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父親

「誉?」  名前を呼ばれて顔を上げると、怪訝(けげん)そうな顔で千晃がこちらを見ていた。最初は呼ばれることに違和感があった名前も、千晃が呼ぶ時は抵抗なく受け入れられるようになった。 「どうした?」 「ああ、ごめん。就職のこと考えてた」 「なあ……本当に力貸さなくて大丈夫か? 医療関係ならバイトも紹介できるけど」 「いいから、いいから。自分で探したいし」 「そうか……」  そこからは、ただのんびりと世間話をしながら休憩を続けた。千晃がトイレに行ってくると腰を上げてすぐ。テーブルに置いてあった千晃の携帯が震え始めた。画面には番号だけが提示されており、だれからなのかわからなかった。  どうしよう。  病院からの緊急連絡だったら。とりあえず出た方がいいだろうか。迷った末、携帯を取り上げて電話に出た。 「もしもし」 『……千晃か?』 「あ、すみません。違います。今、千晃……九条さん、トイレに行っていて……」 『君はだれかな』 「友人です」 『……どういった友達なんだ』 「え? どうって……ただのジム友達ですけど……」 『君は何をしてる人だ』  違和感のある会話だなと思った。最初から少し横柄だし。なぜ、そんなに誉の素性が気になるのだろう。 「何をしてるというのは……職業ですか?」 『そうだ』 「飲食店で働いてますけど……」  すると、一瞬だけ沈黙が生まれた後、はあっ、とわざとらしい溜息(ためいき)を吐いて、その電話の相手はぶつぶつと独り言のように話し出した。 『まったく……。目を離すと、すぐこれだ。変な連中と付き合って。メールに返事もせずに』 「…………」 「変な連中」とは、自分のことだろうか? 『千晃に伝えてくれ。遊び回るのもいい加減にして、連絡寄こせと』 「あの……失礼ですけど、あなたは……」 『父親だ』  そう吐き捨てるように答えると、相手は唐突に通話を切った。半ば呆然(ぼうぜん)として携帯を耳から外す。 「……だれから?」  背後から声がかかって、はっと後ろを振り返った。トイレから戻った千晃が眉を潜めてこちらを見ていた。 「……親父さん……」  答えると、千晃があからさまに不快そうな表情を浮かべた。誉は慌てて説明する。 「あの、ごめん。勝手に出て。病院からだったらと思って……」 「……あいつ、何だって?」 「え? あ……連絡欲しいって」 「……他には?」 「いや、他は何にも……」  職務質問みたいな会話をしたことは伝える必要がないかと思い、言わなかった。しかし、千晃は何かを感じ取ったらしい。じっと誉を見た後、歩を進めて隣の椅子へどさりと腰を下ろすと、静かに尋ねてきた。 「あいつ、失礼なこと言っただろ? 誉に」 「……失礼かはわからないけど……職業聞かれた」 「……それで?」 「飲食業って言ったら、凄ぇ大きい溜息(ためいき)吐いて、変な連中と付き合って云々(うんぬん)言ってた」 「……ごめん」 「いいよ、別に。飲食業って幅広いし、怪しいやつだと思われたのかもな。ほら、実際ホストクラブだし。もう辞めるけど」 「……そんなのは怪しくないし、聞く時点で失礼だろ。無神経なあいつがやりそうなことだ」 「…………」  鋭い目で空を(にら)む、千晃の横顔を見る。あの電話の感じと千晃の様子を見る限り、父親と折り合いが悪いことは明らかだった。

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