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第2話
一時間半の至福の時間が終わって、ホテルから出た僕はその日も満足した表情である若い男性に手を振った。
勤め出してから何度か指名している出張ホストの子だが、いくらか緊張もほぐれ、積極的になってきてくれている。その証拠に、行為の前後にも他愛もない世間話をするようにはなった。
こういう業界でずっと共にいることはできないけれど、そのぶん僕は一時の相手を全力で敬い、愛し、常識的に良くないと思うことはきちんと指摘してやる。だからこそ、こんな僕でもホストの子は皆感謝してくれるし、店も信頼する客として扱ってくれている。
ただ、そんな光景に驚きを隠せない人間はまだまだいるもので。
「く、くくく熊野課長!?」
ホテルから出てきた僕が耳にしたのは、週五で聴き慣れている春川の声だった。偶然にもほどがある。
だが、そもそも僕は何も悪いことはしていない。堂々としていていいはずだ。
「こんなとこで何やって……え、あれって男でしたよね……? 要するにゲイのデリヘル、みたいな……?」
「そうだね……でも別に僕は焦るようなことしてないから」
「そりゃまあ、そうかもしれませんけど……課長、男が好きなんすね……俺は合コン大失敗して来たばっかりなのに……ど、どういうことだよ……」
ノンケの春川くんには何が起こっているのか理解不能だろう。
ひとまず二人で場所を変えて、行きつけの居酒屋に行った。ここは性別を越えて常連が多い店で、店主も口が固い。よく通っているので、「また何かあったのか」と思っているだろうに、皆笑顔で迎えてくれた。
「す、すいません、俺ただびっくりして……。あの、課長が誰を好きだろうが関係ありませんし、周りにも言いませんし」
「うん、春川くんのことは信頼してるから、大丈夫だよ。それで……春川くんさ、コンパしてたんだって? 首尾はどうだったの」
「いやもう、若手達誘ったせいで最悪で。数合わせだって言ってももう少し空気読んでくれたって良いじゃないっすか。なのに大して喋りもしないし、挙げ句の果てにバックレる奴もいたりなんかして。幹事の俺もなんか悪者みたいになって……女の子どころじゃなかったっすよ……」
そういう理由で解散したところを僕と鉢合わせしてしまったのか。春川くんの気苦労も見て取れる。
人数合わせとはいえコミュニケーション不足の人員ばかり連れて行く判断もどうかというところだが、さすがにそこまでの塩対応をされるとは思っていなかったのだろう。
「クッソ……課長、今夜は飲みましょう」
「良いの? コンパで少しは飲んで来たんじゃないの?」
「いやもう、良いんです、あんな険悪ムードじゃ美味くもなかったですし。じゃんじゃん飲んでベロベロに酔いましょうよ」
「はぁ……君がそう言うなら付き合うけど」
とりあえずジョッキでビールを二人分頼み、春川くんは今夜の鬱憤を晴らすかのようにグビグビと音を鳴らして喉仏を上下させていった。
「す、すごい飲みっぷり」
「だって、さすがの俺でも頭来ますって。ホントに今夜は記憶無くすくらい酔い潰れたい……。あ! お姉さん同じのおかわり!」
「僕の身体だと、たぶん春川くんに肩を貸すことも難しいくらい体格差あるし……気持ちはわからなくもないけど、ほどほどにね」
ある程度の話は聞こうとしていたものの、春川くんの愚痴っぷりは相当だった。たぶん仕事のそれより酷い。
感情表現は豊かではあるが、いつもはここまでカンカンに怒る姿は見たことがない。一刻も早い異性との出会いを求めている春川くんにとっては、それだけ合コンが台無しになったのがショックだったという訳か……。これではすぐにまたの機会、ともならないから、せっかくのチャンスを物にできずさぞ悔しかろう。
春川くんが一方的に「学生時代に戻りたい」「これだから最近の若者は」といったおじさんに片足突っ込んでいる台詞を吐くたびに、僕にとっても胃が痛くなって数時間。熱く語られすぎて埒が明かないので、少しでもクールダウンしてもらえればと自分の過去を話してみた。
学生時代は遊園地でクマの着ぐるみを着て、子供達に風船を配ったり、一緒に写真を撮ったりするアルバイトをしていたこと。
それを一切よこしまな気持ちを持たない純真さで「ありがとう!」と言ってくれる幼子、微笑ましく見てくれるその子の両親や祖父母が好きだった。
これを素顔でやれば絶対に醜いと思われる、変質者の視線で見られる。最悪何もしていないのに警察を呼ばれる。美醜とはいつの時代もそういうものだ。
まあ、夏場でなくても太っているせいでいつも汗だくで、とにかく息が苦しくて、休憩時間を取りすぎて怒られて、三ヶ月で辞めたけど。
「何すかそのバイト!? しかも短っ! 俺も大学ん時はバスケの経験でスポーツ用品店で働いてましたけど、学校忙しくなるまで続きましたよ!? ギャハハ! めちゃくちゃ課長っぽい!」
アルコールのせいか、熱が冷えるどころの騒ぎじゃなくなっている。
今の春川くんはいつもより饒舌でハイになっていて、さっきからどれだけ再注文しているのか……テーブルにはつまみよりビールジョッキの方が多い。
うわばみというレベルではないが、顔もそこまで赤くなっていないし、春川くんを知らない人が見たらいつもこうなのだと思われそうだ。
完全に下戸だったり強いなら強い方が良かった。中途半端にテーブルに突っ伏してしまったせいで、どうにもならなくなった。
明日だって仕事があるから、ここで何時間も過ごしている訳にもいかない。
結局、春川くんのぶんも会計をして、彼をどうにか自宅に送り届ける決意をして……店を出た。
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