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焔の蛇と黒き蛇
性状も素性も異なる蛇が共に肩を並べるのは
数日隠行を命じられ、騰蛇は腹立たしそうに唇を噛んだ。あの子が捕まったことは耳している。一刻も早くあの子を助けに行きたいというのに身体が動かない。ただ時が過ぎるのを待つばかり。それが歯痒くてならない。自分に何か出来ないだろうかと思うが、屋敷に張られた結界から外に出られないので何も出来ないままである。
騰蛇は現在の主である頭領の結界に触れる。だが、契約を結んだ今は傷一つ付けることすら叶わない。
『おーい、騰蛇ー。聞こえる?』
騰蛇が溜め息をついた時、脳内に聞き慣れたあの人物の声が聞こえてきた。
「晴 ……っ……!? 待て、何でお前が……!?」
『久しぶり騰蛇。愛弟子に言われて、こうして話かけてみたけど、元気?』
数百年前と全く変わらない柔らかな青年の声。喜びたいのは山々であるが、今はそれどころではない。そう言いかけた時、ふっと青年が笑った気がした。
『突然だけどさ、今宵のみ紅原との契約を解くことにした。だから……お前の好きなようにすればいいよ』
その声と共に、すっと身体の重みが無くなる。百年近く掛けられていたそれが無くなったことに、騰蛇は違和感を覚えていた。
『でも流血沙汰は駄目だからね。人の血はお前達には良くないものだから』
声音から此方を心配してくれているのが分かる。騰蛇は笑みを溢すと、立ち上がった。
「晴明 ……感謝する」
『礼を言われることはしていないさ。さあ夜が明けない内に急いで』
その声に押され、騰蛇は走り出す。遠くの方から、あの大蛇の妖気を感じる。まずは彼等に助力するのが良いだろう。騰蛇は直感に従い、影縄達の元に向かった。
自分を抱き上げているのは正真正銘、頭領の式神である騰蛇。恐怖と混乱に健吾は騰蛇を見上げたまま、動けずにいた。
「どうして……貴方が……?」
頭領と契約を結んだ懐刀同然の式神。敵に回ると覚悟していたのに、どうしてこちらの味方になっているのだろうか。
「今宵のみの気紛れだ」
騰蛇はゆっくり健吾を足元に下ろすと、影縄に刀を向けた。影縄は結界を破壊する為に術を織り成していた夜萩を庇った為か、衣が十ヶ所以上裂け、頬から血が滴り落ちている。
「国津神の眷族よ。貴様には人の子の為に命を賭してまで助ける理由はあるのか。無ければ今すぐ立ち去れ。後戻りは許さぬぞ」
結界越しに天将の苛烈な神気を浴びながら、影縄は騰蛇から目を逸らさなかった。
「あの者の天命尽きるまで仕えると誓いを立てました。それを覆すことなど私はしません」
「嘘であったら即刻貴様の首を斬るぞ。本当にあの子を助けたいか」
「くどい! 私は嘘偽りなど言わぬわ!」
健吾が捕らえた時の如く影縄は怒りの眼差しで騰蛇を睨みつけた。騰蛇殿にそんな態度を取って済まされるのだろうか。俺を担いでいる方は十二天将の中でも甚大な力を誇るのだぞ。健吾が影縄と騰蛇を交互に見ていると騰蛇が肩を震わせる。やはり怒ったのか!? まずいぞ。どうなる。健吾が咄嗟に影縄を守る為に印を結ぼうとしたのをよそに、騰蛇が笑いだした。
「あっははは! 確かにお前は嘘を吐かぬ面をしているわな。それにお前のような奴が、短い間に心変わりする訳も無し。……いいだろう」
騰蛇が影縄に向かって刀を振るう。刀から放たれた神気が結界に直撃すると、大きな亀裂が走った。
「騰蛇様、何故このような蛮行を!?」
「そうです! 貴方は自分の身を弁えないのですか!」
評定衆が恐怖と驚きに叫ぶと、騰蛇は面倒だとでも言うように刀を振るう。途端に評定衆の目の前に炎の壁が現れ、評定衆の動きを封じた。パリパリと音を立てて結界中に亀裂が走っていく。結界の欠片が粉雪のように里中に降り始めた。
「俺にはその資格がない。故に影縄……お前が救い出せ」
そして最後の一撃とともに、玻璃の砕けるが如き澄んだ音が響き、結界が粉々に砕け散った。騰蛇の言葉に影縄は頷くと駆け出す。騰蛇の横を通りすぎるとき、影縄は小声で呟いた。
「勿論ですとも。私は主様の式神なのですから」
騰蛇は目を細めて笑う。驚恐を司るとは思えぬ程の穏やかな笑みに健吾が呆気に取られていると、騰蛇は健吾に視線を向けた。
