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うっかり

 再会した2人の相部屋生活が始まって、1週間がせわしなく過ぎていった。お互いにじっくり話せる時間も取れず、会話といえば時折休息前に雑談をする程度である。  辰紀は夜に小1時間パソコンを開いて、レポートらしきものをせっせと書いている。熱心にキーボードを叩いているものだから、リョウが何を書いているのだと聞くと、毎回違う科目名が返ってくる。この日も何を書いているのかと覗き込むと、聞く前から心理学のレポートだよと教えられた。 「お前、私立の文系だろ?何をそんなに書くものがあるんだ?」 「文系が書かなくてどうするのさ。文系の学問は資料があってなんぼだから、その整理をするのも立派な役割だよ」 「へぇ、そんなもんか。大学時代の私文の友達は、課題やってる姿なんて見なかったけどな」 「リョウくん、大学に通ってたの?」  うっかり漏らした過去にすかさず食いついてきた。わきまえているふりをしているが、本当は興味津々であることなど分かっている。手を止めて振り返りグイッと距離を縮めてきた辰紀に、苦々しい笑みを浮かべておどけるように両手を上げた。 「ああ、通ってた。2年の半ばで辞めちまったけど」  3年前、大学2年の時に突如学校側から自主退学を迫られた。大ごとにしたくないので、2年生の分の学費を返すから出ていってくれと言われて。当時の地獄のような日々を思い返すだけで、めまいがする。一人暮らし先のアパートでは近所からの嫌がらせが続き、耐えかねた大家に追い出されて実家に帰ったら、そちらもひどい有様だった。父が経営していた会社は業績が大きく落ちて倒産し、自棄になってアルコール依存になり家が荒れ果てていたのだ。嫌がらせや父の変貌ぶりに疲れ果て痩せこけてしまった母は、離婚して家を出ていった。リョウも出稼ぎに行くと言って再び家を飛び出し、偽名を使って働ける先を探し歩いているのが現状だ。 「へえ。さっきの言いようだと、国立理系?凄いね」 「はは、理系だけど私立だ。別に勉強すりゃ誰でも入れるところだぜ」 「私立の理系って学費が高いんでしょ?」 「そうだな」 「奨学金借りたの?」 「いいや」 「え、凄いね」  家がまだ無事だった頃は、周りよりも少しばかり暮らしにゆとりがあった。生活費を節約すれば、奨学金を借りなくても親が払い切れるほどの財産を持っていたのだ。それが一変して、そもそも大学にいられなくなった。全ては見知らぬ男のせいで。 「タツ、オレの過去が知りたいか?」 「うん。……でも、言いたくないんでしょ?さっきのは、リョウくんが口を滑らせたから別だけどね」  相手のことを深く詮索しないところが、辰紀の良いところである。だからこそ、秘密を抱えたままでもその隣に居て安心できるのだ。しかし、その優しさに甘えているのもいかがなものか、という気持ちがリョウにはあった。長考して、隠し事の核心を伝える決心をする。 「オレの苗字な、結構珍しいんだ。全国で200人くらいしかいないらしい。お前の苗字が羨ましいよ」 「“鈴木”が?あっちこっちで被っちゃって面倒くさいけどなぁ」 「そんくらいが良いって。……同じ苗字の奴がやらかしても、あんまり害ねえだろ」  2年前に名前を聞いた時、辰紀は「今、この寮に鈴木が3人いるらしいから下の名前で呼んでよ」と言ったことを思い出す。縁もゆかりもない同じ苗字の人間が同じ場所にいてもおかしくないという状況が羨ましくて仕方ない。  リョウの苗字は、珍しいほうである。人数は少ないうえに、あまり見慣れない字面でやたらと目立つ。3年前、同じ苗字の男が10人近くの女性を殺す事件を起こした。犯人とは面識も血縁関係も無く、事件現場は遠く離れた土地だったにも関わらず、その親戚筋だと勘違いされインターネットで晒上げ。おかげで、父の会社の信用は底をつき、オレは学校に殺害予告と爆破予告を送りつけられた。都会とは言っても、一歩踏み込めばそこには村社会が構築されている。ひどい嫌がらせから逃れるために、偽名を名乗って全国の給料手渡しの住み込みバイトを転々とした。ついでに、犯罪からは遠そうな明るい印象にしようと、あえてカラフルな服を着るようになって今に至る。 そんな中で出会ったのが、辰紀。相部屋の相手に素性を話したがらないことで気味悪がられ部屋の空気が悪かったので、少々の深酒をして一人部屋の男に絡みに行ったことがきっかけだった。ゲイにしては珍しい趣味のリョウにとっては好みの可愛らしい顔立ちで、下心もあったが、彼は当時まだ17歳。当時は勘違いだったのだと思い込み欲は抑えたものの、こうして再び目の前に現れたのだ。少し男らしく成長した辰紀も、やはり可愛らしいし己のモノにしたいという欲が出る。 「確かに!」 「だろ」 「リョウくんは、苗字で嫌な思いをしたんだね」 「ああ」 「せめて、女の子が好きになれたら良かったのにね」 「は?」 「うまいこと結婚まで持っていけたら、相手の苗字になることだってできるでしょ」 「……そうだな」  辰紀は年下だから、2人が家族になるならばリョウの苗字になるしかない。そのことが言いたいのだろうか。そんなことが脳裏をよぎり、うぬぼれすぎ、考えすぎだと頭をふる。 「ねえ。リョウくんがどうして苦しんでいるのか、僕が信用できるなら教えて欲しいな」 「そうだな。いつか話すよ」  つい濁してしまった。そもそもの性分として、重たい話は人一倍苦手なのだ。しかし、話したいという気持ちはある。2人にこの先があるならば、話さなければいけないのだから。 「いつか、ってあるのかな」 「あるだろ」 「やっぱり、不安だよ」 「……ごめんな」  なだめるように、辰紀の髪を手の甲でなでる。不満と嬉しいがない交ぜになったような、なんとも微妙な表情でされるがままの年下が、やけに愛おしく感じられた。

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