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突然の訪問

「青葉くんは、記者兼カメラマンとしてはまだまだこれからだけどさ、男としては立派だからねえ。社内の女の子も何人かは青葉くんのこといいなーと思ってたみたいだし?」 「社内の女ども、バカじゃねえの?」 「アンタを選ぶよりは賢い選択よ」 千文がフンとせせら笑った。 「いい加減認めちゃったらどうなの?アンタは記者としても男としても人間としても、青葉くんに負けたの!だから伊達さんも青葉くんを選んだの!」 「うるせえな、嫁き遅れ!」 横居は、悔しまぎれに千文を罵倒した。 「嫁き遅れ?今どきそんな言葉使うのはね、失言して顰蹙買って辞任するハメになるような、ボケが始まった政治家のジジイだけだよ!それにね、嫁き遅れでもアンタよりは有能なのよ!今回のことで、迷惑してるのはわたしも同じなんだからね!アンタ、最悪の場合はクビね。いい気味だわ!ざまあみろ、バーカ!!」 千文は一通り横居を罵倒すると席を立ち、バッグを掴んで店を出て行った。 「なんだよ…なんなんだよ……」 横居はまたしてもテーブルに突っ伏して、みっともなく泣き言を漏らした。 雨が降っている。 横居の耳に、冷たい雨の音がザアザア鳴り響いて、なかなか止まなかった。 敏雄の家のインターホンが鳴る。 現在22時。 こんな時間にいったい誰であろうかと思いながら、廊下を歩いて玄関ドアを開けると、よく見知った顔がそこにあった。 「横居、お前、どうしたんだ?」 おそらく、横居は傘もささずにその辺を歩いていたのだろう。 髪も体もずぶ濡れになっていて、水を吸ったコートから、ポタポタと水滴が垂れてくる。 「ほら、入れよ」 いつまでもこんなところに立たせたまま、というわけにはいかないので、敏雄は横居の肩を引いて、ドアの内側に招き入れた。 「どうしたんだよ?傘もささずにいきなり来て…」 敏雄が問いかけても、横居は黙ったままだ。 「…仕方ねえな、風呂貸してやるよ。お前がここに忘れていった服とパンツ、洗濯してあるぞ。カゴに入れて脱衣所に置いといてやるから、それ使えよ」 言うと敏雄は、横居の手を引いて風呂の脱衣所まで導いてやった。 横居は大人しく連れていかれて、黙ったまま浴室に入っていった。 ──春也が来たら、何ていうべきかな… 浴室から聞こえてくるシャワーの音を聞きながら、敏雄は悩んだ。 かつて関係を持った男を家に入れるなど、あのやきもち焼きな恋人が黙っていないだろう。 ──風呂に入ったら、さっさと帰ってもらうとするか そう考えて、敏雄は横居が出てくるのを待った。 横居は、敏雄が思ったよりもかなり早く浴室から出てきた。 「ほら、これ飲めよ」 温めた牛乳が入ったマグカップを差し出してやると、横居はそれをずずずと音を立ててすすった。 「悪いけど、それ飲んだら帰ってくれ。濡れた服はいま乾燥させてあるから、乾いたヤツ持って帰れよ?」 「…やです」 横居は、やっと聞き取れるぐらいの声で敏雄の頼みを拒絶した。 「無理言うな。この後、春也が来るんだよ」 こんなタイミングで、妙なわがままを言う横居に辟易していると、インターホンが鳴る。 青葉が来たのだ。 やむを得ない。 青葉に理由を説明して、2人とも家に上げるしかない。 敏雄は廊下を歩いて玄関まで歩いていくと、ドアを開けた。 案の定、青葉がそこにいた。 「おう、春也。せっかく来てくれたところ悪いんだけどな、いま横居が来てるんだ」 ドアを開けるなり、敏雄はリビングの方を指差して、状況を説明した。 「は⁈なんでまた…」 青葉は、明らかに不愉快そうな顔をして驚いた。 「たぶん、他に頼れるヤツがいないんだろ」 これは事実だ。 ほかの記者やカメラマンは、ひっきりなしにかかってくる電話や、壁に書かれた嫌がらせの落書きの処理なんかに駆り出されていた。 結果、元凶となった横居は煙たがられて、誰にも相手にされなくなってしまったのだ。 「そんなの、横居さんの自業自得じゃないですか!むしろ、この程度で済んだことを喜ぶべきじゃないですかね⁈千文さんなんか、今回のこととはまったくの無関係なのに、顔にケガしたんですよ?女の人なのに、顔にキズが残ったら責任取れるんですかね、あの人」 青葉は納得いかないようで、カンカンになって抗議してきた。 「それはそうだけどな、春也。横居のこと、あんまり責めないでやってくれるか?あの落ち込み様じゃあ、追い出した先で何があるかわからん。自分の家で首吊って死んでた…とかもありえるぜ」 「あの人があ?そんな繊細なタマですかねえ?」 横居が室内にいると分かっていながら、青葉は大声でイヤミっぽく言い放った。 わざとかもしれない。 今の今まで散々イヤミを言われ続け、今回の騒動の尻拭いで手を煩わされ、さらに恋人の家に先に上がり込まれているとあっては、こんな口を聞きたくなるのも当然であろう。 「わかんねえもんだぞ。ふだん好き放題してる無神経なヤツに限って、何かトラブるとこっちが心配になるくらいに落ち込むからな」 敏雄は、経験則からの見解を述べた。 実際、日頃から女遊びが酷い男ほど、不倫が発覚して妻に別れを切り出されると、異常なほど落ち込むのを散々見てきたのだ。 「それにしたって…」 「わかってるよ」 敏雄は、それしたって横居の自業自得ではないかと抗議しようとする青葉の唇に、人差し指を当てで制止した。 「お前の気持ちはわかる。たしかにアイツの自業自得だ。でも、それだけに今のアイツは相当落ち込んでる。お前に突っかかる元気もないんだよ。だからいまは、お前も突っかかるなよ?わかったな?」 敏雄は、わがままを言う幼児をあやす幼稚園教諭のように、青葉の頬を撫でた。 「わかりましたよ…」 青葉は、敏雄のこのやり方に弱い。 こんなやり方をされては、怒っている自分が幼稚に思えてしまって、大人しくならざるをえない。 「横居には、なるだけ早く帰ってもらうように説得するからよ」 幼児扱いはまだまだ続く。 今度は、背中を撫でられた。 「はい…」 ばつが悪そうな態度で、青葉は渋々了承した。 「横居が帰った後は、気持ちイイお楽しみだ。たくさん付き合ってやる」 耳に唇がつくぐらいに顔を近づけて、敏雄が熱っぽく囁いた。 「はい…」 唇をつけられた耳が、熱い。 青葉は思わず赤面して、耳を押さえた。 「ほら、入れよ。寒いだろ、熱いの入れてやる」 敏雄は青葉を室内に招き入れると、玄関ドアを閉めて、鍵とドアロックをかけた。 そうして2人でリビングに向かうと、うなだれてソファに座った横居がいた。

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