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第1話 満たされない渇き
いつもならこんなヘマしねえのに。
高校時代から何時間とプレイしているFPS。暇さえあればやっているってのにここ一か月全然集中できないでいた。
あっという間にキルされて、俺はゲームのコントローラーを放り出し、ベッドに倒れ込んだ。
「あー……だりぃ……」
このところ何をしても満たされない。
ずっと飢餓状態って言えばいいんだろうか。ここ一か月ずっとこの調子だ。
「なんなんだよまったく……」
どうしたらこの渇きを満たせるんだよ。
欲しくて仕方ないのに、何が欲しいのかも分からない。
ただ、俺は渇いている。
ゲームをしても漫画を読んでも、酒を飲んでも満たされないこの渇きを満たす方法は、どこにあるんだ?
六月九日金曜日
大学の大きな講義室には、たくさんの学生が席に着き談笑している。
金曜日の一限目。気だるさを感じながら俺は大きな欠伸をした。
「漣 、眠そうだけどまたゲーム?」
そう声をかけてきたのは、同じ大学二年である友人の三ツ谷大斗 だった。
「そう言うわけじゃねえけど」
そう答えて俺はまた欠伸をする。
確かに俺はFPSにはまっているし、週末は明け方近くまでやることもあったけど最近そんな気持ちになれなかった。
それもこれもこのわけのわからねえ渇きのせいだ。
何をしても満たされない渇きがずっとある。
「最近ゲームとかする気になれねえんだよな」
言いながら俺はため息をつく。
「マジかよ? せっかくゲーミングパソコン買ったんだろ? もったいなくね?」
そうだ。
せっかくパソコンを新調したってのにここ一か月全然ゲームに集中できねえんだよ。
何が原因なのか心当たりはなく、鬱屈した日々を過ごしていた。
おかげで課題もなかなかままならねえ。
「……でさ、Subのユキがね、Domのカイトに『ニール』って言われた瞬間にね、嬉しそうにカイトの前で膝ついて座って、その姿が超可愛いの!」
なんていう女子の会話が聞こえてきて俺はどきり、とした。
支配したい、守りたい、庇護したい、そんな欲求をもつDomと、躾けられたい、褒められたい、尽くしたい、そんな欲求を持ったSub。そう呼ばれる「性」が存在する。
たいていの場合、中高時代の健康診断で判明し、その特徴を理解し生活するように指導される、らしい。
俺はノーマルだから詳細は正直知らねえけど、その欲求が満たされないと健康に害を及ぼし下手すると倒れる、って話まであると聞いた。
いったいどうして神様はそんな厄介な性を与えやがったんだよ、って思う様な話だが、今の俺にはその話は鬼門だった。
俺の中にあるどうしようもない渇き……
その原因とも呼べる欲求のひとつが誰かに庇護されたい、というものだからだ。
ちがう、俺はSubじゃない。
今まで検査に引っかかったことねえし。
なのになんでこんな欲求が俺の中にあるんだよ?
そしてその欲求が満たされないことで俺は渇き、不安を抱いていた。
「じゃあさ、今日合コン来いよ。今連絡来てさ、向こうの人数がひとり増えたからこっちもひとり増やさねえとなんだよ」
そんなヒロの提案を拒絶する理由はなくっていうか、ひとりで部屋にいるよりはずっとましだと思って俺はその申し出を受けることにした。
一日の講義を終え、俺はヒロと時間を潰した後、合コンをやるっていうちょっとおしゃれな居酒屋に向かった。
相手は女子大の学生で、四人。
皆可愛いとは思うけれど、全然惹かれねえ。
とはいえ、人数合わせであるという自覚はあるので、適当に話を合わせて愛想笑いを振りまいていた。
アパートの部屋にひとりでいるよりはましだけど、女の子と話を合わせるのもつれぇ……
ヒロや他の男子は女の子と楽しそうに談笑している。
とりあえず人数合わせの役割は果たしたと思い、俺はトイレに行くふりをして外に出た。
居酒屋は駅のそばにあり、駅前には喫煙所がある。
俺は、電子タバコを綿パンのポケットから取り出し、喫煙所と通りを遮る壁に寄り掛かった。
あー……怠い。
そう思いつつ煙を吐き出す。
暑くもなく寒くもないけど、どんどん暑くなるんだろうなぁ……
「あぁ、こんなところにいたんだ」
そんな静かな声がすぐそばで聞こえ、俺は目を見開いて隣を見た。
そこにいたのは、黒髪に眼鏡の、端正な顔をした青年だった。
俺と同い年か……もしかしたら年上かもしれない。俺より少し背は低い。俺が百七十七だから百七十三か四ってとこかな。
何だこいつ。
そう思うのに言葉が出てこない。
そいつは笑顔で俺に手を振り、言った。
「僕は岩田秋星 。君は?」
声は静かなのに、威圧感を感じ俺は呆然と答える。
「神代 ……漣」
「かみしろ……かっこいい名前だね」
「え、あ……ど、どうも」
何と答えていいかわからず、でも褒められたのは嬉しくてつい声が上ずってしまう。って、名前褒められてなんで嬉しいんだよ?
名前は親がつけたもんだろうが。
っていうかなんなんだこいつ。
「居酒屋で見かけて。合コンしてたんでしょ? その割には退屈そうだったから声かけたんだけど」
普通それで声かけようなんて思うかよ?
変な奴。
そう思うものの、言葉にはならなくて生返事してしまう。
「そう、ですか」
「君、学生だよね。二十歳くらい?」
「そうですけど……」
くらいもなにも二十歳だ。
「じゃあ、僕のひとつ下だね」
あぁ、こいつ、俺より年上なのか。
っていうか何の用なんだろ?
彼は、着ている薄手のパーカーのポケットに手を突っ込み言った。
「暇なら僕と付き合わない?」
「……はい?」
言われた言葉の意味を考えて反芻し、やっぱり意味が分からず俺はきょとん、と青年を見つめる。
「なんでそんなこと」
「だって君が退屈そうだし、そんな君を僕は構いたいから」
どういう意味だかさっぱり分からず、頭の中で警戒音が鳴り響く。
宗教? マルチ? そんな言葉が頭の中をうかんでは消えて行く。
春になると必ず大学側から注意喚起される。
セミナーとか言って誘い出し宗教やマルチに勧誘したりする手口や、店で声かけて意気投合し、そこから宗教の勧誘を去れるって事もあるらしい。
「あぁ……もしかして、そういうことか」
彼はそう呟きそして、顎に手を当てて言った。
「何もしないから、大丈夫。宗教でもマルチの勧誘でもないよ。さっきの居酒屋で僕は君たちの隣の席だったから、会話が聞こえていただけだから」
隣にいた?
……全然思い出せねえや。
確かに楽しい、とは程遠かったしちょっと相手の女の子たちに悪いかなって思い始めていたけど。
「だから先に出てきたんですよ。なんか、悪いかなって思って」
合コンなんて初めてじゃねえし、前はちゃんと楽しんでいたと思うのにこんな面白くねえのは初めてで、正直戸惑っている。
それもこれもこの渇きのせいだ。
どうしたらこの渇きは満たされるんだ? たばこ吸っても全然気がまぎれねえ。
「僕といっしょにおいで」
そう言って、彼は俺に手を伸ばしてくる。
その声に、その言葉に俺の心が跳ね上がる。
普段なら断っているだろうに、こんな怪しい誘いに乗ることなんてねえだろうに、俺は断らず、気が付くと俺は差し出された手を握っていた。
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