28 / 28

※番外編 温泉旅行 後編※

 夕食を食べてしまえば、後はすることなど無い。家から持ってきた書物を読むだけである。本当はいくつか仕事を持ち込みたかったが、時雨や夜萩に止められてしまった。たまには仕事をするなと言われたが、それでは落ち着かないのだが。隠居してみたいとは言ったが、今のままでは考えられない。 「主様、お布団ふかふかですよ」 「それはそうだ。家の物より上等だからな」  影縄はさっさと布団にくるまりたいであろうに、私の傍に控えている。これではいつもと同じだな。秋也は苦笑いをすると、徳利を手に取った。 「影縄、月見酒でもするか」 「良いですね。ではお言葉に甘えてお付き合いさせて頂きます」  影縄は微笑を浮かべると、障子を開ける。雲ひとつ無い空には、先程と変わらず月が煌々と闇を照らしている。はらはらと風に舞い散る紅葉は、まもなく冬が訪れていると告げているようだった。互いのお猪口に酒を注いで飲む。酒はそれほど強くない上等の物であった。 「今夜は月見日和ですね」 「ああ。今日は晴れて良かったな」  二人で月を肴に酒を飲むだけで、満たされている心地になる。たまにはゆっくりするのも悪くないな。酒を飲みながら半刻程穏やかに話をする。出会ったばかりの頃の思い出話に花が咲く。もう寝ようとした時、影縄に止められた。 「あの……主様。せっかくこのような場所に来たことですし……。いや、何でも無いです。汚してはいけませんし」  影縄は言いかけた言葉を首を横に振って抑え込む。私は目を伏せる影縄の頬に口づけをした。 「安心しろ。いつも情交の後に私が閨に跡を残さず消しているだろう?」  紅原の初代から代々受け継がれている秘術。かつては使いどころなど分からなかったが、今は有り難く使わせてもらっている。 「そうでしたね。でしたら改めて申します。主様、貴方の熱に溺れさせてくださいませんか」 「お前が望むとあらば勿論だ。私もお前が欲しかったからな」  影縄を閨まで抱きかかえて運ぶ。ゆっくり下ろすと、互いに深い口づけを交わしあいながら布団に倒れ込んだ。 「んっ……ふ……」  舌を絡める間、先程まで飲んでいた酒の味がする。口づけのせいか、はたまた酒のせいか。ふわりふわりと酔った心地になる。影縄は口づけを交わしながら、秋也の髪紐を引っ張る。するりと容易にほどけると、艶やかな髪が帳のように視界を隠した。  やがて唇が離れると、影縄は秋也の温かな頬に指を添える。 「主様のお髪を解かれたお姿が愛しいです」 「このような無防備なさまを、愛おしいお前にそう言ってもらえるとは光栄だな」 秋也はくすりと笑いながら、影縄の顎にそっと触れた。指は影縄の滑らかな肌を這い、逆鱗(さかうろこ)に触れる。影縄の身体がびくりと震えると、甘い吐息が溢れた。 「んっ……主様……いきなりそこは恥ずかしいです……」 「まだ脱いでもいないのにか。逆鱗と言うだけのことはあるな」  触れる手つきは優しいのに、影縄は不規則な息を吐きながら身悶える。秋也はそんな影縄の様子にごくりと生唾を飲み込んだ。 「どうしてであろうな。晴子を喪ってから、誰にも情欲を抱かなかった私が、お前の前だと一匹の雄になってしまう」 「大好きな貴方に……んっ……そう仰って頂けるだけで本望です。せめて人肌のように温かければ、もっと貴方を悦ばせることが出来ますのに」  影縄は申し訳なさそうに目を伏せる。人と妖蛇の違いといえば、体温だ。同じ程温もりがあれば、熱を貪り合うことが出来るのだが、一方的に奪ってしまう。影縄はそれを気にしていた。別に私は気にしないのだが。秋也は影縄の帯を解きながら、影縄の逆鱗に口付ける。 「今のままで十分だ。それに、温泉に浸かったからか、今日のお前はほんのり温かい」 「そ……そうですか? それなら良かったです……あっ……主様……そこっ……舌が熱いです……」  親猫が仔猫を毛繕いするが如く舐められ、影縄の肢体が震える。いつの間にか褌まで取り去られたそこは硬くなっていた。 「影縄、兜合わせは知っておるか?」 「兜……合わせですか? 一応存じ上げてはおりますが……」  影縄は恥ずかしげに目を逸らす。そんな影縄の耳元で囁いてみた。 「では一度やってみようか」 「へ!? いや、まだ……心の準備が……!」  影縄の両目を見開いて秋也を見上げる。そこには悪戯をする童のような笑みを浮かべた秋也の顔があった。 「おや? お前の此処は準備が出来ているようだが?」 「……主様も意地悪なことを仰るのですね」  影縄に軽く睨まれ、秋也は苦笑する。 「すまぬ。