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1 そうだ、旅に出よう

 学校が休みで、本日は珍しくバイトもない、清々しい日曜日の昼近く。  起き抜けの足立奈智(あだちなち)は目の前で繰り広げられていた光景に、溜め息も尽き果て痛みを訴える頭で壁に縋りついた。  ──もう、やだ……。  二階の自室からリビングに下りてくれば、ソファで二人が仲睦まじくまぐわっていた。甘い雰囲気の中、男二人が。  襲っている方は我が足立家長男、下に組み敷かれて高い声を上げているのは三男・奈智と同じ顔した双子の弟である。  ぼそぼそと長男の低い美声が囁かれている。内容までは聞こえないし、聞きたくもない。その直後、一際高い嬌声が上がる。  勝手にしてくれと自室に引き返し着替えて携帯と財布を持っただけで、奈智は居心地の悪い我が家を後にした。  同性同士も近親者の恋愛もそれほど偏見は無いつもりだ。自分に降りかかってきたら、それは考えるが今のところない。そのため、血の繋がった実の兄と双子の弟がその様な関係になっても自分に害が無ければそれ程気にしない。恋愛は個人の自由である。他人が口出しする事ではない。ただ彼らの場合、他の一般的なカップルに比べ、事を致す場所に制限があるためか、両親のいない自宅でくっついていることが多い。  居たたまれないのは奈智だ。  兄と弟は嫌いではない。むしろ兄弟・家族としてはそれなりに愛情はある。  ただ全体的な雰囲気は違えど、基本的に同じパーツの作りの双子の弟がその様な関係になっているのを見たり考えたりしたくないだけだ。実際の最中などもっての外だ。  それを知ってか知らずか彼らは、気付けば場所をわきまえず両親の居ない自宅の至るところで事に及び、そのたびに奈智の心臓が止まりかけ頭痛と胃痛は進行する。溜め息は尽き果てた。お願いだからどちらかの部屋にしてくれ、というのが奈智の切実な願いである。悲しいかな、それが叶えられることはあまり無い。 「いい、天気……」  弾(はじ)き出されて疲れた気分が、暖かな陽の光で溶かされていくようである。  奈智は公園のベンチに座り、隠居中の高齢者よろしく日向ぼっこを楽しんだ。これで猫でも膝に乗っていたらバッチリである。  しばらく日光浴を楽しんでいると、次第に喉が渇いてきた。  そして、飲まず喰わず、トイレにも行っていないことに気がつく。 「……もう、やだ」 「なにが嫌なんだ?」  本日二度目の台詞を呟けば、頭上から問いかけられた。  ──だれ?  その背の高い見知らぬ男はやけに馴れ馴れしかった。 「どうした? 変な顔して、沙和(さわ)」  ──ああ、なるほど。 「あ、すみません。沙和と俺は双子で……」 「……双子?」  男は目をパチクリとさせて、それからまじまじと奈智の顔を覗き込む。  顎を捕まれ、左右上下と動かされる。 「ふーん。なるほどね、そっくりだけど違うな。沙和は可愛い系だが、お宅はどちらかってと美人系だな」 「はぁ、一卵性双生児なので作りはあまり変わりないと思いますが……?」 「ん? 雰囲気だよ。性格は違うだろ? 沙和の方が下か? お宅、何さん?」 「よく解りますね。えっと、奈智です」 「奈智、か。あんたの方がしっかりしてる」  くっくと喉奥で笑われた。  意味も解らず、首を傾げようとするも大きなごつごつとした指がそれを阻んでいる。  いい加減、離してくれないかなとぼんやり思っていると、思考を阻むように携帯の着信音が鳴り響く。  沙和だ。 『もしもしっ! 奈智! どこにいんの!? いつの間にか居ないしっ』  誰のせいだ。 「おはよ、沙和。今公園。えーっと……」  奈智は自宅から三駅ほど離れた現在地の公園名を伝えた。 『なんで、そんなとこに居るのっ!』  だから、誰と誰のせいだよ。  毎回友人宅へお邪魔もできず、天気のいい日は公園で日向ぼっこに勤(いそ)しむ。お陰で、近隣の公園は制覇してしまい、現在では公園巡りのキャンペーン真っ最中である。  一時期喫茶店で時間を潰したりもしたが、アルバイトをしているとはいえ、財布にとてもダメージを与えた。泣く泣く飛んでいった、我が汗水たち。  対して、日向ぼっこはタダだ。このぬくぬく感がたまらない。だが、流石に夏になったら無理だろう。それまでに兄と弟が改善してくれることを祈る。そうだ、いっそのこと旅に出よう。 「あ」 「おい、沙和。お前のにーちゃん、顔色悪いぞ」 『な! なんっで、そこに堀ちゃん先輩が居るのっ! 奈智! 変なことされてない!?』  弟の喚き声の発生源は男に取られた。そうか、沙和の先輩か。醸し出される大人な雰囲気から流石に年下ではないと思ったが。  先輩ならもう少し敬いなさい、沙和。 「うるせえよ。ちっと黙れ。お前んち、どこだ? おい、奈智、お前最後に飯食ったのいつだ?」 『ちょっとー、奈智のこと呼び捨てにしないでくんない?』  文句を垂れつつ、沙和は我が家に一番近い駅名を言う。 「ウチの方が近いな」 『ぎゃーっ! 奈智を連れ込むな、ヘンタ』 「あ」  堀ちゃん先輩とやらに、通話を切られた。  俺の携帯なんだけど。 「で? いつだ」  まだ、昼は食べてない。朝は寝ていた。昨日の夜はバイトで……あれ、食べてない? 「昨日の、昼?」  それも、沙和の約半分量の自分の弁当箱を一つ分。  気付かされた事実に自分自身で目を丸くした。  やれやれと溜め息を吐かれた。 「沙和は呆れるくらい喰うのに、あんたは喰わないのか」 「それほど空かないので。個性です」 「……個性か。で、こいつはお願いなんだが、敬語使われるとどうも、むずむずする。特に、沙和と似たような顔したあんたに言われた日にゃ、鳥肌もんだ」 「はぁ」  今立っているようには見えないが。 「ほら、行くぞ」 「……行く?」  スマホを人質に取られ、奈智は堀ちゃん先輩の後を付いていかざるをおえなかった。  そして、良いというのになぜか彼に美味い食事を奢られ帰路についた。  普段あまり自分のスマホも弄らない奈智が『堀克己(ほりかつみ)』という登録した覚えの無い名前を発見するのは、それから一週間後。

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