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第1話
「ご主人、寒くないか? 今夜の月の光はなんだかひやい感じがする」
犬のロロは自身の主人に尋ねた。
「黒魔術でその姿にされて、第一声がそれかい?」
主人と呼ばれた男――ロダンテは、皮肉っぽく返した。彼の蒼い瞳はロロのみずみずしい裸体に陰のある劣情を向ける。無邪気な性質のロロは主人から自分へ向けられた眼差しが捕食者→被食者のそれであることなど、まるで気づかず、ただ、主人の台詞の意図を知るべく、自分の姿――首から下の自分の肉体を見た。
「…うわぁぅう!! ご主人!! オレ、にんげんになってる!!」
「人語を喋っておいて自覚してなかったのかい。そうだよ。私が君を人間にしたんだ」
「どぉやって?」
「だから…黒魔術で。月が一番満ちて、月光の一番青白い夜に、大鍋に琥珀を削って、人魚の鱗を少々、ムカシオオトカゲの化石の粉末と、山羊の角、人間の若い男のせ、…ああ、この先はやめておこうね」
「く、くくくくくく黒魔術!? ご主人、魔術使えたんか!! すげぇ!!」
「いつも君の見ている前で使っているじゃないか」
「…え? …あ! ああ、そっか! ご主人がいっつも鍋でぐらぐら茹でてるの、魔術だったんだな!!」
大はしゃぎするロロとは対照的にロダンテは深々とため息をついた。
「…君は、私の見立て以上に馬鹿な犬だったようだね……。言葉を喋る力も、人の子の姿も、与えないほうがよかったかな?」
「わう!? ご主人、ひどい、ひどい!! なんでそんなことゆうんだよぉぉ!!」
ロロは鼻水が垂れるほど泣きながら、犬の姿だったときの感覚でロダンテの胸に飛び込もうとしたが、ロダンテは飛びつくロロを華麗に躱した。
ゴチン!
「あいてっ!!」
ロロは床にべしゃっと崩れ落ちた。黒魔術で人の姿にされたロロは睫毛の長い綺麗な顔立ちの青年だが、美しい顔面を床でしたたかに打った。
「いってぇぇよぉぉ!! ご主人~~~!!」
「うるさい」
「うぅぅ……。ご主人は今夜の月の光より冷たい…」
へたり込み俯いてべそべそと泣くロロ。ロダンテはロロの顎をクイと手で持ち上げて上を向かせた。そして、ロロの涙を舌先で掬い取る。
「ご主人? 目ヤニは不味いと思うぞ」
「お前は本当に馬鹿な犬だね。涙を拭いてあげたんだろうが」
ロダンテは先ほど舐めとったロロの涙を舌先に乗せて見せつけるようにした。しかし、ロロの涙とロダンテの唾液は既に混ざり合い、境界線を失い、区別がつかなくなったあとだった。
「ご主人、ありがと」
にっぱり笑うロロにロダンテは返事をせず、そっぽを向いた。照れ隠しだった。
ロダンテに親はいない。恋人も友人もいない。森の奥に籠ってひたすらに魔術と薬学の研究に明け暮れ、人が会いに来ることはない。手紙も届かない。人嫌いの激しい気難しいロダンテにとって、仔犬時代に森に捨てられて路頭に迷っていたところを拾い育てた大型犬のロロだけが、唯一、自分以外の体温なのだ。
だから、人間にした、
同じ言葉で話がしたかった、
友になりたかった、あわよくば恋人にも。
……だなんて、ひねくれ者のロダンテが認める日は永劫来ないかもだけど、
そんなことは構わず、ロロはロダンテを愛するだろう。自分を拾って同じ言葉を話せる口を与えてくれたかけがえのない恩人として。
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