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ありがとう

 覚悟を決めて、ドアノブを(つか)んだ。素早くドアを開けると中へと飛び込んだ。金槌(かなづち)を握り締めて身構えたが、襲ってくる者はいなかった。この部屋も暗いだろうと予想していたのだが、部屋には明かりが灯っていた。それは天井の照明ではなく、部屋の真ん中に置かれたスタンドライトからだった。暖色系の光がスポットライトのように床に当てられているそこに。 「誉……」  誉がTシャツと下着姿でこちらに背を向けて横たわっていた。あまりの酷い光景に、思わず立ちすくむ。  誉の体には、目視できるだけでも数十カ所の切り傷があった。(ふと)(もも)や二の腕に大きな青(あざ)もある。Tシャツは古くなった血でところどころ染められており、とても清潔な物には見えなかった。鏡越しに見えた、誉に付けられていた首輪にはチェーンが(つな)がれており、近くの頑丈そうな棚に固定されていた。両手は手錠で固定されて、両足は(ひも)みたいな物で縛られていた。身動きが取れないまま床に転がされていたようだ。口には猿ぐつわがされており、声も出せない状態だった。  誉は千晃に背を向けたままこちらを向こうとしなかった。ぐったりと床に身を預けている。意識がないのかと、最悪の事態を考えてどっと恐怖が押し寄せる。が、次の瞬間、誉が縛られた足と手を微かに動かした。重いチェーンがじゃらじゃらと音を立てる。良かった、昏睡(こんすい)状態ではない。千晃は急いで誉に駆け寄った。 「誉!」  誉を抱きあげて、名前を呼んだ。脈を素早く確認する。弱くはない。千晃の呼びかけにピクリと反応して、誉がゆっくりと(まぶた)を開いた。虚ろな目でこちらを向く。  千晃を認めると、大きく目を見開いた。自力で起き上がろうとしたが、両手両足が使えない上、力が出ないようだった。 「ちょっと、待て」  千晃は一旦、誉を床に寝かせると、足枷(あしかせ)に使われていた(ひも)を外しにかかった。(ひも)はなんとか解くことができたが、手錠と首輪は頑丈で人力では外せそうもなかった。もう一度、誉を抱きあげて、猿ぐつわを取る。 「千晃……来てくれたんだ……」  笑っては見せるものの、誉はとても衰弱した状態にあった。前に会った時よりも確実に痩せ細っていた。とりあえず急いで誉の状態を調べる。緊急を要するような容体ならば、すぐに病院へ搬送しなくてはならない。かなり疲労はしていたものの、幸いにも一刻を争うような状態ではなかった。ほっとしつつも、あまりにも悲惨な誉の姿にいたたまれなくなり、ぎゅっと誉を胸に抱き締める。 「もう、大丈夫だから」 「……ん……なあ、千晃」 「ん?」 「ごめん……迷惑かけて」 「……何を言ってるんだ」 「千晃には関係ないのに……」  そう弱々しく話す誉を、さらに力を込めて抱き締める。 「関係があってもなくても、俺はお前を探した」 「…………」 「お前が見つかるまで、お前を探し続けた」 「千晃……」  千晃の胸に誉が顔を擦り寄せてくる。それから、ありがとう、と小さく(つぶや)く声が聞こえた。

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