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第2話

その言葉を最後に、夕翔はとっととこの部屋を出ていってしまうだろう。しんと静まり帰った部屋の中で、俺は呆然やを明かすに違いない……。  そう思っていたのだが、聞こえてきたのは、夕翔の焦りに焦った声だった。 「……いや、ちょ、ちょっと待ってよ!! ちげーだろ! ここはもっと必死になって俺に縋るとこだろ!!」  泣きそうな声に項垂れていた顔をパッと上げると、夕翔がわなわなと唇を震わせて涙目になっていた。  捨てられるのはこっちなのに、どうして夕翔が取り乱しているのだろうか。 「え……? いや、だって」 「いやだよ俺! 終わりたくなんかないよ!! 俺、初めて会った時からお前のこと好きだったのに……!!」 「へっ?」 「お前がお兄さんのこと好きなのかなあなんてこと、初めて飲んだ日からとっくに知ってるし! 酔っ払うと絶対お兄さんの話するから、そんなの明らかにすぐわかるし!!」 「……え、うそ……」  そんな前からバレていたのかと、俺はまた青くなった。  だが、夕翔はもっと青い顔でフラフラと俺のほうへ歩み寄り、がくっとへたり込むように俺の前に正座した。 「うそじゃねーよ! でも、それでも、いつかは俺だけ見てくれるかもって、それならいくらでも待とうって、思って……」 「……待つ……? 俺を?」 「……お兄さんが結婚するってお前から聞いたとき、俺、やっと瑞希が俺のことだけ見てくれるかもって、勝手にめちゃくちゃ喜んでた。……お前の気も知らずに、やっと俺の時代来たーって、すげー期待してたんだ」  夕翔が、赤く潤んだ目で俺を見つめた。  こうして目線を交わし合うことなど何度もあったはずなのに、今はじめて、ドクンと胸が大きく跳ね上がる。 「なのにお前、傷つきまくってすっげーへこんでんだもん。……なんか、めちゃくちゃイラついた。しかもまたエッチで誤魔化そうとするから、つい……あんなこと言った。ごめん」 「え……あ、いや。ごめん、俺のほうこそ……」  思わず俺も正座して、スラックスの膝の上で拳を握る。 「これまでずっと夕翔を見てなかったってのは……図星。でも、夕翔も俺のことセフレとしか見てないと思ってたから、内心それでもいいんだろうなって思ってってとこは、ある」 「……そうだよな。俺、告ったことないし……」 「けど、兄貴のことでずっと悩んでたけど、夕翔と一緒にいるときはいつも楽しかったんだ! それはほんとだよ?」 「……。ほんとかなぁ」 「本当だって! お前優しいし、話してると楽しいし、課題一緒にやったり、出かけたりするのも楽しいよ! 夕翔とするエッチだって……好きだし」 「……」  勢いのままそう言ったあと、気恥ずかしくなって俯いた俺の手を、夕翔の手がそっと握った。  そういえば、手を握られるなんて初めてじゃないだろうか? 手を繋いだり、そういう恋人のような仕草は俺たちの間にはほぼなかった。  セックスをしていないときは、どちらかというと普通の友達のようなノリが強かったからだ。  ……だが今は、手も熱いし顔も熱い。さっきよりも、顔を上げることができなくなってしまった。 「……瑞希、あのさ。俺、瑞希のことすげー好きなの」 「う、うん……」 「初めて会ったとき、こんな爽やかなイケメンがなんでマッチングアプリなんか使ってんだ!? ってびっくりした。かっこいいし、女子ウケもいいし、頭良さそうだし……ってか実際頭いいんだけど、お前みたいのが、俺みたいなテキトーなのと真面目に付き合ってくれるわけないだろうなって、ずっと遠慮してたんだ」 「……遠慮?」 「俺……人との距離感、どう保っていいのか、あんまわかんないからさ」  顔を上げると、夕翔は眉を下げて苦笑した。  どこか影を帯びた大人びた表情に、どくん、どくん……と心臓が忙しなく早鐘を打つ。  夕翔は、こんな顔をする男だっただろうか。 「中学の頃、告ってきた女子にゲイだから無理って断ったんだ。せっかく告ってくれたんだし、正直にならないとダメかなと思ってさ」 「え、自分からゲイって言ったのか?」 