お前の恥ずかしがる顔が可愛かったものでな」  そう言いながら、秋也は己の帯を解く。褌まで脱ぐと、秋也の硬くなったそれが露になった。影縄は思わずそれを凝視する。秋也の視線に気づくと、顔が真っ赤になった。 「どうした? 私のものをじっくりと見て」 「いえ……その……普段これが私の中に入っていると思うとつい……」  影縄は目を泳がせながらも、ちらちらと視線を秋也のそれに向けている。何だか此方まで恥ずかしくなるな。秋也の頬がほんのり赤く染まった。  硬くなった己の物を掴むと、影縄の物に近づける。濡れた先端同士が触れた途端互いの身体に快楽が走った。 「うあ……!?」 「んっ……」  若い頃、花街へ行く金がないからと、年の近い者達がこのようなことをして肉欲を発散させていたのは知っていた。だが、互いのものを擦り合わせるだけで、快楽が生じるとは。秋也は己まで声が出そうなのを堪えつつ、自分の物ごと影縄の物も掴む。 「ひうっ……!? 主様……」 「私は根元から擦るから、お前は先端の方をしてもらえないか?」  影縄はごくりと生唾を飲み込む。前での自慰もしたこと無い影縄には酷だったか? では、姿勢を変えてから私が両手でするか? 秋也が思案していると、ひやりと冷たい感触が亀頭に伝わった。 「あっ……!? 影縄、任せても大丈夫だな?」 「はい、何とか……。主様の物、熱いですね。脈まで伝わってきて、気恥ずかしくなりますね」  影縄は己の物ごと先端を擦る。互いの物が触れ合うだけでなく、滑らかな感触に包まれ、秋也の身体が震える。秋也は負けじと、根元を影縄と同じ早さで擦った。 「っ……影縄、待て……少し手加減を……」 「先に仰ったのは……あん……主様でしょうっ……手加減など出来ません……」  影縄の手つきは艶かしく私を翻弄する。互いの先端がぶつかる度に息が詰まりそうになる。徐々に互いの荒い息が交差した。やがて唇を重ね、舌を深く絡める。口吸いの合間に、互いの吐息が溢れ落ちる。 「んっ……う……」 「ふっ……あ……」  根元から先端まで互いの中心が密着し、互いの物の特徴が手に取るように分かる。また秋也には影縄の物が冷たく、影縄には秋也の物が熱く感じられた。互いのそれは萎えるどころか、先走りで濡れている。上も下も甘い快楽が身体を蕩かしていく。 「んうっ……」 「んっ………あっ……はあっ……」  互いの身体が震えると、白い飛沫が2人の身体に掛かる。唇を離すと、名残の銀糸が唇を伝う。影縄は荒く息を吐きながら、秋也の頬に付いた白濁の雫を滑らかな指で拭う。そして赤い舌で指をぺろりと舐めた。  その仕草が艶かしく、出したばかりの秋也の物が再び硬さを取り戻す。 「そのような物を舐めても不味いだろ?」 「さあ、どうでしょう?」  影縄はくすりと笑い、僅かに状態を起こす。まだ僅かに荒い吐息が秋也の耳にかかった。 「主様、どうか貴方の熱をくださいませ」 「分かっている。愛しい我が伴侶よ」  秋也は頷くと、白濁で濡れた指で影縄の後孔を慣らす。影縄は目を細めて、今か今かと待ちわびていた。 「はあっ………あんっ……やっ……」 「っ……影縄……」  仕事から解放されたせいだろうか。秋也と影縄は交わってから既に2回も出しても尚、情交を続けていた。秋也の膝の上に影縄が乗り、向かい合ったまま交わる。影縄は自重で奥まで深く穿たれて、既に理性を手放していた。薄紅に染まった絹の肌に、跳ねる度に乱れる黒髪。自分に身を預け、快楽に溺れる男の何と愛おしいことか。秋也は影縄の身体を揺さぶりつつも、壊れ物ようにそっと影縄の身体を支える。 「あっ……うあ……っ……ああぁ__」 「んうっ……」  やがて達すると、互いの身体を強く抱き締める。秋也はぐったりと凭れる影縄の背を子供をあやすように叩いた。 「影縄、もう辛いだろう? 止めるか?」 「い、いいえ。もっと……したいです」  だが影縄の白濁はもう尽きかけている。これ以上やっては身体に毒だ。秋也が影縄の腰を持ち上げようとすると、影縄が首を横に振った。 「本当に久々に仕事から解放されているのですよ? もっと二人っきりの時間を味わいたいです」  泣き声にも似た甘えた影縄の声。秋也は伴侶の声に抗う術など無かった。 「……仕方ない。無理はするなよ。限界になったら正直に言ってくれ」 「承知しました。私の愛しい秋也様」  まだ二人きりの夜は明けぬ。……ああ、まだ明けなければいいのに。2人は胸中で同じ思いを抱く。だがそれが叶わぬことだと分かっているからか、言葉にはせず甘い夜を過ごした。  影縄が目を覚ますと、眼前に秋也の顔があった。