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(どう、しよう…緊張する……!) ついさっき、卒業式が終わった。 両親は来なかった。まぁ、子どもの進路さえ誰かを通して教えた親だしな。期待してなかったけど。 それよりも、今は…… 惜しみなく通った店のドア前に仁王立ちして、深呼吸。 遂に、この日が来てしまった。 明日の朝早くにここを発つ。今日がこの店にこれる最後の日。 堤さんのスイーツを食べられる、最後の日だ。 昨日から心臓がバクバクで、あまり寝れなかった。 さっきの卒業式もずっとこればっかり考えていて。 どんな顔して会えばいいんだろう。 いつも通りがいいと思うけど、いつも通りってどんなだった? 堤さんに…何を言えばいいのかな…… グルグル グルグル まだ考えがまとまらない。 でも、ずっとここに突っ立ってるのも怪しまれるし…… 「こ、こんにちは…っ!」 意を決してドアをカランと開ける、と 「いらっしゃい、柚紀くん。おかえり」 途端に香る甘い匂いと、優しい声と、いつもの笑顔に 「っ、ただいま、堤さん、」 返す声が、震えてしまった。 「今日は卒業式だったんだよね」 「そうなんです、無事卒業できて安心しました…」 「はははっ、柚紀くん真面目だし大丈夫だったでしょ」 「いやいや、勉強とか全然で……」 「嘘だー少なくともその辺の子よりはできてそう」 カウンター越しの、何気ないいつもの会話。 お客さんもいなくて、堤さんを独り占めできてラッキーって思って、この時間がずっと続けばいいのにと思って… 「柚紀くんの進路は、ここから離れた場所の大学だったよね」 「はい、南にあるところです。明日発つので今日が最後になります」 「そっか、寂しくなるなぁ。でも時々はこっちに帰ってくるんでしょう?」 「多分」 「多分じゃなくて帰ってきて、絶対。寂しいから」 「あははっ」 堤さんに伝えている内容は、嘘だ。 研究センターは真逆の方向にあるし学校でもない。 この店がバレたらとかそういうのを想定して、わざと別の内容を教えた。 「それじゃ、今日はこれから荷造りかな」 「いえ、荷造りはもうほぼ終わってて。元々持ち物が少ないので」 「そうなんだ」 「でも、もうそろそろ帰ろうかな。 ーー今日のオススメを聞いてもいいですか?」 僕の、1番最後のメニュー。 色々悩んだけど、やっぱり最後もこうしようと思った。 「ふふふ。今日はね、これ」 「うわぁ…美味しそう……!これにしてください!」 「はい。ちょっと待っててね」 準備をしてくれる間、出来るだけ店内を目に焼き付けとこうとじっくり見て回る。 このお菓子のいい匂いと、床と照明、雰囲気…全部全部めいっぱい脳裏に焼き付けてーー 「はい、柚紀くん。これ」 「へ………?」 いきなり、目の前に白い箱が現れた。 「え、これは?」 「いいから、開けてみて」 手渡されたのを思わず受け取り、ゆっくり開けていく、と 「っ、わぁ………!」 入っていたのは、大きなホールケーキ。 「これね、店のメニューには無いんだ」 「え、」 「柚紀くん専用のオリジナル」 綺麗な指先がケーキに伸びる。 「中心にあるのが柚。その周りを囲んでるのが栗。 〝栗山 柚紀〟だからね。栗と柚で作ってみたんだ」 栗と柚の華やかで綺麗なケーキ。 僕の名前で作られてる、世界に一つだけの魔法のもの。 「どうかな? 味は大丈夫だと思うけど、お祝いに良かったらこれも持って帰って……って、柚紀くん!?」 ボロリと、大粒の涙が溢れ落ちた。 どんどん溢れて止まらなくて、慌てて堤さんがケーキの箱を持ってくれる。 もう片方の手で背中を撫でてくれ、その体温にもっと胸がぎゅっとなった。 (ねぇ、堤さん) 僕ね、あの日貴方に会えて本当に良かったと思ってるんです。 あの日、たまたま受け取った試食の串。 何でもないことであんなに泣かれ迷惑だっただろうけど、でも味覚の無い僕からしたらまさに魔法で。 あれが無かったら、きっと僕は今も毎日を死んだように生きてました。 この日常の中で、貴方だけに色が付いていて、貴方が作るものだけに味が付いていて。 ーーあぁ、僕の〝運命の番〟は こんなにも素敵な人だったんだなぁと思いました。 バス代をケチって買うケーキは毎回バラバラで、全部美味しくて。 買う時にする少しだけの会話も、今日は何を話そうってそれだけで楽しくて。 そんな貴方が「βになりたい」と願う理由を知って、「普通になりたい」という想いを知って、ただただかっこいいと思いました。 僕はαに生まれなきゃいけなかった。そうしなければ自分の存在価値が無かった。 でも話を聞いて、第二性に囚われない考えを聞いて、僕ももう一度自分自身を見つめ直しました。 結局はないものねだり。みんな他のものになりたい、それだけ。 でもね、それでも僕はΩで良かったなぁと思えることができました。 ーーだって、貴方と出会えたから。 (好きです) ずっとずっと。 貴方が作ってくれたこの魔法の味を、絶対に忘れない。 「〜〜〜〜っ、」 涙が止まらない僕を、初めて会った時みたいにあわあわしながら慰めてくれて。 そんな堤さんに笑いが止まらなくて、もう少しだけこのままでと、肩を寄せた。

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