「うん。……その子は秘密にしとくって言ってたんだけど、やっぱ噂になっちゃって。けど、なんかこう時代だしってことで、みんなあからさまに否定とかしないわけ。……だけど、ふんわりさ、ああ避けられてんな〜っ、陰口叩かれてんな〜ての感じることはあって、ああ言わなきゃよかったなって気づいた頃には、手遅れだった」 「え。手遅れって……?」 「惚れてたクラスメイトがいたんだけど、俺のいないところで『あいつまじキモい、消えてほしいよな〜』って笑ってんの聞いちゃって。……なんか心折れちゃって、一年くらい学校行けなかったんだ」  初めて聞く夕翔の過去だった。  全身からチャラいオーラが溢れ出している夕翔が、まさかそんなきつい過去を抱えているとは夢にも思わなかった。  ……いや、夕翔に過去があるってことさえ、俺は考えようともしなかった。今が楽しければそれでいい、兄貴への気持ちを紛らわせることができればそれでいいからと、夕翔を利用していたからだ。 「それは……きついわ」 「だろ、きっついだろ」 「うん。……よく乗り越えたなって思う」  俺の手を包む夕翔の手を、今度は俺からぎゅっと握りしめた。  すると夕翔はぴくっと手を震わせたあと、「へへ……」と照れくさそうに微笑んだ。  そして、ひたむきな眼差しで俺をまっすぐに見つめてこう言った。 「俺……ずっと瑞希とちゃんと付き合いたかった。けど、告ったら絶対フラれるじゃん? だから、セフレでいられるならそれでいいかなって思ってた。けど……もう限界。もうそろそろ、マジで俺のことだけ見てほしい」 「夕翔……」 「好きなんだ、本気なんだよ! お兄さんがマジもんのイケメンだってことは知ってるけど、俺のほうが、絶対瑞希のこといっぱい笑わせてやれるし、絶対俺といたほうが楽しいって思ってもらえるように頑張るから!! だから……」  必死の表情で訴えかけてくる夕翔の唇を、俺はキスで塞いでいた。  俺からキスをするなんてのも、おそらくは初めてのことだ。よほどびっくりしたのだろう、夕翔が目をまんまるにして硬直している。  ポカンとした夕翔の顔が思いのほか可愛くて、俺は思わず笑ってしまった。 「いいよ、頑張らなくても。頑張らなくても、俺、夕翔といると楽しいって言ったじゃん?」 「……ほんとに?」 「本当だよ。俺のほうこそ、気づくのが遅くなって、ごめん。失いかけて初めて大切さに気づくってやつ……俺、初めて体験した」 「み、瑞希〜〜〜……っ!」  潤んでいた夕翔の目からぼろぼろぼろと涙が溢れ出す。そのままぎゅっと抱きしめられ、身に馴染んだ夕翔のぬくもりに安堵して、俺は思わず破顔した。  吸い寄せられるように互いの唇が触れ合い、そのまま床に押し倒される。  キスは正直、あまり好きじゃなかった。  いつもはセックスの前戯のひとつとしてしか認識していなかったし、行為を盛り上げるためにはしておいたほうがいいんだろうなくらいの感覚で夕翔と唇を重ねていた。  だからそこまでキス自体を気持ちがいいと感じたことはなかったのだが……。 「ん、んっ、……ぁ……」  横たわった俺の髪や耳を撫でながら、夕翔は俺の口内を舌で柔らかく愛撫する。  それだけでもくすぐったいような心地よさが湧き上がり、興奮がじわじわと腹の奥のほうへ集まってくるのがはっきりとわかった。  ”熱を帯びる”とは、まさにこのことなのだろう。夕翔の舌遣いのひとつひとつに、はっきりとした気持ちを感じ取ることができるし、キスを交わすごとに身体中がゆるんでゆくのがわかる。  夕翔のほうも同じ感覚なのか、それとも俺が拒まないからなのか、いつも以上に時間をかけた丁寧なキスだった。 「はぁ……っ……、っぅ……ん」 「……瑞希、なんか今日、声エロい」 「ん……そう、かな……」 「それに、すげぇ気持ちよさそうな顔してる。……めちゃくちゃ嬉しい」  夕翔は愛おしげに目を細めて微笑むと、ちゅ……っと柔らかな音を立てて俺の下唇を啄んだ。  そのままタンクトップをめくられて、ツンと尖った乳首にねっとりと舌でくすぐられる。 「ァっ……!」 