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ついにこの日が来た
ここは父さんの書斎。
夕食後、俺は父さんの小言に適当な相槌を打ちながら、適当にやり過ごしていた。
ずいぶん前のことになるけど、父さんが仕事の出掛け先で惚れ込んで買ったというイタリア製ランボルギーニのソファーが、書斎のド真ん中でその存在感を発揮している。
細部までこだわった上質なデザインはもちろんのこと、このソファーの優れた点は、一度座ったら人を廃人にさせる、ふっかふかな座り心地にある。
俺は夢の入り口に誘い込まれながらも、重たい瞼を擦ってソファーの背もたれからゆっくり体を起こした。
「こら、まだ話があるから座りなさい」
「話ならまた今度聞くって…」
ここ最近、こうして毎晩のように書斎に呼ばれては仕事の話を聞かされている。今日の商談がどうとか、新しく展開する店の試作品がどうとか。
正直、あまり面白いとは言えない話に大人しく付き合ってあげている俺の身にもなってほしいんだけど……。
「おまえには私の会社で働いてもらう」
……──は?
俺は口をあんぐりと開けたまま、それこそアホみたいに放心したあと、真剣な面持ちの父さんを見つめながらパチパチと瞬きを繰り返した。
今なんだか聞き捨てならない言葉が聞こえたような気が……。
「私の会社で働いてもらう」
「……」
頼んでもいないご親切な反復に、俺は大きく見開いていた目をゆっくりと細めてから、あからさまに嫌そうな顔をして見せた。
今のは聞かなかったことにしよう。まったくもって不意を突かれた格好だけど、今だけは逃げるが勝ち──。
「遊星 、待ちなさい!」
俺──榮月 遊星。
子供の頃から欲しいと思ったものはなんだって手に入れてきたし、やりたいこともだいたいの望みは叶えている。
身長はもう少し欲しかったけど、容姿は人並み以上だと自負している。
そんな俺も、数ヶ月前に20歳に。
ちなみに、そのバースデイはパリで迎えた。というのも、少し前まで留学していたからで……つまり俺は日本に帰ってきたばかりの帰国子女ってやつ。
「俺は父さんの会社では働かない、何を言われようと答えはノーだから」
呼び止められた足で振り返れば、父さんは椅子の背もたれにどっしりと構えながら腕を組み、黒光りした重そうなデスクから、ブスっくれた顔の俺を真っ直ぐに見つめて「とにかく座れ」と厳しい声だ。
おそらく俺に仕事の話をする機会をずっと伺っていたんだろう。なんてめざといんだ。
そりゃあいつかは、こんな話を父さんと面と向かってする日が来るとは思っていたけど、あまりにも突然すぎる。
「おまえには社会経験が必要だ、この2年間じゅうぶん遊んできただろう? もうこれ以上はおまえの好きにばかりはさせられないからな」
「は? 別に俺は──…」
たしかに自由にはさせてもらってきた。
留学でも貴重な経験をさせてもらった。
そういう意味ではまじで感謝している。
けど、別に俺は遊んでばかりいたわけじゃ……そう言い返してやろうと口を開きかけたが、無駄だと思ってやめた。
仕事の話になると頭の固くなる父さんに何を言ったところで、きっと俺をわかろうとなんてしてはくれないからだ。
いま俺の目の前にいる榮月林太郎 という男は、現在『プラネット・グループ』という会社を経営するまあまあやり手の社長。
通称『プラネット』はフレンチやイタリアンといった高級レストランをチェーン展開しているかなり大きな企業だ。
もとはコックだった曽祖父がパリで修業を積んだのちに始めた小さなフランス料理店がスタートだった。評判のよかったその店が大成功したことで少しずつ店舗を増やして会社になり、どんどん成長を続けていった。
だから、俺が産まれた時には『プラネット』はもう知る人ぞ知る大企業に育っていたし、その時から父さんが3代目社長……。
つまり俺は、大企業の社長の息子。
となれば、当然それにふさわしい生活を子供の頃から送らなければならない。家は世田谷の一等地にある大きな屋敷。メイドは5人いるし、俺専属の運転手だっている。
清潔な身なりはもちろんのこと、教育熱心だった両親の影響もあって様々な分野の習い事も経験してきた。
書道、そろばん、ピアノ、水泳、英会話──。
成長期の遊びたい盛りに文句も言わずよくこなしてきたものだと、あの頃の純粋無垢な自分を褒めてやりたい。
学校は幼稚園からずっとミッション系のインターナショナルスクールに通っていて、そこの高等部を出たあとの2年間はパリに留学。で、先日日本に帰ってきたばかり……。
そんな俺が、だ。
父さんの会社で働くにしたってちゃんとしたふさわしい仕事があるならいい。それこそ社長秘書とかそれくらいの立ち位置でなら考えてやらないこともない。
だけど、さっきも言ったように俺は父さんの会社にもマネージメントにも今のところ全く興味がない。
かといって、日本に帰ってきてこれからどうするのかを、具体的に決めていたわけでもないのが実情……。
「遊星、一度おまえと真面目な話がしたいと思っていたんだ」
もっと言えば、父さんの話は息子の俺に特別待遇が用意されている……そんな甘い話でもなかった。
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