1 / 13

第1話

 日当たりの良い窓際のサボテンをのほほんと見つめながら、中小企業の営業部で第二課長を務める「熊野(くまの)課長」こと僕は感傷に浸っていた。  水がなくてもどうにか生きていられて、花が咲いた暁にはそれだけで大喜びされるサボテンが少し羨ましい。  人生誰もが一度は、生まれ変わったらこうなりたいなぁという理想像があるのではないか。  かくいう僕もそうだった。  僕は昔から、身体の小さな子供だった。頭の回転もお世辞にも良くなく、勉強は下から数えた方が早かった。  しかし、そんな僕にも大好きなことはあって、それは食べることだった。大した運動もせず、身体の成長以上に食べていると、案の定ブクブク太った。今でこそ中年太りだと誤魔化せるが、過去一度も痩せていた試しがない。  昔はそれを理由にボンクラデブとか酷いあだ名をつけられていたなぁなんて思う。ニュースを見ていると「あれっていじめだったんだろうか?」と考えることもあるが、やはり鈍い僕はそうとは認識していなかったようだ。  大学に行く頭も資金もなかったので、高校を卒業してからまだ駆け出しだった頃の今の会社に入った。  それからもう二十年以上を超え、僕は今、この営業部第二課で課長をやっている。長なんて漢字で書くと偉そうだが、課の中で自分より年齢が上の社員が居ないせいだ。同期は揃ってさらに上の役職や役員にまで昇進し始めている。それもあんまり気にならないけれど。  もっと学歴や資格があればと思う時期もあるにはあったが、やはり勉強をするという意志も湧かず、かと言って醜い出世争いにも興味がなかったので、この席は自分にお似合いだ。  と、ここまで言っておいてなんだが、僕は決してうだつのあがらないサラリーマン人生を悲観している訳じゃない。これは事実に他ならず、これまでの道を選んで歩んできたのも僕自身なのだから。  僕の一番の長所は「良い人そう」なことらしい。自己愛が高すぎると思われるのは困るので弁解しておくと、いつも周りの女性から称されるのだ。……彼女らの言う「良い人」とは、特段に褒めるところが無く、そうとしか表せないほど魅力がない人間ってことくらいは、わかってる。  あとは、包容力があるとか、全体的に丸っこくて可愛いとか、熊野さんだから本当にクマさんみたい、なんて茶化されたり。  会社の女子社員からもマスコットみたいに扱われているのは悪くはない。昨今の若者の目は特に厳しい。無意識の言動で何かと噂でも立てられるよりは、楽っちゃあなんだが、おじさんとしては助かっている。  強いて最近の悩みといえば、同居する両親からいつになったら結婚するのか、ととやかく聞かれることだ。  二十代の頃は、今の年頃には家庭を築いてマイホームなんて持っているんだろうと楽観的に思っていたが、未だ独り身でいるのは確かに想定外だった。両親は昨今の婚活ブームだとかで、しょっちゅうお見合いを勧めてくれる。  けれどこの歳になってもなお息子の後先を心配してくれる両親にはどうしても言えないことがあった。  実は二十代後半の頃、ゲイバーに飲みに行ったことがある。マスターや常連との話は本当に楽しくて、自分の居場所はきっとここなんだと、ある時そこで知り合った年上の男性に手ほどきを受けてからは、まあ、恋愛対象は男性のみになってしまった。  今はゲイバーで出会った男性や、出張ホストと一夜を共にすることもある。  そうは言っても、両親の為に結婚した方が良いのかと悩みはした。  僕は今、四十八歳。身長は百六十三センチ、体重は最後に計った時で八十キロ半ばはあって見事に腹がせり出ている、だらしのないメタボ体型。年収は並以下だし、もうこの歳では子供が欲しいというわけでもないが、結婚となると親の介護も目を背けてはいられない……。  そして最大の難関は、顔だ。三十代に見えるような若々しいイケメン俳優さんならまだしも、僕は鏡を見て自分でもガッカリするほどの加齢臭漂う禿げたおじさんに他ならないのだ……。  