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【二】冒険者の酒場……!

 朝が来た。陽光で目を覚ましたサピアは、身支度を整えると、早速街へと出かける事にした。外の風は、やはり冷たい。身震いしながら、マフラーが欲しいなと考える。手袋も欲しい。しかし、そんな余裕はどこにも無い。  暫しの間歩いていくと、主に人間達が暮らす、街の中心部へと到着した。まだ早朝だが、既に露店の多くは開いていて、色鮮やかな野菜や果物が、荷台やカゴからこぼれ落ちそうになっている。  節約のために朝食を抜いているサピアは、視界にそれらを捉えただけで、空腹を実感した。十九歳といえど、まだまだ育ち盛りであると言える。それは狼獣人の特質の一つだ。完全に大きくなるのは、二十五歳まで期限があるという。しかしながら、大半は十三歳くらいまでに二次性徴を迎える為、もう長らく変化の無いサピアは、本人も周囲も諦めているというのが現実だ。  ブラブラ歩いている風を装って、安い食物を探していく。購入するのは、引き返す時だ。そう考えながら進んでいくと、目の前に見覚えのない建物があった。 「ん?」  街の事ならば、ある程度知っているサピアは、首を傾げながら歩み寄った。  ――【酒場】クロツグミ。  そんな看板が出ていて、壁には一枚の紙が杭で貼り付けられていた。  そこには――『種族問わず、店員募集。十八歳以上。冒険者のための酒場です。時給八百五十ゴールドから』と、記載されていた。 「冒険者のための酒場……?」  口に出して繰り返しながら、サピアは何度か大きく瞬きをした。  この街には、既に何軒かの冒険者御用達の酒場がある。サピアは行った事が無いが、話によると、冒険への出立前や帰還後に、冒険者達は、そこで疲れを癒すらしい。時には打ち合わせをしたり、打ち上げをしたりするようだった。 「ここで働いたら……みんなの役に、僕でもたてるかな?」  気づくと、そう呟いていた。同時に、時給に目が行く。収入が出来れば、困窮した生活からも脱出出来るのは間違いない。賞金を得る冒険者ほどの収入でなくとも、生きるためには十分だ。そう感じるほどに、サピアの現状は、貧乏である。服も簡素だ。  そのまま歩いていき、煉瓦で出来た赤茶けた店をチラリと見る。窓が丸い。中を覗くと、木の床が広がっていて、カウンター席やテーブルが見えた。それから扉の前に回ると、丁度、木製の扉が開いた。 「ん? 開店は、ランチが十一時から十三時、夜は十七時から深夜二時までですよ?」  出てきたのは、人間だった。  ……酒場で働くのは、普通は人間だ。サピアにもそういった知識はある。誇り高き狼獣人は、冒険者以外の仕事になど、滅多に就かない。 「犬獣人ですか?」 「狼獣人だよ!」  首を傾げている人間に、思わずサピアは叫び返した。すると黒いエプロンをしていた人間が小さく吹き出した。 「これは、失礼。あんまりにも可愛らしい耳をしているものだから、てっきり」 「……褒め言葉じゃないよ。狼獣人は、格好良いんだよ……」  自分よりも背が高い人間に言われ、サピアは屈辱的に感じた。しかし人間は笑うばかりだ。 「私はこの店の主で、ロビンと言うんだ。もしかして、そこの張り紙を見てくれたんですか?」 「あ……その……」 「犬――じゃなかった、狼獣人の方でも歓迎ですよ」 「っ、あ、あの!」 「時給の相談ですか?」 「そうじゃなくて! ここで働いたら、僕もみんなの――冒険者の役に立てますか?」  サピアが必死で尋ねると、ロビンが虚を突かれたような顔をした。それから吐息に笑みをのせる。 「ええ。そうなるよう、憩いの場の提供を、私は目指していますよ。一緒に頑張りませんか?」  それを聞いて、サピアは大きく頷いた。 「よろしくお願いします!」  こうしてこの日、サピアの仕事が決まった。