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第2話 この渇きを満たすのは
連れて行かれた場所は、さっきの居酒屋とはまた別のお洒落な店だった。
店内は薄暗くて、デートに来るにはいいだろうけど男同士で来るにはどうだろうか。
「こんな店、駅近にあったんだ」
「中、迷路みたいだし、隠れ家っぽくて好きなんだよね、ここ」
確かに店内は複雑な作りだった。大して広い店じゃねえだろうに、上がったり下がったりしたし、部屋は個室になってて入り口は小さめだし。
向かい合って座り、メニューを見つめる。
俺はビール、彼はモスコミュールを頼み、他にサラダや唐揚げなどを注文した。
すぐに飲み物が運ばれてきて、俺と彼は互いにグラスを手にする。
「つうか、なんで俺なんかに声かけたんですか」
ビールをひと口飲んでから、俺は尋ねた。
「退屈そうだったからって言ったじゃない」
「だからって普通声かけますか?」
「君はなんで僕に着いてきたの」
それを言われると苦しい。
ひとつはその声だ。
優しい口調なのに、どこか人を従わせる圧力みたいなものを感じる声。
この人なら俺の渇きを満たしてくれるかもしれない。
そう思ったから、なんて言えるかよ? おかしいだろ、だって相手は……男だぞ。
「た、退屈だったし。それに、飲み足りなかったから」
視線を彼から外し、俺はグラスに口をつけて一気にビールをあおった。
さっきの店で二杯、ビール飲んでるけど全然酔わねえ。
ほんと俺、どうしちゃったんだろ。
ビールを飲み干した俺は、思わずため息をついた。
「そんなにペース早くて大丈夫?」
「大丈夫っすよ。べつに、酒、弱くねえし」
そう言いつつ俺は次のビールを注文した。
するとビールと共に食い物が運ばれてきた。
サラダと唐揚げ、串カツの盛り合わせ。
「確かに、お酒に強そうだよね。ガタイいいし。何かスポーツやってたの?」
「高校まではプールやってましたけど。今は全然やってないっすよ」
実家を離れてひとり暮らしだし、バイトと仕送りじゃあ、ジムに通うわけにもいかねえし。それよりもゲームの方が楽しいから何にもしてない。
「そうなんだ。僕も子供の頃プールはやってたなあ。小学生の時だけだけど」
プールなんて子供の習い事でやるやつ多いもんな。
「えーと、岩田……」
「シュウでいいよ」
「シュウ……さんは大学生っすか?」
「そうだよ。国立大の三年生」
ってことは同じ大学じゃねえか。
学年違うから見たことないのは当たり前か。
うちの大学、でかいしな。
「じゃあ、先輩なんすね」
「へえ、じゃあ同じ大学なんだ」
「理工学部の二年です」
「そうなんだ。じゃあ学部は違うね。ねえ、君、いつもそんなにつまんなそうなの」
「そう言うわけじゃねえけど……」
俺はビールを飲みほして空のグラスを見つめる。
飲んでも何をしても満たされないこの渇き。こんなの話したところで、理解なんてしてもらえないだろう。
シュウさんは眼鏡をとりそして、俺の目を見つめる。その時、俺は心臓が大きく跳ねるのを感じた。
鼓動が早くなり、息が荒くなってくる。
なんだよ、これ。ただ見られただけでなんで俺……
目を反らしたいのに、俺はシュウさんから目を離せないでいた。
「大丈夫? 漣君。送っていこうか」
「う、あ……」
やばい。これはやばいやつだ。何でだよ、何で俺……欲しいとか思ってるんだ?
欲しいって何を。
この人が? 待てよ俺、初めて会ったやつだぞそれに俺……ゲイじゃねえよ。
「漣君?」
「だい、じょうぶはないけど……っていうかあんた何者だよ?」
「教養学部の三年生だよ」
そうじゃねえよ。
俺が聞きたいのはそうじゃなくって。
その目と、声と、何なんだよ?
「今日は送っていくよ。それともうちに来る?」
「え、あ……」
そんな申し出、受ける理由なんてないはずなのに。
拒絶の事ががすぐに出てこない。
こいつの目が俺を捕らえ、声が俺を縛り付ける。
ンなことあるかよ?
目を逸らさないと。そう思うのに俺は全然動けないでいた。
「俺は……」
呟きそして、俺が口を閉ざす。
「なんだか辛そうに見えるけど?」
確かに辛い。この渇きを満たす方法を俺は知りたい。
そしてシュウさんの声に俺の心は揺さぶられ、かき乱されている。
なんなんだよこれ。意味わかんねえよ……!
