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梅雨と黒井(赤坂 side)
6月になった。梅雨というのは鬱陶しい。髪もボサボサになるし、傘がある分余計に荷物が増える。雨の日は電車通学や通勤のやつらも多くて混雑している。おまけに猛スピードで走る車のせいで、水溜まりの水が俺に跳ねた。最悪だ。朝から気持ちがどんよりしてしまう。
ため息をつきながら教室に入った。心なしかクラスもジメジメして暗そうだ。担任が入ってきて、そろそろ朝のホームルームが始まろうとした時。
「遅れてすみませんっ!」
入口付近から透き通った声が聞こえた。みんなが一斉に注文する。そこにいたのは、何とびしょ濡れになっている黒井だった。
「黒井っ!」
俺は慌てて立ち上がり、黒井に駆け寄った。あんな大雨の中傘も差さなかったのか?朝から土砂降りだったはずだけど……。
「いやっ、まだチャイム鳴ってないから大丈夫だが……それよりお前ずぶ濡れじゃないか!」
先生も慌てふためいている。カッターシャツも透け透けで美しい髪もびっしょりだ。でもそんな姿がかなり色っぽくて思わずドキッとした。水も滴るいい男とはこのことを言うのか。水を浴びてもなお美少年だ。しかも走って来たのか息が上がっている。それがさらに色気を感じさせる。
「黒井くん!大丈夫!?」
「大丈夫かっ!?」
クラスメイト達も心配している。しかし黒井は小さく微笑んでいた。
「大丈夫だよ、このくらい」
いやいや大丈夫なわけないだろこの状態!服からポタポタと雫が落ちていく。こんなことを言うのもあれだが、濡れた顔がものすごく様になっていた。
「風邪引いてしまうよ!」
「誰か着替えとか持ってない?」
「今日体育ないから体操服持ってねぇな……」
周りが口々に言う。流石にこのまま授業受けさせる訳にもいかないし、かといって素っ裸でいさせるのも危ないし……。
「濡れた黒井様も素敵だわ……」
「私の部活のジャージならあるけど……」
「黒井様細いからあんたのも合うんじゃない?」
「えっ!ずるいわ!私も黒井様に貸して差し上げたい!黒井様の匂い嗅ぎたいわ!」
「なんなら下着も貸したい!」
「もちろんブラジャーも!」
おい女共!何言ってんだよ!丸聞こえだよバカっ!セクハラにも程がある。つか黒井にブラジャーあげてどうすんだよっ!こいつ女みたいな顔してるけどさ!
何かいい案はないか……。俺はバカな頭を懸命に働かせた。
着替え……体操服……あっ!俺は昔の記憶を遡った。
「俺、部室に体操服がある!」
「赤坂、お前美術部なのに体操服なんかいるのか?」
「ああ。絵を描く時に制服が汚れないように体操服を着ることがあるんだ」
別の男子生徒に突っ込まれ、俺はそう説明した。入りたての頃はよく部活に行ってた。顧問に「でかい絵を描く時は汚れてもいい服を着ろ」と言われてたから、いつも部室に予備で置いていたんだ。忘れっぽい俺、よくぞ思い出した。
「黒井、俺の体操服でもいいか?」
「えっ、あっ、うん……」
「んじゃ先生、少し抜けます!」
「おう、気を付けろよ!」
戸惑っている様子の黒井の腕を掴み、俺は部室へと向かった。
ホームルームが始まる中、俺と黒井は美術室へと早歩きをしていた。しかし、黒井は片手でズボンの裾をめくって必死に俺についてきている。服が濡れているからか歩きづらそうだ。しかも靴までびっしょり。そりゃそうだよな、歩きにくいよな。俺ってやつは気が利かないな。
「黒井、歩きにくいか?」
「ちょっとだけ……」
今なら誰もいないよな。よし。辺りを見渡した後、俺は黒井を抱きかかえた。
「うわっ、あっ、赤坂っ!」
「悪い、けどお前が滑って転んだら危ないから」
軽いな、こいつ。本当に女みたいだ。ふいに目と目が合う。まつ毛が長くて濁りのない瞳の色。男の俺でも思わず見とれてしまう。
「ありがとう、赤坂」
