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第9話
「あれ?中野が一人なんて珍しいじゃん」
聞き覚えのある声に、佑は振り返る。
昼休み。食堂の隣に併設された購買は混雑していた。
「渋谷」
一年生の時に同じクラスだった渋谷が立っていた。
「なんか久しぶりって感じだな」
渋谷はそう言って近づいて来た。
二年になって、佑と渋谷はクラスが別になった。渋谷は通学組で、佑は四月からずっとダンスに時間を充てていたこともあって、渋谷との接点はなくなっていた。
「ノート?」
渋谷が佑が手にしている、今しがた購入したばかりのノートに視線を向ける。
「うん、次の数学のノート、寮に忘れて来た」
「あー、じゃあ今度そういうことあったら、チャリ貸すよ」
「チャリ?え、渋谷バス通…」
佑が言いかけると、
「元々の所有者は知らないけど、代々受け継がれてるチャリがあって、俺も三月に卒業した先輩から引き継いだんだ」
そう渋谷が言った。
「ここ何気に広いから、チャリ持ち込んでる奴もいるんだよ」
そう言われると確かに、自転車に乗って移動している生徒を見かけることがあった。
「教職員用の駐輪所にある真っ赤なチャリな。鍵は俺が持ってる。電動じゃないけど」
渋谷はそう言って笑った。
寮に行くには、途中から結構な長い坂道を登らなければならない。
「サンキュ。何かあったら貸して」
佑がそう言うと、渋谷は、
「おう」
と言って、“じゃな”と手を上げて外に出て行った。
「中野…くん」
購買部の外で、ためらいがちに声を掛けた。振り向いた佑は、
「あ、えっと、写真部の…」
と言い淀む。
「松岡」
佑に声を掛けた松岡は苦笑しながらそう言った。
「ごめん。俺、人の顔と名前覚えるのは得意じゃなくて…」
佑もそう言って苦笑した。
「この間はウチの後輩が助けてもらったって」
「ああ、尾高くん?」
「そう。部の先輩として礼を言っとこうと思って」
松岡はそう言って佑を真っ直ぐに見た。
「ありがとう」
「いや、そんな大したことはしてないから」
佑は顔の前で片手を振りながらそう言った。
「尾高は中野くんの熱狂的なファンなんだよ」
松岡がそう言うと、佑は“呼び捨てでいいよ”と言ったあと、
「熱狂的って何?」
幾分照れたように笑った。
「尾高は部室ではよく、体育祭の時のアルバムを見てるし、しょっちゅう中野くんの話をしてる」
初めて佑と会話を交わした。初めてファインダー越しではなく、自分の目で間近にその顔を見た。
“ああ、そういうことか”───と松岡は思った。
切れ長の目、細い鼻梁、細いあごのライン。これでもし唇が薄ければ佑の顔はかなり冷たい印象になるのだろう。
だが、その唇は色素が濃いのか、何も塗ってはいないようなのにわずかに色づき、上唇の中心の山がくっきりとしている。そこが勝ち気で強気な性格を物語っていた。
一見アンバランスな感じだが、そこにふと見せる、おそらく本人は無自覚の子供のように無防備な表情。これが真澄や原のような男の庇護欲をかき立て、冷たさと苛烈さ、無邪気さと艶やかさという両極が、龍司や透をも惹き付けているのかもしれない。
「中野、いいところに…ッ」
横からそんな声が飛んで来た。
「伊藤、どした?」
走り寄ってその手を取った生徒に、佑は驚いたようにそう聞いた。
「これ!」
伊藤は手に持っていたプリントの束を佑の手に握らせる。
「次、先生体調不良で早退しちゃって自習になって、これ教室に持ってってほしい。俺、さっきの体育で更衣室に忘れ物した」
「あー、第二まで距離あるからな」
佑はそう言った。
「頼む!」
伊藤に手を合わされた佑は“わかった”と答えると、第二体育館の更衣室に向けて踵を返したその背中に、
「走れ~」
とゆる~い声を掛けている。
佑は手にしたノートに視線を落とした。
「自習ってのもう少し早くわかってればなぁ」
