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26 糸口

「あれ? 奈智、どうしたの?頬っぺた」 「おはよ、真咲(まさき)。ほっぺた? ……あ、これ?」  夏休み直前の登校日、己の頬を指して不思議そうに小首を傾げる友人を見つめ、奈智は癒された。  ……やっぱり、和む。  普段周りに自分と同じ顔か、見慣れた家族か、男前だったり、大きかったりとあまり癒し系が居なかったためか、友人に安らぎを与えられる。  奈智を含め、二人でかわいらしく華を飛ばしているとは、教室に居る生徒のうち当人たちのみが気付かない。 「昨日の夜、切っちゃって」 「こんな所?」  手や足ではなく、左頬に張られた絆創膏。 「うん、昨日さ泥棒が入って」 「ドロボウ!? 大丈夫だったの? 奈智っ!」  昨夜帰宅時、物音がした。  どうせまた長兄と双子の弟だろうと思い、二階の自室に上がりかけた時に玄関の扉を開けて入ってきた、家庭内の恋人達。両親は共に出掛け、遅くなると聞いていた。  では、キッチンから聞こえてくる音は一体?  こっそりと覗けば、いつの間にか物音も止んでおり、勘違いだったのかと思い直せば空を切って横を掠める刃物。招かれざる客は多聴によって捕らえられ、その後を奈智は知らない。恐ろしくて、知ろうとも思わない。なにがって、長兄が、である。 「それで、これ」 「なんっで、そんな冷静なのっ!?」  自分の代わりに青くなってくれた友人を嬉しく思う。  ──あぁ、友情って素晴らしい。  ここの所、色々な人間に感化されて中々に思考がおかしくなってきていると、自分でも感じる。そこに、まともな感覚を持った人間に出会うと、修正される気がする。 「特に盗まれたものもないし、よかったよ」 「よくないよ! 奈智が怪我しただけでも、ヤダよ?」  困ったように眉を下げて、今にもその大きな瞳から零れそうな滴を見て、奈智は苦笑した。 「もう、大丈夫だからさ。ね? 真咲。蓮見(はすみ)もなんか言ってあげてよ──あれ?」  話しながら開けたロッカーには何やら封筒。  嫌な予感を覚えつつ、そのうっすらと緑掛かっている物体を手に取る。 「手紙? なんか、少し甘い匂いがするね、奈智。どうしたの? もしかしてずっとここに入れっぱなし?」  ──甘い、におい……? 「うーん、俺は入れた覚えないよ……あ、」 『僕の奈智。昨日は危機一髪だったね。綺麗な顔に傷作っちゃ、ダメだよ。僕のなんだから。僕の奈智。奈智奈智奈智奈智奈智奈智奈智奈智奈智』  以下同文。  同封されているのは、間違いなく昨夜の出来事と、撮った覚えのない自分の写真。一度水物に濡れて乾いたような、変に曲がって固まっている。そして何枚かの顔を黒く塗りつぶされた、知人たちの写真。  またか、との呆れと共に、写真だとしても知り合いの顔をこんなにされた憤り。自分だけならばいざ知らず。 「おい、何だこれ」  しばらく無言を通していた蓮見に上から低い声を掛けられる。 「あぁ、不思議と俺に興味持ってるらしい人が居て、時々気づいたら手紙とか写真とかが置かれてるんだよね」 「……それって、ストーカーじゃないのか?」  昨日の今日でご苦労なことだ。そしてその熱心さを他の有意義なものに活用したら、どんないいことだろう。  奈智は半目になって遠くを見つめ、ため息をついた。 「俺、男だよ?」 「男も女もそれほど関係ないだろ」 「しばらくしたら、ほとぼりも覚めると思うよ?」 「……いつから、なの? 奈智……」  普段は聞くことのない友人の地を這うような声音に、奈智は無意識に顎を引いた。 「ま、真咲……くん?」  もしや、怒ってる?  もしかしたら、はじめてかもしれない。こんな声。 「いつなの!?」 「え、えっと、この前の冬くらいから……?」 「半年も前から?!」  眼を剥く二人に、自分の方が焦ってしまう。  や、俺は悪くない、ハズ……。 「そんなに前からで、ほとぼりも何もないでしょ!?」 「……う」  むしろ、はじめの頃よりも悪化している。友人が目を吊り上げて言うのは、ごもっともではあるものの、だからといって自分からアクションを起こす気にならなかったのは事実である。 「奈智! ぜんっぶ、言いなよ!?」 