「漣君?」
シュウさんの声が遠くに聞こえる。
だめだ、これ以上俺、耐えられねえかも。
「辛そうだから、タクシー呼ぶよ」
辛い、のは確かだ。
そして俺はシュウさんの申し出に否定も肯定もできず、彼に連れられるまま店を出た。
このどうしようもない渇きを満たす方法なんてあるんだろうか。
頭がぐらぐらするし、身体が熱い。
知らない匂いに意識が浮上し、俺はゆっくりと目を開いて辺りを見回した。
知らない天井に、知らない匂いに……っていうかここどこだよ。
「あ、気が付いた?」
耳慣れない声が響き、俺は声がした方を向いた。
そこには、グラスを二つ手に持ったシュウさんが立っていた。
確か、シュウさんに連れられて店を出て、タクシーに乗って……そうだ、ここは彼の家だ。
どうやら俺は、ソファーに座って眠ってしまっていたらしい。
「ソファーに座ったと思ったら寝息たてはじめたからどうしようかな、と思ったけど。起きたなら良かったよ」
「す、す、すみません。初対面なのに」
自分が情けなく感じて、俺は頭を下げる。
「大丈夫だよ。そういうの嫌じゃないから」
そう言って、彼は俺の隣に腰かけてグラスを俺に差し出した。
「水飲める?」
「あ……ありがとう、ございます」
ひどい渇きを覚えて俺は、差し出されたグラスを手にする。
そしてそれに口をつけて水をぐいっと飲んだ。
冷たい水が喉を通っていくけれど、渇きは消えない。
なんなんだよこの渇きは。
そう思い水を一気に飲み干すけれど、やっぱり渇きは消えない。
なんで。どうして。
どうしたらこの渇きは満たされる?
そう思い俺は深く息をつく。
「お店でも思ったけど、水飲むの早くない? そんなに喉渇いてた?」
「そう言うわけじゃ、ねえけど……」
そう呟き、俺はグラスを握ったまま下を俯く。
渇いてる。
だけどそれは物理的にじゃない。
渇いているのは心だろう。
俺の中にあるこの渇望をどうしたら満たせるんだよ?
その答えは俺の中にない。
「でも、渇いて仕方ないから」
ここ一か月ずっと悩んでいるこの渇きの名前を俺は知らないし、人に話したのも初めてだった。
それだけ俺は追い詰められているのかもしれない。
「それ、いつから?」
「え……あ……一か月、くらい前から……」
言いながら俺は顔を上げて隣を見る。
シュウさんはじっと、こちらを見ていた。
何で、そんな熱い目で俺を見るんだよ。
その目で見られると俺、どうかなりそうだ。
目を逸らさないと。
そう思うのに全然身体が言うことを聞いてくれない。
「そんなに長い間、君は我慢してるの?」
我慢……してる。
俺は小さく頷き、呻くように答えた。
「だって、どうしたらいいかなんて、わからないから……」
この渇きを満たす方法を知っていたら俺は、とっくにどうにかしている。だけどわからないから、俺はずっと耐えている。
「なんでそんなに苦しいのか、君はわかってるの?」
「わ、わかってたらとっくにどうにかしてますって」
そう答えると、シュウさんは笑って、
「それはそうだよね」
と言った。
「ねえ、漣君。僕なら君のその渇きを満たせるかもしれないよ?」
そう告げたシュウさんの声はまるで甘い酒のように心地よく俺の身体に沁み渡っていく。
渇きを、満たせる?
そんな方法あるのかよ?
目を見開いてシュウさんを見つめると、彼は微笑み言った。
「無理強いはしないよ。君が望むなら、僕は君を満たしてあげる。どうする、漣君?」
声はとても優しいけれど、どこか人を従わせる威圧的な響きをはらんでいる。
この渇きを満たす方法。
そんなものあるのかよ?
知りたい? でも知りたくない。
そうしたら俺は、今までの俺ではなくなりそうで。
本能がシュウさんの申し出を拒否をする。
でもこのままじゃあどうかなりそうだし、試験だってままならないだろう。実習で失敗とかしたらシャレにならねえ。
「それって、マジ……ですか?」
戸惑いつつそう尋ねると、シュウさんは頷きそして、俺に手を伸ばす。
頬に彼の手が触れてそして、その手が顎へと滑り落ちていく。
「あ……」
って、なんでこんな甘い声出してるんだよ。
男に触られて喜ぶ奴があるかよ?
「どうする、漣君。あくまで決めるのは君だよ。僕は君を満たしてあげたいんだ」
その甘く響く誘いを俺は拒絶することができず、ごくり、とつばを飲み込みそして、
「満たして、欲しいです」
そう呻くように答えると、シュウさんは優しい声で言った。
「いい子だね、漣君」
そんな言葉に俺の心は揺れ動き、もっと欲しいと欲望が溢れ出そうになる。
何だよこれ。俺、どうしたんだよ?
「君が嫌がることは決してしないから」
そう告げてシュウさんは俺の顎から手を離すと、眼鏡に手を掛けてそれを外した。
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