そうつぶやいて苦笑する。
「何?」
佑が松岡の顔を見て聞いてくる。聞かれて松岡はずっと佑を見つめていたことに気づいた。
「ああ、ごめん。なんか中野…って、いつも堀井と田上と一緒にいるイメージがあって…。さっきも珍しいとか言われてたし」
「渋谷とのやり取り見てたんだ?」
そう聞き返されて、
「あ、声掛けようとしたら、先に声掛けられてたから…」
松岡は“見てた”ことに佑に引かれたかと思い、少し口ごもった。
「あ~、まあ、あの二人はちょっと特別だけど、四六時中一緒ってわけじゃないよ」
佑はまた照れたように笑う。
「……そうだよな」
そう言いながら横を歩く佑の笑顔を見て、真澄や原の気持ちが少し理解出来るような気がした。松岡の中に何故か、佑が口にした“特別”という単語が残る。
「文化祭…」
本校舎に向けて並んで歩きながら、松岡はつい、そう言葉を発した。
佑がフイと松岡のほうを向いて、わずかに首をかしげた。視線が合う。
「…また、踊るんだな」
そう言うと、佑はフワッと笑って、
「踊るよ」
とすぐに言葉が返って来た。松岡は我ながら、今さら何を言っているのか、と慌ててその笑顔から視線を外し、
「あ~、その時までに、尾高を鍛えとく」
とふと思いついたことを口にした。佑は少し声を上げて笑う。
「じゃあ、俺ももっとレベルアップしとく」
松岡はそう言った佑の笑顔を横目で見ながら、
「俺もそうする」
と少し熱くなったほおを自覚して、うつむきながらつぶやくように言った。
期末テストが終わり、もう間もなく梅雨も明けそうな頃。
真澄は安定の学年一位、佑もいつも通り、発表される学年十位以内にその名前を連ねていた。
ただ、今回はダンスだけではなく他のことでも色々と動き回っていた佑は、自分の名前があったことに多少驚いているようだった。
そんな中、佑と龍司の二回目の公開練習が、一回目と同じ旧講堂で行なわれることになった。
今はまだ梅雨明け宣言が出されていないこともあって、窓の外には雨対策に運動会テントが設置され、さらには中の様子が伝わるようにスピーカーも設置された。
そのために協力してくれるメンバーも前回の放送部と写真部に加え、文化祭実行委員と正式に立ち上げられて間もないダンスサークルの面々がいた。
こういった人脈のパイプは力也が一番多いが、体育祭の前から物凄い行動力を見せた龍司、元々は中学の時からカリスマ性を発揮していた真澄、そして人付き合いはあまり得意ではないという佑も、本人の意思とは関係なく何故か周りに人が集まるようになり少しずつ増えて来て、結果四人併せたパイプはかなりのものになっていた。
二回目の公開練習は、龍司も佑と事前に打ち合わせを行ない、前回同様ウォーミングアップと、観る人の期待を高めるため、予告編として文化祭で踊るアップテンポの曲の振りを少しだけ見せる形にした。
そして公開練習後半。
「リフトやるんで、サポート、堀井と田上、いいかな?」
龍司がそう言って、壁際に立つ真澄と力也に声を掛けた。この二人にも事前にサポートを頼んでいた。
いつもスタジオではマットがあり、リフトの練習もそこで行っているが、この場所にはそれが無い。
「僕がたっくんを落とすようなことは百万が一にも無いけど、念のため」
龍司はそう言って笑い、
「もしもの時は絶対にたっくんを床に触れさせないで」
と真顔になって、真澄と力也を見る。
すでに何度も練習を見ている二人は、心得ていると言うようにうなずく。
「じゃ、一つ目」
龍司が真澄と力也に立ち位置を示す。
「たっくん、いくよ」
龍司がそう言って佑の後ろに立つ。佑が姿勢を整え“オケ”と答えると、腰に龍司の手が当てられる。佑がその手に自分の手を重ねると、“ワン、ツー、スリー”と龍司が声を発した。
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