「ハ、ハイ……」  友人の剣幕に押され、奈智は頷くほか、選択肢はなかった。 「なんだ、おまえら珍しいな。こんな時間に」  それは、そうであろう。これからホームルームである。  友人にはっしと腕を掴まれ、連行された先は生物室。目を丸くした白髪交じりの髭面教師を見上げて、友人は半ば睨みつけるようにした。 「和美(かずみ)ちゃん、ここの教室少し貸してっ!」 「おー、好きに使え。いつもクソ真面目に授業受けて、少しくらいサボっても問題ないだろ」  ……いいのか。あんた教師だろ。  ありありと顔に出ていた奈智を一瞥し、生物教師はメガネ奥の皺を深くした。 「こんな折原(おりはら)見たことない。足立(あだち)、何した?」 「……ナンニモシテナイ、デス」  俺は。  むしろ、被害を被った側なハズ。 「和美ちゃんは、これからホームルーム?」 「面倒くさい」  担任持ってるからね。  やれやれと彼は口の中の飴玉を転がしつつ、白衣を靡(なび)かせて己の受け持ちクラスへと足を向けた。 飲み物好きに出していいぞと言い残して。 「……で?」  眼が据わってるよ、真咲君。 「え、えっと……?」 「真咲、足立が困ってるぞ」 「だってね、蓮見!」 「お前が向きになっても、仕方ないだろう」  怒ってる友人と、一方冷静にそれを宥めようとしている友人のやり取りを他人事のように眺めていた奈智だったが、次に向けられた台詞に言葉を失った。 「ストーカーが俺らにも危害を加える可能性が無いとは言わせない。洗いざらい、さっさと吐け、足立」  自分の事を二の次にして、他人を優先させる奈智の性格を把握した上での威圧だった。  はじめは冬。その季節にしては暖かな日。 「出掛けてて、家に帰ったら手紙があって」  例によって防寒具を纏って公園で日向ぼっこをして、短い日照時間にため息をついて帰宅した時。  自分の名前が書かれた差出人不明の郵便物。自分を遠くから見ています、という内容の物だった。何かの間違いか、イタズラかと思った。それからしばらくして、物がなくなることが頻発。学校だけならば、いじめを疑う事もできるが、自宅でも相次いだ。飲みかけのペットボトルからはじまり、箸やコップ、下着まで。 「いつの間にか消えてるから、どんどん物が減っちゃって困って」 「……奈智。困る所は絶対、ソコじゃないと思うよ」  やや脱力気味の真咲に同意するように頷く蓮見も渋面だ。  切手と消印のない手紙が届くようになったのは、いつからだっただろうか?  自宅での写真だけでなく、学校生活での写真も同封されるようになったのは、いつからだっただろうか?  入浴中や着替えのときに視線を感じるようになったのは?  夜道帰宅中に車に押し込められそうになったのは、もしやストーカーだった? 「今までよく無事だったな」 「全然無事じゃないよ!」  頭上で交わされる不愉快そうな友人たちの会話。 「あ、でも、一時落ち着いたんだよ?」  変わらず手紙は送られてきていたが、写真は減った。  あれは、春。  ほとぼりが冷めたのかと思った。  冬は暇で、進学するなり進級するなり仕事がはじまるなり、忙しくなったのかと。  だが、そうでなかったと気付かされた近頃。  そういえば、あの頃は双子の弟の先輩に声を掛けられて知り合った時期だった。 「家族は知ってるのか?」 「兄弟は知ってるよ。親は多分知らない」  両親共に、新たな生命の誕生とともに新婚生活を満喫しているのだから。兄と弟は出掛けたときには早く帰宅しろという位で、他には特別ない。 「奈智、いっつもあんな変な手紙来てるの? 毎回読むの?」 「? うん。それなりに気になるし」  薄緑の封筒は既に見慣れたものになっていた。そのため、真咲に気付かされた『甘いにおい』。  よくよく思い出すと、奈智はこの匂いと何度か出会っていた。  ストーキングがはじまる前に。  もしや、と頭を掠める。証拠は、無い。 「奈智、本当に心当たりないの?」  心配そうに顔を歪める大切な友人に微笑む。 「うん、何とかなるよ」 あまりにも軽んじて放置してきた奈智の自身への対応に批判が飛んだ出来事。

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