目を細めてはにかむ黒井。めちゃくちゃ可愛い顔すんなよ……。こんな顔されたら女子も男子もメロメロになるに違いない。
「何だか王子様みたい」
「俺が?んないいもんじゃねぇぞ俺」
「だってお姫様抱っこしてくれてるもん」
「今日は緊急事態だからな。……って、抱き着くなよもう……っ!」
首に腕を回されしがみつかれる。甘えん坊のお姫様だな、こいつは。吐息が首筋に当たってくすぐったい。
「こんな土砂降りの中傘差してなかったのか?」
「その、家を出る時には降ってなかったから、大丈夫かなって……」
「まあ確かに今日は降ったり止んだりしてるもんな。……あ、でもお前折り畳み傘持ってなかったっけ?」
「……最近は雨続きで普通の傘を持って行ってたから、折り畳み傘は家に置いてて……」
「なるほどな。ついてないな……」
確かに折り畳み傘ってのは肝心な時になかったりする。この前の相合傘事件の時はたまたま持ってたのかな。
「でもこうして赤坂と教室抜け出せたから、今日の僕はラッキーだよ!これが本当のグッドモーニングだね!」
「何だよそれ!?どう考えてもアンラッキーだろ!バッドモーニングだよ!」
雨に打たれて全身濡れて、男にお姫様抱っこされるなんて不幸だろ。本心なのかお世辞なのかわかりづらいけど、黒井の笑顔を見ているとなぜか安心した。
ようやく美術室に着いた。というか校舎広すぎるんだよこの学校。到着まで5分くらいかかった気がする。
部屋の電気をつけた。黒板にはいつも顧問の予定が書いてある。どうやら今日は出張のようだ。
ここに美術部員用のロッカーがある。俺のロッカーどこだっけ?ああ、これか。久しぶりに来たから場所すら忘れかけていた。
「あったあった。置きっぱなしのやつだけど、ちゃんと洗ってるから」
「ありがとう」
そう言って俺は体操服を渡した。黒井はそれを受け取ると、すぐさまボタンを外し始めた。
細い指でひとつずつ外していく。動作が繊細で、思わず目を奪われた。黒井の白い首元があらわになる。そしてそれは首から胸元へと……。
俺の目の前には、シャツのはだけた美少年がいる。水滴で少し濡れた、真っ白な体。まるで女みたいな……。でも、喉仏や胸、腹は男特有のものだった。細いのにそれなりに筋肉がある。見た誰もが惹き付けられるような……。
……って、俺何ガン見してんだよ!いくら男同士とはいえ上半身を凝視するのはよくないよな……。後ろを向こうとしていると、黒井に袖を引っ張られた。
「赤坂、脱がせて……」
「ふぁ!?何言って……」
「服が濡れて、袖が脱ぎにくいんだ……」
バカっ!俺に何やらせようとしてんだよ!冗談か?そんなことする訳……と思っていたが、黒井は困った表情で俺を見上げている。飼い主を探している子犬のような目で……。……ったく!わかったよ!やりゃあいいんだろっ!
襟近くを掴みそっと脱がせる。細い肩が露出する。濡れているせいで肌に引っ付いてやりにくい。素肌が見えていくうちに、俺はいけないことをしている気がしてクラクラしてきた。
「あっ、やっ、赤坂ぁ……」
「おい!変な声出すなよ!」
誰かに聞かれたり見られたりしたら終わりだ。妖しい声を出す黒井に、服を脱がせる俺。間違いなく俺が襲っているみたいじゃねぇか……。
何とかシャツを脱がせた。黒井は今度はまたしてもトンデモ発言をする。
「赤坂、こっちも……」
「ブッ!!」
何と、黒井は俺の手を掴みズボンのベルトまで持ってきた。
「黒井!流石にそれは……」
「赤坂!お願い!」
また泣きそうな顔で懇願される。何やってるんだ俺は……男の服を剥ぎ取るなんて……!でも、黒井の潤んだ瞳を見ていると俺の理性がおかしくなりそうだ。今まで感じたことのない熱いものが俺を締め付ける。
「〜〜〜〜っ!ああもうっ!!」
手に力を込め、ベルトを外し始める。金具を外し、ゆっくりと紐を解いていく。どんどん息遣いが荒くなる。これは黒井の?俺の息……?いや、お互いの……?吐息が絡み合い、指が震える。俺の中の何かが高まっている。俺は、俺は…………!
