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第6話

「あ、ごめんなさいっ。そうです。僕はシルラの民で、ここはその里です」  なんとなく、彼になら話してもいいような気がした。 「ただ、このことは誰にも言わないでいただきたいんです。お仲間の兵士さんにも、上の方にも。あの、ここは……」 「心得ている。シルラの民が里の所在を秘しているのは、シルラを二度と戦に駆り出されたくないからなのだろう? 賢明な判断だ」  理解ある男の答えに、アイは安堵の息を吐く。 「シルラは敵にとっても脅威だ。この里は森にうまく隠されているようだが、国境に近い以上警戒は必要だ。それを、里の者に周知したほうが……」  男は唐突に言葉を切り、一瞬苦しげに顔をしかめた。 「だ、大丈夫ですかっ?」  意識が戻ったとはいえ、まだ毒は抜け切っていない。普通なら朦朧として話もまともにできないだろうに、彼の生命力は本当に驚嘆に値する。  アイは上体を折った男の肩に手をかけ、もう一度寝かせようとした。 「お話は後で伺いますから、もう少し休んでください。横になっていればよくなるはずです」 「大丈夫だ。それより、里の長に会わせてくれ。挨拶をして、警戒すべき状況だと伝えたい」  気丈に体を起こそうとする彼の肩が熱い。熱がまた上がってきている。 「寝てなきゃ駄目です。それに……長はいません」  俯きがちにつけ加えると、男は訝しげに鋭い目を細めた。 「いないとは、今は不在ということか?」 「ではなく、長という立場の人がいないんです。長だけではなく、この里には誰もいません。僕以外は」  無表情な彼もさすがに驚きをあらわにした。 「おまえしかいないだと? しかしシルラがいる以上、神子はいるはずだろう。神子とシルラは一心同体と聞いている。長がいないなら神子に会わせてくれ」 「それなら、もうお会いになってます。僕ですから」 「何?」 「僕が、シルラの神子です。アイと申します」  氷の岩のような彼でもこんな顔をするんだ、というほど唖然とした様子に、アイは密かに嬉しくなる。あらゆる意味で超人的な彼も、どうやら感情を持った普通の人間のようだ。 「おまえが、シルラの神子だと? おまえがか?」  遠慮なくまじまじと見られて、アイはなんだか申し訳なさに首をすくめてしまう。 「はい。僕が、それです」  先代の神子だった母は見るからに気高く清らかで、女神のように美しい容姿だった。だがアイは大きな目がやけに目立つ童顔で、男にしては背も低い。尊い神子の継承者というより、市場の隅で花でも売っているのが似合いそうな外見だ。 「確かに、銀の髪と瞳はシルラと同じ色合いだが……まさかおまえが伝説の神子の継承者とは……。まだひな鳥の巣から這い出てきたばかりのような、威厳の欠片もない少年ではないか」 「こ、これでももう十八歳ですっ」  威厳がないのはその通りなので反論のしようがないが、あまりの言われようにアイはやや唇を尖らせる。 「ああ、いや、気を悪くしたのなら謝る。だが、あまりにもおまえが、つまり……」  鉄の壁のようだった彼が見事に動揺しているのがおかしくて、アイは心の中で噴き出す。 「もういいですから、とにかく今は寝てください。お話はその後でっ」  表向きは怒った顔のまま、男の体を強引に押さえつける。熱が上がりきつくなってきたのだろう。彼も今度はおとなしく仰向けになった。 「おまえのような少年が……里にたった一人とは……」  つぶやきが漏れる。その声の調子がわずかに悲しみを帯びて聞こえ、アイの心は温まる。 「あの、あなたのお名前は?」 「アーサーだ」 「アーサーさん、おやすみなさい」  答えた男の両目を、アイは手で覆ってやった。ほどなく静かな寝息が届いてくる。  手をそっとどけた。たくましく強靭な兵士が静かに目を閉じ寝入る姿に、アイの口元は思わず微笑む。手負いの野生の獅子が、傷を癒すために深く眠りについている姿を想像させる。  頼りない少年のように見えても、一応アイはシルラの神子だ。近くの村を訪問するときなどは、下にも置かれぬ扱いで崇められる。威厳の欠片もない、と面と向かって言われ、普通の少年のように扱われたのは初めてだ。 (ちょっと、嬉しかったかも)  アイはクスリと笑い、彼に触れた右手に残るぬくもりを逃さないように胸に押し当てた。

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