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第8話
透が声を上げたその時、廊下を走って来る複数の足音が聞こえた。
「佑ッ!」
戸口に真澄の姿。その後ろには原と力也の姿があった。
真澄が相手に射抜くような視線を向けたまま無表情に入って来る。その後ろに原も続く。
相手が一歩後退り、佑の襟をつかんでいた手を放した。
「尾高くん、スマホ」
「え?」
佑の冷静な声に透が握り締めていたスマホを見た。
「この人が写り込んでるの、消して」
「あ…、ああ、はいっ」
透はすぐにスマホを操作する。
「あ…!」
透が声を上げた。
「…ありません」
透の言葉に佑はスマホをのぞき込む。
しばし二人でスマホの画面を凝視する。
「…無いね」
佑がボソッと言った。佑は透のスマホを手に取り相手に見せた。
画面を見つめていた相手は舌打ちをして、
「今度やったらただじゃおかねぇからな」
と透に向かって捨て台詞を吐くと、別の戸口から足早に出て行った。
「大丈夫か?」
真澄が聞いてくる。
「平気だよ」
佑はそう答え、相手が出て行った戸口を見やってつい笑いをもらした。
「中野先輩…」
透の声がした。そちらを見ると目に涙を浮かべている。
「すみません!」
透は直角に体を折り、
「すみません。ごめんなさい。ごめんなさい…」
と何度もそう言った。
佑は透の頭に手を置いた。そして、その髪をクシャクシャとかき回した。
「間に合って良かった」
「ごめんなさ…」
もう一度言おうとする透を、佑は顔を上げさせてその肩を抱いた。
透の体が硬直する。佑はその頭をポンポンと叩くと体を離した。
透は首まで真っ赤だった。
「佑、おまえまたスマホの着信音、消したままだろ」
通学組の透がバスに乗り込むのを見送ったあと、寮に戻りながら真澄は隣を歩く佑にそう言った。
「あ、忘れてた」
佑はそう言ってスマホを取り出す。
「うわっ」
佑は、真澄と力也と原からの何件もの着信履歴に驚いていた。
「うわ、じゃないよ。まったく…」
真澄はため息をついた。
「おまえは危なっかしいんだよ」
真澄は、何故かバス停まで一緒に来て、今 後ろを歩いている原を気にして、ひそめた声で言った。
「あれくらい平気だって」
佑は不満そうに言った。
「だから、その謎の強気が…」
真澄が言いかけると、後ろから原が笑っている声が聞こえた。真澄は立ち止まって後ろを振り返った。
「別にバス停まで来てもらわなくても良かったんですけど」
「あれ?そうだったんだ?俺、少しでも長く佑と一緒にいたいから、つい」
原は皮肉っぽい笑みを浮かべてそう言った。力也が廊下の角でぶつかりそうになったのが、この原だった。そのあと力也から事情を聞いた原は一緒に探してくれていたのだ。
真澄はすがめた目で原を見て、黙って歩き出した。
「だって躊躇してたら尾高くん、どうなるかわからなかったし、ホントにあとちょっとで壁に顔面叩きつけられるとこだったんだよ」
佑が先程の状況を話した。真澄はまたため息が出た。
「下手すりゃおまえも同じ目に合わされたかもって考えないのか?」
「それはない」
佑はそう即答する。そして真澄より一歩前に出ると、クルリと、まるでダンスのターンをするように振り返り、
「俺、ああいうのわりと慣れてるし、今回は追いかけてったこと力也が知ってたから、なんとかなると思ってたし」
と不敵にも見える笑みを浮かべた。
後ろでまた原が笑い出した。真澄が振り向いて見ると、それまで黙っていた力也までが笑っていた。
「え?」
佑はスタジオに入って、そこに真澄がいるのを見て、龍司を見た。
「ああ、今日は堀井にも練習見てもらって、最後にたっくんの体のメンテナンスを僕が一緒にやってチェックしたいんだ」
「あ…そ」
佑は龍司の説明に戸惑いながらも、いつも通りに着替えてウォーミングアップを始めた。
およそ二時間の練習のあと、龍司が佑をメンテナンスのために使っているマットの上に横たわらせ、真澄のことを呼んだ。
以前、龍司が佑の体のメンテナンスをしていた時と同じように、龍司の手が佑の体に触れていく。
「………………」
龍司は佑の内太ももに触れた時、一度手を止めた。
「たっくん、ちょっとキワを触るよ」
龍司はそう言うと、佑の内太ももの股関節辺りに触れた。
「堀井」
龍司は佑の左右の内太ももに触れ、
「これわかる?」
と真澄に問う。問われた真澄が同じように佑の内太ももに触れる。
「左のほうが張ってる?」
「そう」
龍司はそう答えて、佑の足先までをチェックする。
「たっくん、またキワ触るよ」
龍司はまた佑にそう断ってから、真澄にほぐし方を教えている。
「たっくん、今度うつ伏せね」
うつ伏せになった佑の体を、龍司は首から順にチェックしていく。
佑の臀部にきた時に、また龍司の手が止まった。
「たっくん、ちょっと痛いかもしれないから、呼吸合わせようか」
「ん、わかった」
佑はもう心得たもので、龍司の言葉にそう答えた。