キーンコーンカーンコーン――
1時間目を告げるチャイムが鳴る。そこで我に返った。
「やべっ!1時間目って国語のテストじゃん!!」
ホームルームは担任の許可を得て抜け出したけど、国語の授業に遅刻はやばい。国語教師はあのめちゃくちゃ厳しくて愛想の悪いオバハン。居眠りしただけでもチョークを飛ばしてくるやつだぞ……!
「黒井!早く着替えろ!」
「えっ……」
「俺は後ろ向いてるから!ほら!」
俺は黒井にそう促した。焦る反面、内心チャイムが鳴って安心した。あのままだとやばい方向に進むところだった。
少しして、後ろから声がした。
「赤坂、着替え終わったよ」
振り向くと少しぶかぶかの体操服を着た黒井の姿があった。よかった、パンイチとかじゃなくて。ここで服着てなかったら俺は死ぬところだったぜ。俺より身長が低いせいで萌え袖になっている。
「悪い、ちょっとでかかったよな」
「ううん、大丈夫だよ」
そう微笑む黒井の破壊力は半端なかった。男の俺でも惚れそうなレベルの美少年だ。
「あの、赤坂」
「ん?」
「ありがとう、色々と」
やや俯き加減で礼を言われた。そんな、言うほど大したことしてないけどな、俺。
「雨で濡れちゃったけど、赤坂が真っ先に心配してくれて嬉しかった。体操服も貸してくれて……。朝から話せてよかった」
「黒井……」
頬をほんのりと赤く染める黒井。真っ白なノートに赤いクレヨンで優しくなぞったような、そんな笑み。そうか、こいつ元々大人しいけど、本当は人と話したいんだったな。雨に濡れたのは災難だけど、こうしてこいつの役に立てたのなら……俺もよかった、のかな。甘えん坊で素直な黒井。素性はまだまだ謎のままだ。
「ずぶ濡れのお前を放っておけなかったからな。風邪引かないように体あっためとけよ」
「うん!」
俺は再び黒井の腕を引いて教室へと走った。
「すみませんっ、遅れましたっ!」
勢いで思い切りドアを開けてしまい、クラス中の視線を浴びてしまった。
「遅いわよ!何やってたの!?」
「すっ、すみません、これには訳が……」
「言い訳はいらないわ!しかも今日はテストもあるのよ!」
国語教師のオバハンはやはりお怒りである。すげぇ鬼の形相だ。しょうがねぇだろ、事故があったんだよこっちは。しかしオバハンの怒りは一瞬にして鎮められた。
俺の腰にしがみついていた黒井が、教室にいる人たちの前にひょっこり姿を現した。女共はノックアウトである。
「くっ、黒井様の体操服姿……萌えっ!」
「しかもぶかぶかの体操服よ!」
「萌え袖!」
「彼シャツだわ!」
机を叩いて「沼!」と叫んでいるやつも多数いる。こいつらどんだけ黒井が好きなんだよ。
「……俺、黒井となら付き合えるかも」
「俺も」
「女装させたい」
「1回だけ抱いてみたい」
男共もひそひそと話し出す。お前らもなんちゅうこと言ってんだ。気持ちはわかるが。
「なっ、何と!?これは、かぐや姫よっ!竹取物語だわ……。いとうつくしうて居たり……。やんごとなき……」
オバハンまで頭を抱えて悶えている。何古文に絡めてんだよ。とりあえず、今度は俺が黒井に助けられた。
黒井の可愛さにより、俺はオバハンの雷を食らうことなく済んだ。テストも普通に受けさせてくれた。これ黒井がいなかったら廊下に立たされてるパターンだろ。ちょっと不貞腐れながらも、まあ一件落着したので結果オーライだ。
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