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嫌な予感がした

 その日は、比較的穏やかな1日だった。回診を済ませ、診察も滞りなく終わり、久しぶりに定時で帰路に着けそうだった。  携帯を確認すると、以前たまに会っていた男の1人から誘いのメールが来ていた。ゲイバーで知り合った男だ。千晃はそれを迷うことなく断った。最近は誘いがあっても全て断るようにしている。別に無理をして拒んでいるわけではない。自然と興味がなくなっただけだった。  性欲は変わらずある。だが、自分で処理すれば十分だと思うようになった。別に労力を使って人肌を求めなくてもいい。以前は、鬱憤を晴らすために人とのセックスに多少なりとも依存していたのに。  たぶん。鬱憤が()まっても、別の方法で解消されるようになったからではないかと思う。  そう、誉との出会いで。  触れられるわけでも、言葉を交わせるわけでもないのに。数分。時として数秒。ほんの少し彼の笑顔が見えるだけで。千晃を笑わせてくれるだけで。心のぐちゃぐちゃしたものが解消されていった。 「あれ」  予想通りに定時で勤務が終わり、帰宅準備をしようと控え室に入ると。外が薄暗く、小雨が降っているのが窓から見えた。昼間はよく晴れていたのだが。突然の天気の崩れに、なんとなく嫌な予感がした。音もなく降る雨の様子を眺めていると。  控え室にある内線電話が、静かな空気を切り裂いて耳障りな音を立てた。ここの電話が鳴る時はほぼ緊急だ。千晃は素早い動きで内線電話に応答する。 「はい、九条です」 『あっ、九条先生。良かった、まだいらしたんですねっ。緊急の応援お願いします。事故で幼児2名搬入です』 「わかりました」  今夜は久しぶりにジムにでも行って体を慣らそうかと思っていたが、どうやらそれはお預けになりそうだ。  千晃はすでに脱いでいた白衣を素早く着直すと、控え室を飛び出して救命棟へと走った。

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