「吸って…、ゆっくり吐いて」
佑が息を吐いている間に揉みほぐす。それを揉む力を少しずつ強めながら何回か繰り返す。
そして、太ももから足先までを触りながらチェックしていった。
「あ、たっくん、寝ちゃった?」
龍司が佑の顔をのぞき込んで、その体にバスタオルをかけた。
「堀井、ちょっと」
龍司が佑から離れ、スタジオの壁ぎわにすわった。真澄もその隣に腰をおろす。
「あのさ、たっくんの股関節付近とか臀部とか、明らかにメンテナンス不足なんだけど」
龍司に普段のおとなしい雰囲気はなかった。
「たっくんの体触って勃起しちゃうから出来ないわけ?」
龍司の言葉はストレートだった。
「それなら、もう堀井には任せられないよ。キレが悪いからおかしいと思ったんだ。前みたいに僕がやる」
「………………」
「たかが学祭の後夜祭の見せ物程度に思ってんの?」
「いや…」
龍司はまっすぐに真澄を見る。
「ハッキリ言う。そんなレベルじゃないよ。僕はそう思ってる。だからたっくんにもそういうレベルを要求してる。たっくんも僕の無茶な要求に応えようとしてくれてる」
龍司は佑を起こさないように声を抑えてはいたが、口調だけは激しかった。
練習を何度か見ていれば、ダンスのことなどわからない真澄にも、二人のパフォーマンスが“学祭の後夜祭の見せ物程度”ではないことくらいわかる。
「…ごめん。二人がやってること、甘く見てるつもりはない。ただ…」
真澄はうつむいた。
「ただ?」
「龍司の言う通り、触るのを躊躇する時はあった。それは認める」
真澄は片手で髪をかき上げた。龍司がため息をつく。
「堀井の気持ちはよくわかるよ」
龍司はうつむいている真澄の顔を首を傾げ、下からのぞき込むようにしてきた。
「たっくんの色気、どんどん表に出て来てるもんね」
真澄は、いたずらっ子のような笑みをうかべた龍司の顔を見た。
「本人も少し自覚してきたみたいだし、それを表現していいんだって、わかっても来たみたいだし…」
龍司は眠っている佑に視線を向けながらそう言った。
「堀井はなんで触るの躊躇するのさ?セックスしたくなっちゃうから?」
龍司はストレート過ぎるくらいストレートだった。
「あ〜、そう…だな。佑の体にあまり負担かけたくないし、佑が翌日練習とかある日はやりたがらないし…」
真澄はボソボソと言葉を発した。
「そんなの、負担の軽い体位とか…。堀井はたっくんの顔見てしたいのかもしれないけどさ」
真澄は完全に龍司におされていた。
「セックスしなくても股とか手とかフェラとか方法はあるんだし、堀井が一人で勝手に考えてないで、たっくんと二人でちゃんと話すことじゃないの?」
「竹内って、ど直球だな。そういうキャラだとは思わなかった」
「だって、やりたかったらやりたい、ダメならこういう理由でダメ。そういうのってちゃんとお互い意思表示しないと、遠慮してるとこじらせるだけだよ。なんかさ、セックスに関すること口にするのってタブー視される風潮あるけど、大事なことだと思うよ」
「あ〜、……はい」
しばしの沈黙のあと、
「ねえ、堀井」
龍司が口調を変えて話しかけてきた。
「今回の後夜祭でのダンスは、もうゲリラじゃなくて、パフォーマンスの最後のプログラムなんだ。で、そのあとは恒例の教職員も交えてのダンスなんだけど、アップテンポの曲二曲、バラード曲一曲、最後にまたアップテンポ一曲って構成でね。アップテンポの曲は僕はたっくんと踊る。って言っても別にホールド取るわけじゃなくて、前とか横でって意味ね。でも、バラードだけは僕は落合さんと踊る」
真澄は隣にすわる龍司を見た。
「落合さん、来年卒業だから…」
龍司が目をふせた。真澄はその時、ほんの一瞬龍司が見せた寂しげな笑みを見逃さなかった。
「だからね」
だが次の瞬間、龍司は顔を上げ真澄を見る。
「たっくん、一人なの」
そして龍司は上目遣いに真澄を見た。
「他の誰かにかっさらわれる前に、堀井、たっくんと踊らない?」
「…え?」
「堀井はセックスの時のたっくんの顔は知ってるだろうけど、バラードを踊ってる時のたっくんの色っぽい顔を間近で見て知ってるのって僕だけなんだよね。今年は僕、落合さんと踊るけど、来年は体育祭も文化祭もたっくんは僕が独占する」
龍司はまたわずかに首を傾げて真澄を見る。
「見たくない?たっくんの色っぽい顔」
「それは、まあ……」
真澄は片手で髪をかき上げながら、曖昧に返事をした。
「僕はダンスってことでわきまえてるけど、それでも勃ちそうになるよ。まあ、堀井が勃起しちゃっても、もう暗いし、二人が付き合ってるのはみんな知ってるし、遠目でもたっくんの色気はわかるから、みんな納得する。問題ないよ」
真澄はサラリと言う龍司をマジマジと見た。
「たっくんの最高に色っぽい顔引き出す踊りかた、僕が教えるよ」
龍司は口元に笑みを浮かべながら、また上目遣いに真澄を見てそう言った。
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