「あんなに蛍火……じゃなかった。秋也を嫌っていたのに、いつの間にお前は心変わりをしたんだ?」
「俺も分からないんですよ。気がついたらこんなことになってました」
きっかけがあったとすればあの共闘の時か。そういやあの時も諦めた顔に腹が立ってらしくもないことをしたものだ。すっと評定衆に視線を向ける。騰蛇の温情故か、評定衆は燃えることなく炎の壁を忌々しそうに見ている。
「騰蛇殿、殺さなくていいんですか?」
騰蛇は耳元で俺に囁く。
「お前だって身内が殺されるのは寝覚めが悪いだろう。俺も同じだよ」
評定衆の方々は悔しそうに夜萩と影縄が向かった方向を睨んだり、俺達に敵意を向けていた。
「そうですね。人が死ぬのは寝覚めが悪い」
健吾は秋也が囚われている牢に視線を向け、ぽつりと呟いた。
襲いかかって来る鬼祓いの者共を避けながら、影縄はひたすらあの牢の元へと駆けていた。影縄を術で捕らえようとした鬼祓いを夜萩が跳ね返し、夜萩を斬ろうとした者を影縄が蹴り飛ばす。本当は蹴り殺しても構わないのだが、あの人はそれを望まないだろう。鬼祓いといっても人の子。蹴っただけで簡単に死んでしまいかねないほど脆いので、殺さないように無力化するのに些か苦戦を強いられた。そのせいか影縄の三つ編みは、戦いの内に半分程の長さに斬られたせいで解けてしまった。せっかく髪を編んでくださった主に申し訳なく思いながら、艶やかな髪を風に靡かせ影縄は駆け抜ける。
そしてとうとう牢の前に辿り着く。牢の前では数名の鬼祓いが険しい顔で影縄と夜萩を睨んでいた。
「此処より先は通す訳にはいかない」
咄嗟に張ったであろう結界は、数名によって編まれた物なのか里を囲んでいた結界よりは薄く、破壊することが出来るだろう。それでも後方から迫っている鬼祓いと目の前の鬼祓い達に挟み撃ちにされる方が先だ。
「どうする……?」
夜萩が小さな声で聞いてくる。夜萩の霊力はとうに底をついており、戦力となりえない。どうすれば良いのだろうか。影縄は冷や汗を流しながら考える。その時、カタリという小さな音と共に、懐で何かが動いた。影縄は懐に手を入れて探ってみる。そして取り出したのは、秋也の小刀であった。刀は仄かに主の霊力の光を帯びていた。
鞘から抜けば、小刀に籠められた霊力が強くなる。この刀を使えと言っているかのように。
「秋也様……」
柄を握り締めてあの人の名を呟く。私が貴方を助けねばいけないのに、今この窮地であの人の存在に縋ってしまいたいのだ。何という情けない従者なのだろう。そう己を責める時間すら惜しい。えいままよ。影縄は足に力を入れると、一気に駆け出した。そして飛びかかるように結界に刃を振り降ろす。刃の霊力と結界がぶつかり激しく火花が上がった。
「ぐ……ぅっ……」
結界の退魔の力によって身体が激しい痛みに襲われるが、このまま刃を離せば弾かれる。そうすればもうおしまいだ。影縄は刃に己の妖力を流し込んだ。
「早く……私を……通せえぇ────っ!!」
血を流しながら影縄は怒号を上げて刀を握る手に力を込める。すると、刃の先から少しずつ結界が裂け始めた。それを目の前で見ていた鬼祓いは影縄に向かって退魔の呪をかけようとしていた。このまま結界を破壊すればもろに食らってしまう。それでも刃を手放す選択など影縄にはもう無かった。
「急々如り………」
「次代の式神を傷つけることを許すと思うたか」
呪が完成する前に、男の低い声が響く。呪をかけようとしていた男がそれを中断したのと同時に赤い炎が人々を囲む。今のままなら決して燃やすことはないが一歩炎に足を踏み入れれば、途端に身体は地獄の炎に焼かれるであろう。生き物として宿る本能的な恐怖に鬼祓い達は襲われ、動けずにいた。一方、影縄は全力を振り絞って結界を裂き終えた。
「影縄、早く行け。健吾と夜萩は俺が守るから」
背後から炎の主の声がする。傷だらけの心身にその声が染み渡り、影縄は目頭が熱くなった。
「ありがとうございます……騰蛇…」
「礼など要らん。早くあの子の傍に行け」
そうだ、主を助けねば。影縄は頷くと牢の中へと足を踏み入れた。
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