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おとぎ話も始まらない

BAR Coronado。 そこは眠らない街の一角にある、男性のみ入店可能な会員制のバー。 なかなか表立ってはしづらい、男が男を一夜の関係に誘い口説くための場である。 一杯だけ飲んで好みの男を連れ出されてしまっては商売にならないので、それなりの入場料はかかる。 俺・大沢遊司郎(おおさわ ゆうしろう)は性的指向はバイセクシャルだったが、男を抱きたい気分になるとここに来る。 男女ともに決まった相手はなるべく持たない。セフレ程度に留めておきたくても、結局向こうが本気になってはしつこくされたりで面倒だからだ。 二十九歳。年収は同年代の平均をそこそこ超えていて、親からは早く結婚をと急かされるが、そんなものは右から左である。 「ユウ、久しぶりじゃん」 マスターが声をかけてくる。俺はここではユウと名乗っている。 「んー、ちょっと仕事とかいろいろあってさ」 「んなこと言って、ほんとは女の子の方と遊びまくってたんじゃないの?」 「違うし。女はたまに見た目のいいのを連れて歩くくらいでちょうどいいの。あ、マスター、ジントニックね」 「言わなくても覚えてるよ、ユウは常連さんだからね」 カウンター席の端が空いていたので、まずはそこで軽く飲みながら店内を観察する。 金曜の夜。まだ七時台だ。ダラダラと残業するようなバカらしいことは普段からしない。それでも今日は、誰かを抱きたい気分が特段高まって、早々に退社してきた。 こんなに早い時間帯に来たのは初めてかもしれない。 店内をさりげなく見渡せば、いつか見た顔に、いつか抱いてやったネコ、いつもいるやかましい両刀。初めて見るそこそこの美形はとっくに他の男に腰を抱かれていた。 誰でもいい。誰かを抱きたかった。好みの男は、後腐れなく抱かせてくれて口のかたい奴、それだけ。 その時、出入口のドアが開くベルの音がした。 カランコロンというその音色に、店内の男たちの視線はそちらに向けられる。どんな奴が来たんだろう、気にならないわけがない。俺も横目でそれを見やる。 「マスターこんばんは!」 明るすぎる大声。 オーバーサイズのパーカーにありきたりのスキニー。無難な感じに切り揃えられた黒髪も相まって大学生か、それより幼くすら見える。 「スミカちゃん、こんばんは。何週間かぶりかな?来てくれてありがとね」 「お金ないからあんまり来れなくてごめんね」 「いいのいいの、スミカちゃん可愛いから。あー、いつもの席はっと………ごめん、ユウ悪いんだけどその席、この子に譲ってあげてくんない?実は指定席なのよ、カウンターの端っこ」 随分若そうだが指定席があるくらいに常連なんだろうか。自分もそれなりにはここに通って長いのでいい気はしない。 「あのー、ごめんなさい……おれはその席じゃないとダメってマスターが言うから……」 スミカと呼ばれた幼さの残る青年が困ったような表情を見せる。目を見張るような綺麗系ではなかったが、大きな瞳の童顔が印象的だった。 そしてスミカの手首にはピンクのリストバンド。これはこの店内においてネコであることのアピールだ。 タチ希望の俺はブルー、ニュートラルな性癖の者はイエロー。それでマッチする相手を見つけやすくしている。 この子はネコか。悪くない見た目だし少し話してみるか。 「わかったよ。はい、指定席へどうぞ」 「ありがとうございます!」 スミカは俺の退いたカウンターの端の席についた。すかさず俺がその隣に陣取る。 「スミカくんっていうの?一杯おごるから、ちょっと俺の話相手になってよ」 「えっ、おれとお話してくれるんですか?やったー!」 そう言って無邪気に笑って見せる。何だか変わった子だ。 そういう素直でピュアなキャラクターをここでは演じているのかもしれない。それでいい相手を引っ掛けられれば万々歳だし、嫌がられたとしても本来の自分ではないのだからダメージは少ない。 「スミカくん、飲み物は?」 「えーっと、あれの名前何だっけ。マスター、おれのいつものやつ」 「あーハイハイ、今作るから待っててねー」 しばらくしてスミカの前に差し出されたのは、カクテルグラスになみなみと注がれたオレンジ色。 「へぇ、何っていうやつ?」 既に他の客の酒を作り始めているマスターに問う。 「シンデレラ。百パーセントのノンアルカクテル。スミカちゃんにぴったりの……まぁ理由はユウ自身で探ってみたら?」 その口調は何だか思わせぶりだ。 そうして乾杯を交わし、初対面の『推定』ピュア青年との会話に移る。 「俺の名前はユウ。俺のは本名に近い感じだけどスミカくんは?可愛い名前だよね」 「スミカは本名ですよ」 「へぇ、綺麗な響き。