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再会

 鈴木辰紀(すずきたつのり)は2年ぶりに住み込みのリゾートバイトをしていた。高校2年生の夏休みに友達の紹介でバイトしていた旅館の女将から、大学受験も終わったでしょう? と直接連絡が来て、また1ヵ月ほど清掃のバイトをさせてもらえることになったのだ。そのバイト先が用意してくれていた寮も前と同じで、その外観を見るだけで懐かしい思い出がよみがえってくる。  一昨年の夏、所謂ひと夏の恋というものを経験した。相手は、隣の部屋で別の人と相部屋をしていた「リョウ」というフリーター。2人部屋をたまたま辰紀が1人で使うことになっていたのを良いことに、相部屋相手と気まずいとか何とか言って入り浸っていたのがその男。素性はよく知らない。分かるのは、リョウと呼ばれていたことと、見た目の年齢は20代前半ということ。そして男が好きであるということだけ。ベロベロに酔っぱらった彼が絡んできたので、自分はゲイだから離れたほうが良いと言って引き離そうとしたら、ケロッとした顔で「じゃあ、お揃いだな」と返してきたファーストコンタクトが印象深い。 リョウの容姿は、ぱっと見女受けしそうな遊び人風。普段から日焼けする環境にいるのであろうと思われる浅黒い肌にカラフルなTシャツを着て、ダメージの入ったジーンズを低めの位置で履きこなす洒落た男だった。軽い調子で話す明るい声が眩しく、遊び慣れた様子の仕草が忘れられない。チャラチャラとした雰囲気の割に写真に写りたがらず上手くかわされ、彼との思い出の品は1枚だけ隠し撮りした写真のみ。  旅館の大浴場の清掃で明け方のシフトが入っていたので、チェックアウトの客室清掃業務までをこなして昼過ぎにくたびれて帰ってきた。こちらに来て2週間も経っていないが、今日の朝、これまでの相部屋相手は契約期間を終えて地元へ帰ったらしい。さっそく今日から別の相手が宿泊することになっている。どんな人物であろうかと緊張しつつ部屋のドアを開けると、今日からの同居人がいた。浅黒い肌、見覚えのあるファッション。 「……リョウ、くん?」  ドアのほうに背を向けて、ベッドの上に広げていた荷物を整理していたらしい彼は、かがめていた腰をすっと伸ばした。ワンテンポ遅れて振り返ったその人物は、やはり記憶の中にある「リョウ」であった。 「……タツ、久しぶり」 「やっぱり、リョウくんだ!」  辰紀はドアを閉めるやいなや、部屋の中の男に駆け寄って抱き着く。リョウは困ったように笑ってそれを受け止めた。2年前よりも身長が伸びていて、1~2センチほど追い抜かしてしまったように思われるが、前と変わらず頭を撫でられる。懐かしい感覚に嬉しくなり、口元が緩んだ。 「大学生になったんだろ?」 「うん。東京の大学で勉強してるよ」 「じゃあ、今は一人暮らしか」 「いいや、実家から通ってる」 「宇都宮からか? お前の母ちゃんは心配性なんだな……」 「あはは! よく覚えているね」  2年前に少しだけ会っただけで、こんなにも細かいことを覚えてくれているというのに、彼のことを少しも知らない。やはり少しばかり悲しく思った。無邪気に笑うふりをしたが、そのことはすっかりバレているのだろう。 「ねえ、リョウくんは? 今、何してるの?」 「まだフリーターだな」 「ふーん。ってことは、何か夢でもあるの?」  その質問にリョウは動きを止める。言葉が喉元に引っかかっているかのように、くぐもった声であーともうーともつかない音を出して焦りを見せる。あまり、そこには触れられたくないのだ。一昨年も、こと経歴に関する質問だけは渋い顔をしていた記憶がある。 「そんなことより、寝てねえんだろ? 早く休んでおけよ」 「……嫌だ」  早くこの話を終わらせたいようで、別のことに話題をすり替えることを試みる。辰紀は眉をひそめて、口をへの字に曲げ怒っていると全力で示した。その上、悲しげな瞳がそれ以上に物を言う。傷ついていると。それを見たリョウはどうしたらいいものかと、荷解きを再開しながら軽くため息をついた。 「だって、前みたいに何にも言わずに出ていっちゃいそうだから……」 「いや、オレの雇用期間はこれからだが?」 「そういうことじゃない!」  視界に入るように窓のほうへ移動して、プクーとでも言わんばかりに頬を膨らませる。二十歳(はたち)近くの男がすることじゃねえだろ、とでも言われそうなものだが、わざとらしい仕草には触れられず話は続いた。 「どういうことだっつーの」 「僕は、リョウくんのことが好きなんだよ! だから、あなたの素性どころか連絡先さえ分からないまま、お別れしたくないんだよ!」  今までの2年間、思い出してはチクリと走った胸の痛みを思い出す。せっかく訪れたチャンスを不意にしたくない。この機会を逃せば、またしても上手くかわされそのまま別れることになりそうだ。今にも叫びだしそうな勢いでまくし立てると、気圧されたのかへらへらとしていたリョウが一歩後ろに下がった。じっと目を見つめると、居心地悪そうに目をそらされる。 「まだ、オレのこと好きなのか」 「うん」 「オレが何も明かさないから、興味があるだけじゃねえのか」 「違うよ」 「ちょっと年が上だから、間違えて憧れちまっただけだと思うぜ」 「違う! 僕は本気だ」  普段よりも数トーン低い声が出た。涙を薄っすら浮かべた瞳で、のらりくらりと逃げようとする男を睨みつける。それに対し、肩をすくめて誤魔化すような苦笑が返ってきた。 「オレのこと知ったら、お前の思い出が壊れちまうよ」 「あなたのことをただの綺麗な思い出にしたくないから、知りたいんだ!」  辰紀が振り絞った勇気はリョウに伝わったようで、スカした様子を引っ込めて神妙な面持ちになった。誰にも言うなよ、と警告してからひとつだけ己の秘密を明かす。 「オレは、偽名を使っている」 「……じゃあ、リョウくんは“リョウ”じゃないの?」 「いや、オレのあだ名はリョウだから、オレは“リョウ”なんだよ」 「そっか、良かった」 分かったような、分からないような。しかし、これ以上を求めればすぐに逃げようとするのは目に見えている。こう見えて、きっと繊細な人なのだ。追求したい気持ちを抑えて、にこりと笑う。それから、この話はおしまいだという台詞の代わりに、自分のベッドに戻り寝転がって瞼をおろす。 「タツ」 「なーにー?」 「オレもお前が好きだよ」 「ほんとに?」  寝ころんだまま体の向きを動かし、上目遣いで正面に立つ男を見上げる。その態度にムッとした様子のリョウは、しゃがんで辰紀の額を中指ではじく。痛いよぉ、とわざとらしく文句を言うと、怒った顔は笑顔に変わった。 「嘘なんかつくかよ。現に、お前に会えるんじゃねーかと期待して、ここに来たからな。……カッコ悪いだろ?」 「嬉しい。僕に会いたいと思ってくれていたってことでしょ?」 「幻滅、しねーのか」 「するわけないじゃん。嬉しいよ」 「……オレの秘密、お前には話さないといけないかもな」 「待ってる」 「そうか。……じゃあ、おやすみ」  聞きながら隠れてあくびをしていたのを見られていたようで、おやすみ、と言われてしまった。今日来たばかりの相部屋相手は荷物の整理に戻って、タンスの空いている棚に自身の服を仕舞い始める。  荷解きを終えたリョウが隣のベッドを覗けば、幸せそうな寝顔が寝息を立てていた。

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