驚いて声を上げそうになったが、堪えて眼前の顔を見つめる。切れ長の瞳が目蓋で隠れているからだろうか。どこか幼さを感じさせる。無防備な唇に口づけをしたい。だが、そんなことをしては起きてしまうかもしれない。この寝顔をもう少し眺めていたい。その前に、今は何刻か確認しなければ。影縄はちらりと障子の向こうに目を遣る。幸い、まだ薄暗いようだ。では、もう少しこのまま寝顔を眺めるとするか。そうして影縄は秋也が目覚めるまで、飽きること無く寝顔を眺め続けていた。  やがて半刻が経つと、睫毛が震えて目蓋が持ち上がる。漆黒の瞳はぼんやりとしていたが、焦点が合うと大きく見開いた。 「っ……!? ……影縄、おはよう。少し胆が冷えたぞ」 「おはようございます、主様。驚かせて申し訳ございません。ですが、このように抱擁されておりますので、動いたら主様の眠りを妨げると思いまして」  秋也はそこでようやく、己が影縄を抱き締めたまま眠っていたことに気付く。その上、情交の後始末を終えたというのに、己は襟元がはだけたまま。秋也は恥ずかしさに、頬が赤く染まった。 「いや、その……すまぬ。今すぐ離すから」 「いいえ、お気になさらず。それに……朝食の時間にはまだ早いです。もう少しだけこのままいさせてください」  影縄は秋也の身体に身を寄せる。秋也は苦笑すると、影縄の頭を撫でた。 「ああ、ではもう少しだけこうしていよう」  そうして2人は、朝食の4半刻まで布団の中で身を寄せ合っていた。その間は幸せでしかなかったが、布団から起き上がると途端に腰痛に苦しめられた。だが、藩主からの休暇で此処にいるのだ。別に仕事に支障が出るわけではない。それから2人は温泉に浸かったり、秋也は影縄に按摩をしてもらったりと、文字通りの休暇を楽しんだ。  湯治宿から帰った翌日、秋也は登城した。 「おぬしなあ。藩主御用達の湯治宿だぞ。ゆっくりしてこいと言ったのに、2泊3日で帰るとは。せめて5日ほど滞在すれば良かったのに」 「あのような贅沢をさせて頂いただけでも、十分勿体無きことにございます。それに、私には5日もゆっくりすることなど、落ち着きませぬ」  目の前の藩主は不機嫌そうな顔を浮かべている。騰蛇や時雨も同じような顔をしていたっけ。秋也は笑いそうになる。  2人とも、私と影縄の顔を見るなり、どうしてもっと休まなかったのかと問い詰めてきた。仕事がないと落ち着かないからと言うと、たまには仕事から離れた方が良いと指摘された。だがこれで良いのだ。仕事が全く来ない状況と言うのは、地に足がついていない心地がするのだから。それにしても、我が子や式神から心配されるとは、私は何と幸せ者だろう。まだまだ仕事に励まなくては。   土産は、湯治宿の温泉の湯は飲めるらしく、それを汲んで持ち帰ったくらいか。後は、城下で甘味をいくつか買って帰った。どちらも桃香が喜んでくれたので、何よりだ。   藩主は溜め息をひとつ吐くと、苦笑する。 「そんな調子では、おぬしの隠居も遠そうだな」 「ええ、そうですね。私にはまだ早いようです」  仕事から離れることは、今の私には考えられない。もうすぐ隠居かと思っていたが、案外まだ先のようだ。 「仕事に勤しむのも良いが、程々にな。お前は数少ないわしの信頼できる家臣なのだから」 「有り難き幸せ。この命尽き果てるまで、忠誠を誓いましょう」  まさか、殿からそのようなお言葉を頂けるとは。頭を垂れている最中、思わず口許が緩みそうになる。この先まだまだ忙しくなるが、また影縄と穏やかな時を過ごしたい。あのような豪華な湯治宿でなくてもいいから、2人だけの時間を作れるようにはしたいな。秋也は無意識の内に微笑んでいた。  藩主への報告が終わり、城下を歩く。隣にはいつも通り影縄の姿がある。 「主様、夕刻からまたお仕事ですね」 「そうだな」  夕刻からはまた鬼祓いの頭領としての仕事が始まる。随分久しぶりのような気がするのは、気のせいだろうか。 「主様とゆっくり過ごすのも良いですが、貴方の頭領としての仕事を傍で支えるのも大好きですよ」 「そうか? そう言ってもらえるのは有り難いな」  ただの鬼祓いの次代の頃から、影縄は不甲斐ない私を支えてくれていた。これからも私を支えてくれるのだろう。そんなお前に応えるために、私は鬼祓いの頭領としての責務を全うしたい。 「影縄、……改めてこれからも私を支えてくれ」 「勿論です。それが私の生き甲斐なのですから」  影縄は優しげに目を細めて私に笑いかける。ああ、彼が私の式神で良かった。秋也は1人幸せを噛み締めた。 《終》

ともだちにシェアしよう!