差し支えなければ、どんな漢字なのか教えてよ」 スミカがギョッとした表情をする。 「か、漢字……?おれ、そういうのちょっと苦手だから……」 「いや、でも自分の名前くらい説明できるっしょ?」 「マスター!ねぇマスター!スミカっておれの名前、どういう漢字だっけ?」 スミカはカウンターを乗り越えそうな勢いでマスターに話しかける。 「えっ、何何、急に。ちょっと待ってよー」 マスターは裏から顧客名簿らしき物を持ってきて、ぺらぺら捲っている。 「ああ、スミカのスミはさんずいに登るの【澄】で、カは御伽噺(おとぎばなし)の『とぎ』っていう字の【伽】だね」 澄伽、か。少し凝った漢字ではある。けれどこのバーにいるということは少なくとも成人なわけで、そんな大人が自分の名前の漢字を説明することもできないなんて、そんなことありうるのだろうか。 澄伽へのイメージは変わった子から、どこか違和感のある子へと変わる。 「澄伽くんはいくつなの?」 「おれは二十一です」 「若いなぁ。俺は二十九なんだけどそのくらい離れてても大丈夫?」 「え?何がですか?」 「いや、だから、年が八つ離れててもその……例えば、この後話してて気が合えばさ、言うなれば別のとこ行く的なアレというか……」 「いうなれば、って何ですか?」 話が噛み合わない。ひょっとして俺はお前なぞ端(はな)から対象外だと、からかわれているのか。 「はー……澄伽くんって、こういう大人の社交場的なとこ、来なそうなタイプに見えるけどね。何かピュアすぎて似合わない感じする」 これはちょっとした嫌味で反撃だ。俺の相手になってくれる気があるなら、早めに色っぽい雰囲気を出してくれる方が都合がいいのに。 「えっ、おれってここ来たらダメなんですか?二十一歳だから大丈夫ですよ」 「そりゃまぁ年齢はな」 何だか呆れてきてしまった。カウンターの上に放っていたタバコに火を着ける。 「ユウさん、だっけ?タバコ吸うんですね」 「キミが嫌なら隣じゃ吸わないようにするけど」 「ううん。おれね、タバコ吸ってる男の人見てるの好き。あと煙の匂いも嫌いじゃないから、流れてくる煙吸っちゃう」 澄伽が真っ直ぐな目でじっと見つめてくるから、少しはいい気分になった。 先ほどから話があまり通じていないが、顔は可愛い。つるりとした肌に丸っこくよく動く目、キスをねだっているような上向きの薄い唇。体格も抱くにはちょうど良さそうなサイズ感。 「副流煙吸ってんのかよ。ガンになるぞー」 「ふくりゅーえん?何それ、わかんないや」 抱くか、抱かないか。気持ちとしては抱いてみたい。 さすがにセックスの間は、わけのわからないことも言えずにアンアン喘いでくれるだろう。 「澄伽くん、」 「うん?」 少しだけ耳元に口を寄せる。 「俺、キミのこと気に入ってきちゃったんだけど」 そのままそっと腰に手をまわす。澄伽が困ったように俯く。大丈夫、これは照れているフリだろうから。 「これ飲み終わったらさ、ふたりになれるとこ行ってゆっくり話そ?」 澄伽が顔を上げ、俺の方を見てにこっと微笑む。 「もっとお話してくれるんですか?嬉しい!」 腕にぎゅうと抱きついてくるのが子どもっぽいけれどまあまあ可愛い。もはや裸にひん剥いて征服してやることしか頭になかった。 「マスター、お会計。俺とこの子の分」 「澄伽ちゃん、ほんとにこの人と行くの?大丈夫?」 「うん、行く!」 マスターはやたら心配顔で。若くてウブな男の子を騙して連れ出そうとする、悪人の扱いをされているようにさえ感じる。 まぁ俺もそれなりにこの店の常連だ。マスターからの信用はそこそこ得ているはずだ。今夜は容易(たやす)く釣れたこの若い身体を美味しく喰えればいい。 湿っぽい空気のこもったバーから、今度は排気ガスで淀んだ夜のホテル街へと繰り出した。 キョロキョロふらふら歩いていて危なっかしいので、仕方なく手を引いてやった。こんなことはルックスのいい女にたまにしてやる程度だ。 しかし澄伽本人は喜びも嫌がりもせず、やっぱりそこら中にそびえ立つラブホテルを楽しげに見渡している。 「ねぇ、ここ魚がいますよ!すごい!キレイ!」 手を引かれてついて行けば、そのホテルの外壁は水槽になっていて、色鮮やかな熱帯魚が泳いでいた。 よっぽど地雷レベルに汚くなければ別にホテルなんてどこだっていい。 「じゃあここにしようか」 いつまでも水槽にへばりついていそうな澄伽の腕を引いて、中へ連れ込む。 部屋写真のパネルの前で好きなボタンを押させてやり、三時間の御休憩を選んだ。 エレベーターの中で腰を抱きながら、 「澄伽くんは魚が好きなの?」 と尋ねてみれば、 「魚?お刺身とか好きですよ」 と返ってきた。俺はもういい加減会話を諦めた。

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