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PTSD
それからの数日は慌ただしく過ぎていった。警察による事情徴収や、誉の検査入院など、事後処理に終われる日々だった。
誉を拉致・監禁したのは、千晃がジムで会ったホストの男だった。あの夜、千晃が誉を救出しようとマンションに到着する前に、誉を拘束したまま仕事に出たらしいのだが、千晃の通報によって、監禁罪及び傷害罪ですぐに店で逮捕された。
誉は、千晃が発見した時と同じ状況で、ずっと監禁されていたようだ。誉がいた部屋はもともと物置に使われていたらしく、段ボールがそこら中に積み重ねられた埃 だらけの場所だった。男が外出している間は、逃げられないようにそこに鎖で繋 がれていたのだそうだ。
男が家にいれば、ドアの外に立って監視はされていたがトイレだけは自由を許された。たまに男の気が向くとリビングに連れてこられ一緒に食事をさせられたり、ゲームに付き合わされたりしたという。
男が誉の臭いに耐えられなくなると、風呂に入ることができたらしい。ただし、着替えは与えられなかった。誉は風呂に入れた時に、自分の手でTシャツと下着を洗い、乾くまでは裸で過ごしていた。幸い、寒がりの男が暖房を点けっぱなしにしていたおかげで、寒さには耐えることができた。
少しでも逃げる素振りや、反抗した態度を見せると、容赦なく殴られたり蹴られたりした。いつもサバイバルナイフを傍に置いて、気まぐれに誉の肌を傷つけた。段々と抵抗する気が失せて、男の言いなりになるようになったというが、無理もない。
ある時、誉はリビングのソファに連れてこられ、一緒にテレビ観賞をさせられていたのだが、隣に座る男がうたた寝をし出した。ふと、散らかったリビングテーブルの上を見ると、適当に置かれた郵便物の中に広告のチラシがあった。床を見回すと、手の届く範囲にボールペンが転がっている。
誉は男を起こさないように細心の注意を払い、そのペンを拾った。広告の裏の白い部分に男の住所を書く。関係があった頃に何度か男のマンションは訪れていたので、番地まではわからないが、区町名とマンション名は覚えていた。部屋番号まで書くと、それを浴室の、男があまり使っていなそうな洗面所下の棚に隙を見て忍ばせたらしい。もしかしたら。鏡越しに千晃に会えるかもしれない。そんな僅かな期待を持って。
男がその棚を全く使っていなかった保障もなかったのだし、気づかれなかったのは幸運だったとしか言いようがない。千晃にあの紙を見せた後、男が早くしろとドアの外で怒鳴る声が聞こえたので、急いで紙を口の中に入れてそのまま飲み込んだそうだ。
発見時、心身ともにかなり衰弱していた誉は、千晃の勤務する病院にしばらく入院して回復を待つことになった。誉が入院中、千晃は時間の許す限り誉に付き添った。同僚たちに誉との関係を訝 しがられたが、気にしなかった。むしろ、そういう関係だと思ってくれた方が、だれも寄ってこなくなって好都合だとさえ思っていた。
誉の体にあったナイフで切られた傷は、どれも跡が残るような深い傷ではなかったのは不幸中の幸いだった。ただ、幾度にも渡って性的暴行を受けており、事件のショックからPTSD(心的外傷後ストレス障害)になることも懸念されたため、今後の精神的ケアは慎重にしなくてはならなかった。
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