか?」  美人看護師が意味ありげな声音で言った。軽く微笑んで。この女はいつも意味深な言い方しかしない。それが、男を誘う上での必要不可欠な要素とでも思っているかのように。千晃としては、そんな駆け引き的なものは面倒なだけで、率直に抱かれたいと言ってもらえれば楽なのだが。  とりあえず、仕事の依頼ではないことは良かった。ここ最近の疲れも()まっているし、ちょうどいいだろう。 「あるけど。一緒に乗ってく?」 「はい」  (うれ)しそうに女が笑った。その笑いがあまりにも(うそ)くさくて、千晃の中にこの女に対して軽蔑に似た気持ちが生まれる。が、自分も人のことは言えたものじゃないよな、と思い直す。

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