「……ん?」 「や……なんか、いつもより……っ」  キスで敏感にさせられてしまったとでもいうのだろうか、乳首攻めは好きな方だが、今日の快感はいつもの比ではなかった。  夕翔の動きのひとつひとつにいちいち「あっ!」「んぅっ……!」と声が漏れてしまい、恥ずかしさのあまり顔から火を吹いてしまいそうだ。 「……いつもより硬いもん、ここ。こんなに尖って、すげーエロい」 「っ……ン、あっ……ばかっ、そんなこと、言うなよ……っ」 「可愛い、瑞希。……気持ちいい? どうしてほしい?」 「ぁ、あっ……!」  じゅっと音を立てて吸われ、離されては舐め転がされ、反対側のそれも指先で捏ねられる。夕翔の愛撫のたびにびく! びく! と腰が跳ね、痛いほどにペニスが張っているのが自分でもわかった。  欲しいところを淡く指で辿られて、俺は思わず「ぁんっ……!」と甘い悲鳴を漏らしてしまった。スラックスの上からだというのに、あまりにも気持ちが良くて、勝手に腰が揺れてしまう。  スラックスごしにぐにぐにと揉みしだかれながら、ツンと勃ち上がった乳首をきつく吸われるという甘い責苦に耐えかねて、俺は「やめ……やめろよ……っ」と呻く。 「ははっ……すげぇガチガチじゃん。いつもはそんな勃ってないのに」 「んっ……はぁっ……だって、なんか……」 「ん? ……だって、なに?」 「……こんなに気持ちいいの、はじめてかも……」  掠れた声でそう訴えると、夕翔は愛撫の手を止めて俺を真上から見下ろしてきた。  力の入らない目で見上げる俺を射抜く夕翔の眼差しに、これまでにないほどに雄じみた光を見つけて、ぞくりと全身が興奮する。 「瑞希って、そんな可愛いことも言えちゃうんだ。……はは、やばい。もう無理そう」 「可愛いとか言わなくていいって、いつも言ってんだろ。恥ずかしいって……」 「今日はダメだわ。瑞希が可愛すぎて俺がどうにかなりそう」  そう言うや、夕翔はベルトを緩めてジーパンの前をくつろげ始めた。  俺がフェラで勃たせるまでもなく、夕翔のペニスはいつにも増して隆々と勃ち上がっている。  ドクドクと滾る血流が血管を浮き上がらせ、あまりにも雄々しく反り返ったそれを目の当たりにして、俺は思わず生唾を飲み込んだ。 「……夕翔の、そんなでかかったっけ……?」 「わかんないけど、今、瑞希のことめちゃくちゃにしたくてたまんないよ」 「め、めちゃくちゃ?」 「ねぇ、抱かせて? ……ダメ?」 「う」  熱でひりついた眼差しで見つめられながら懇願されると可愛くて……NOとは言えなかった。  俺がこくりと頷くと、夕翔はわかりやすく顔を輝かせ、俺に覆い被さってきた。  夕翔とのセックスなんて慣れたものだし、お互いのいいところも全てわかっているつもりだった。  きちんと手順を踏んで、俺の身体を気遣うようなセックスをする夕翔に甘えきっていたところもあるし、これといって無茶なことをされたことも一度もなかった。  きっと夕翔は俺に遠慮して、欲望を抑え込んでいたのだということを、俺は今日はじめて知った。  前戯もそこそに挿入されてからずっと、この部屋の中には肌のぶつかり合う弾けた音と、俺たちの喘ぎ声が響き続けている。 「ぁっ……! ぁんん、んっ、んぁっ……!」 「……はぁっ……は、……スゴっ……締めつけやば……」 「ん、んっぅ……まっ……まって、イってる、イってるからぁ……っ」 「ごめ……腰、止まんない……っ。だって瑞希んナカ、ずっとうねって、俺のこと締めつけて……」 「や……、またくる、イクッ……!! ん、んんん……っ!!」  四肢で夕翔を抱きしめながらビクビクッ……! と全身を震わせながら中イキする俺につられたのか、夕翔も「っ……出る、っ……っ……」と呻くように囁いて、俺の双丘に腰を叩きつけた。  ゴムをしていても、びゅくびゅくと中で放たれる夕翔の精液の熱さと量を感じてしまい、またそれに興奮を煽られてしまう。 「はぁ……はぁ……。待って……ゴム替える」 「んん……も、無理だって……」  ずるんと夕翔のそれが抜き去られ、俺はぐったりと床の上で脱力した。  