そんなことを諸々考えていると、やはり自分は女性とそういった関係になることすら難しいと感じた。こんな男の元に嫁いでくれる女性と出会える機会など無理に等しいだろう。そもそも、仮にもし何かの手違いでそうなったとしても──果たして自分の性的嗜好を一生隠して共同生活が送れるだろうか。  ならば親には悪いが独身を謳歌していたい。こんな自分でも需要があるという多種多様な素晴らしい世界を知ってしまったのだから、それは仕方のないことだと思う。 「何してるんですか、課長」 「ああ、君か。気付かなくて悪いね」 「これ終わったんでチェックよろしくお願いします。ボーッとしてる暇があるなら課長も仕事してくださいよ……こっちは働いても働かなくても給料変わらないんですから」  半ば強引に書類を渡すと、入社したての新人社員はわざとらしく舌打ちしながらさっさとデスクに戻った。  彼は別に、僕だけに対して態度が悪いという訳ではない。そもそもこの会社が嫌いらしい。有名大学を出たのに、不景気の煽りか面接に落ちまくり、ようやく内定を貰ったのがここだったのが気に食わないだけだ。  仕事はできるが、絶対に定時で帰るし、飲み会にも来ないし、今より良い会社に入れるかどうかはさておき、あと一年も勤めたら転職も考えているようだ。良くも悪くも今時の子という感じだった。 「うわぁ、まーた新人に嫌味言われて。熊野課長も甘やかさないで厳しくした方が良いっすよ。あの世代は、怒られ慣れてないから調子乗るんです」 「だけど、悪い子じゃないのはわかってるよ。自分の実力が出せない環境がストレスなんだと思う。それより、春川(はるかわ)くん、おかえり。外回りお疲れ様」 「ただいまっす。そうやって気遣ってばっかりで……課長ホントに大変っすね」  入社してからかれこれ七年目。だいぶベテランになった春川という社員が外回りから帰って来ていた。たぶん、春川くんは彼とは正反対の人間だろう。  春川くんは高校までバスケットボールの強豪校に在籍しており、身長が百八十五センチもある筋肉質な体型だ。並ぶと僕が余計に小さく見えてしまう。実に活発かつ人懐こい性格で、僕にも隔たりなく接してくれる。 「あ、気遣いと言えば……課長、良い女の子探してくれました? 早く紹介してくださいよ」 「どうしたの。最近そればっかり」 「いや、だって俺も三十ですし? いい加減結婚したいんすよ……一人の部屋に帰るのが寂しすぎるんすよ……そもそも彼女もいない時点でスタートライン立ててないんすよ……もう同期の結婚式に出るのも出産祝い出すのも嫌だあああ」  そう言って春川くんは頭を抱える。給料は低いかもしれないが、僕から見て彼はそれほどスペックは悪くない。  放っておいても彼女くらいできそうなものだが、自由恋愛が過ぎて逆に選べないというところか。なんとも時代を表している。  むしろノンケと恋がしたい僕の好みだ……と考えかけて、首を振った。そんな気もない人を、無理にこっちの世界に引き入れてはいけない。  ただ、僕にとっては年齢は関係なく、実はリードしてくれるような男が好きだ。今の職場には、恋心こそ隠しているが気になる者がいる。それが春川くんだった。  春川くんはその快活さから様々なことを身体を張って教えてもらえそうなのがいい。そんな目で見ずとも、こんな冴えない僕を良き上司と慕ってくれるとても可愛い部下だ。  だから、本当は誰も紹介したくはない。まあ、僕の人間関係では単純に春川くんに似合いそうな女性が居ないのも本音だが……。 「う、うん、探してはいるんだけどね……」 「本当ですか? 俺そんなに理想高いっすかね……家事育児も全部分担しますし、顔も性格ももはや関係な、」  そんなことを仕事そっちのけで話していたら、新人のエンターキーを壊さんばかりに高らかと打つ音が鳴り響いた。

ともだちにシェアしよう!