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終章 2

 リョウはあれから両親に頼み込み、学費を払ってもらって今年の春から都内にあるプログラミング関係の専門学校に通っている。セクシーキャバクラのボーイはやめ、シフトの融通が利きやすく時給の高い居酒屋で働き、生活費は今も自分で稼いでいる。  正哉が墓石をタワシで洗い終える。そこに水をかけ、水鉢に水を注ぐ絵里奈。  「っていうかお母さんさっきから立ってるだけで何にもしてなくない?」  そう言われたアンネッテは笑う。  「そんなことないわ。私は正哉の日傘役よ」  「立ってるだけじゃん……」  そう言いつつ、アンネッテが墓掃除など手伝わないことくらい3人の子供は予想できていた。そもそも白地に青紫色の花柄のロングワンピースなど着ている時点で掃除などする気がないのがよく分かる。  正哉と絵里奈が墓石を洗っている間に、祥哉は持ってきた花を鋏で花瓶に挿すのに丁度いい長さに切っていた。綺麗になった墓に菊の花を供える。  そして持ってきた線香に火を付ける正哉。絵里奈が自分にやらせてと言ってきたが、絶対火傷するから駄目だと言った。  火をつけた線香を正哉は3人に配った。4人はそれぞれ墓に線香を立て、目を瞑って手を合わせた。  真夏の空に線香の香りが立ち昇る。  つい1年と少し前まではこうして4人で墓参りをするなんて誰も考えていなかった。正哉は自分の双子の片割れのことなど頭になかったし、アンネッテも彼に会うことはもう無いと思っていた。絵里奈も正哉の兄弟や実父のことなど気にも留めておらず、祥哉だけが“家族”を求めて東京を彷徨っていた。  この1年で、ずっと別々のところにあった心が漸く集まってきた。これからは“家族”から逃げず、支え合いたいと思えるようになった。  墓参りを終えた4人は駐車場に停めていた車に乗り込む。  車は他の3人より1日早く長崎に来ていた祥哉が伯父の家から借りてきたもので、運転手も祥哉だ。アンネッテと絵里奈は自動車免許証を持っておらず、正哉はペーパードライバーだ。運転ができるのは田舎で長年暮らしていた祥哉だけだった。  祥哉は今朝、長崎の伯父の家から博多駅までわざわざ3人を迎えに行ったのだ。  「お母さんと絵里奈さんはこのままホテルでいいの? 何処か寄る?」  ハンドルを握った祥哉がそう尋ねると、後部座席に座った絵里奈が口を開く。  「うん、ありがとう。ホテル向かってくれて大丈夫だよ」  「分かった」  首肯して祥哉は車を発車させた。  絵里奈の隣に座ったアンネッテが正哉に尋ねる。  「正哉はこの後、祥哉さんと一緒に彰さんの弟さんの家行くの?」  「うん、今日はその……伯父さんの家に私も泊めてもらえるみたいだから」  「そう、良かったわね」  当然だが、正哉が自分の伯父に会うのは初めてだ。祥哉が今日長崎に正哉達が来ることを伯父に伝えたら、正哉だけなら会いたいと言われたらしい。伯父は自分の兄の元嫁やその旦那の連れ子と会うのは流石に気まずいと思ったようだ。  祥哉は長崎駅のすぐ近くのホテルまで絵里奈とアンネッテを送った。明日また迎えに来るからと言い、2人を車から下ろす。  そして車には正哉と祥哉だけが残った。伯父の家へ車を走らせながら祥哉は口を開く。  「何だか正哉さんが伯父さんの家に来るなんて不思議な感じ」  「私も父方の親戚の家に行く日が来るなんて思ってなかったよ。……伯父さんとは仲良いの?」  正哉にそう尋ねられ、祥哉は逡巡して言う。  「うーん、良くも悪くもない、かな。2つ下の従兄弟は僕のこと嫌いみたいだけど」  「何で?」  「元々父さんの工場を継ぐのは僕のはずだった。それを全部放り投げて伯父さんと従兄弟に押し付けちゃったからさ。伯父さんは仕方ないって思ってくれたみたいだけど、従兄弟はそんなに寛容じゃなかった」  「まあそれは嫌われても仕方ないね」  伯父は幼い頃から母親がおらず、家族を突然失った祥哉に厳しい態度を取れなかったのだろう。生まれてから会ったことのない母親と兄弟を探したいと言う祥哉を止められる者はいなかった。  「あはは、そうだよね。従兄弟は今伯父さんとは一緒に住んでないから会うことはないと思うよ」  「そっか」  伯父の家が近づくにつれ、道路の周囲は田畑と工場ばかりが続くようになった。時々大きなスーパーやドラッグストアがあるが、娯楽施設はパチンコ店以外ほとんどない。そして駐車場が広い。  車の窓からその風景を眺める正哉に、祥哉。  「凄い田舎でしょ」  「うん。でも通ってた大学の近くもこんな感じだったかも」  「群馬も同じ感じだったんだ」  「あそこも田舎だからね」  そう言って笑う正哉。今頃リョウもこんな田舎にいるのだろう。彼の実家もいつか見てみたいものだ。  「それにしても、ここからよく1人で東京に住もうと思ったね」  正哉がそう言うと、祥哉は苦笑した。  「上京するのは正直かなり怖かったよ。今も都会は疲れると思うし、時々こっちに帰りたくなる」  「そんなものなんだね」  「うん。……でも、どうしてもあなたに会いたかった。自分の片割れを1度でも見ることができるなら、何年かかってもよかった」  そう言う祥哉の横顔を見つめる正哉。何と返せばいいのかわからなかった。どれほど大きな想いを抱えて彼はこの田舎を出てきたのだろう。あの小さく巨大な東京で自分を探し出した時、彼はどんな想いだったのだろう。  車が伯父の家の近くの駐車場に停められた。運転を終えてこちらを見た祥哉。自分と同じ顔、同じ目の色の男。逃げていた自分の手を初めて掴んでくれた人。  行こうか、と言う彼に正哉は唇を開いた。  「…………祥哉さん、私を探し出してくれてありがとう」 【了】

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