あれだけ何度も出したくせに、夕翔のペニスはまだ余裕で力を保っているようだ。口にゴムの袋を咥えながら、白濁をたっぷり溜め込んだそれを外す夕翔を見上げながら、俺は自らの放ったもので濡れた下腹をのろのろと見下ろした。  ——も……どっちで何回イかされたかわかんないな……  そろそろ疲れたし限界だ。肌も濡れて気持ち悪いし、シャワーを浴びたい。  シャワーを求めてのろりと身体を起こし、四つ這いになった途端、がしっと腰を掴まれたかと思うと、ずぷん……! とバックで挿入された。 「ァっ……! も、勝手に……っ!」 「逃げんなよ、まだ終わってない」 「逃げてないしっ、……ってか、まだすんの……?」  すっかり汗ばんだ俺の背中を、夕翔の指先がつう……と撫でる。ぞわぞわと込み上げてくる甘い快感に「あ、あ……ん」と背中をしならせる俺の隙を突くように、ずん、ずんと再びピストンが始まった。 「……ねぇ、やめたい? 本当に?」 「ん、あっ……ァっ……はぁ、こら、ゆうひ……っ!」 「……こんなに、ナカひくひくさせて、俺のこと欲しがってるのに?」 「うるさいばか、っ……! ァっ……、ん、ぁんっ」  四つん這いで腰を掴まれ、ぱん! ぱん! と敢えてのように音を響かせながら腰を叩きつけられていると、妙に嗜虐心をくすぐられるような心地になってくる。  されるがままに揺さぶられながらのろりと後ろを振り向いてみると、熱に浮かされたような表情で腰を振る夕翔と目が合い、きゅううんとまた内壁が締まってしまう。 「ぁ、あっ……」 「っ……瑞希、締めすぎ……。マジで良すぎるんだけど」  ぐ……とさらに強く腰を掴まれ、ぎりぎりまで引き抜かれた夕翔のペニスが、勢いよく最奥まで突き立てられる。  すっかり熟れて敏感になった内壁とともに、前立腺を硬い切先で擦り上げられ、俺は腕を突っ張っていることができなくなった。  尻だけを自ら高々と差し出して、荒々しい抽送に歓喜する肉体はまるで自分のものではないようだった。  夕翔のまっすぐな感情に熱せられ、俺の情感にも火がついてしまったらしい。これまでにないほどにどこもかしこも鋭敏に夕翔の愛撫に反応し、歓喜している。  もはや声を我慢することも羞恥心も全て忘れて、俺は夕翔とのセックスに溺れていた。夕翔がこんなにも情熱的に俺を抱くのも初めてのことだ。  この三年半、何度も身体をつなげていたはずなのに、まるで初めて夕翔に抱かれているような気分だった。 「ぁ、ぁう、あ、あッ……!!」 「ああ……イイ、瑞希んナカ、良すぎて……っ、はぁ……」 「ぁ、あっ、きもちいい……っ、んっ……ゆうひの、きもちいい……っ」 「……っ、そのセリフやばいって、かわいすぎ」 「ん、……うぁ、なんかくる、スゴイの……っ……ん、んんんっ……!」  もうイけないと思っている俺の感情を上塗りするように、何度でも達してしまう。そのたび夕翔のペニスを浅ましく締めつけて、種を搾り取るかのように。  そのあともバックのまましばらく俺を抱いていた夕翔も、ようやく限界に達したらしい。  俺の隣に横たわり、はぁ、はぁと荒い呼吸を繰り返していた夕翔の手が、そっと俺の首筋を撫でた。 「ん……」  うつ伏せになっていた俺と視線を合わせて、夕翔は無防備な笑顔を浮かべた。 「瑞希、好きだよ」 「うん……今更だけど、すごい、伝わってきた気がする。……夕翔の、気持ち」 「ははっ、遅すぎかよ。……でも、嬉しい。今日はちゃんと瑞希とエッチしてるって感じがした」 「はは……。俺らもう、数え切れないくらいエッチしてんのにな……」 「ほんとそれな」  お互い気の抜けた顔でしばらく笑い合ったあと、俺たちはまたキスをした。  何度も、何度も。  あれだけ感じていた兄貴へ向かう苦しい感情は、気づけばすっかりと消え失せている。  失恋の苦さは今もある。  だが、痛みはない。  夕翔を失う強さを知り、夕翔の本音を知った俺は、最も大切にすべき相手が誰なのかと言うことに、ようやく気づくことができたらしい。  了

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