そのまま店内へと促される。外観とは異なり、内部は木造だった。カウンターの前には丸椅子がならんでいて、テーブル席も多い。二階は宴会用らしく、広い部屋があるとの事だった。簡単な宿屋も兼ねているらしく、そちらは三階に部屋があるらしい。  ロビンから説明を受け、仕事の内容や時給について、サピアは話し合った。初めての仕事だからと緊張していたので、いちいち大きく反応してしまう。そんなサピアを、ロビンは微笑ましそうに眺めていた。 「では、今日の夕方からお願いします」  そう口にしたロビンに、大きく頷いてから、サピアは一度帰宅する事に決めた。道中で、林檎と長いパンを購入し、昼食にはジャムを作る。新しい毎日の始まりを予感しながらの昼食は、思いのほか美味だった。  ――夕方。  サピアは早速、『仕事』に出かける事にした。酒場に到着したサピアに、ロビンが黒いエプロンを手渡す。早速それを身につけて、サピアは開店に備えた。サピアの仕事は注文を取る事と、料理や酒を運ぶ事だ。  緊張しながら客を待っていると、十七時になってすぐに、木製の扉が開き、鐘の音が店内に谺した。 「いらっしゃいませ……!」  ドキドキしながらサピアは声をかける。すると入ってきたのは、ピンク色の髪に紫色の瞳をした青年だった。人間だ。身軽な服装で、一瞥すると普段は剣を握っているのか、綺麗に筋肉が付いた手が見て取れた。  どこか気怠げに瞳を揺らした青年は、真っ直ぐにカウンター席へと進んでくる。  ――お好きな席へ。  これを言うタイミングを逃し、サピアは早速焦った。空いている時は、そう述べると教わっていたからだ。しかしロビンは何を言うでもなく、カウンターの中で穏やかに笑っている。 「本当に、酒場を始めるとはな」  椅子を引き、ロビンの前に青年が座った。オロオロしながら、サピアはカウンターのそばへと引き返す。頷いているロビンを見て、どうやら知り合いらしいと、サピアは判断した。 「そろそろ大陸全土――この国にも、話が広まる頃だぞ」 「ええ。ですので、その前にと急いで店を出したんですよ」 「冒険者用の酒場、か。まぁ、まだ、魔王の残滓は多いし、魔獣は各地に残存しているからな」  二人の言葉は難しかったので、サピアには分からなかった。ただ、どのタイミングで注文を取れば良いのかだけを、じっくりと考える。注文は直接ロビンが取る場合もあると聞いていたので、自分が割って入るべきなのか否かからして思案していた。するとサピアを、ロビンが見た。 「サピアくん。こちらは、私が以前共に旅をしていた者の一人で、ルクスと言います」 「どーも。犬獣人か?」 「狼獣人です!」 「――そ、そうか。悪かったな。それにしても、狼獣人が人間の店で働くというのは珍しいな。気位が高いのに」  サピアの勢いに、少し焦ったようにルクスが苦笑した。実際、彼の言葉は正確で、今になって考えてみると、『人間の店で働くとは何事か』として、同胞である狼獣人達には怒られるような気がしていたサピアは、体を強ばらせる。  するとロビンがクスクスと笑った。 「麦酒で良いですか?」 「おう」  気を取り直した様子で、ルクスが正面へと視線を戻す。  続いて扉が開いたのは、その時の事だった。今度は四人連れの冒険者達が入ってきた。 「いらっしゃいませ! お好きな席へ!」  サピアは、今度は記憶していた台詞をきちんと述べる事が出来た。  ここから忙しくなり、新しい店が物珍しい様子で、多くの冒険者集団が、店へとやってきた。カウンターに座る人間は、相変わらずルクスだけだったが、テーブル席がどんどん埋まっていく。  初めての事ばかりだったが、注文を取ったり、料理や酒を運んだり、話しかけられれば答えたり(多くの場合、犬獣人では無いと否定したり)しながら、この日、サピアは初仕事に没頭した。 「お疲れ様。よく働いてくれたね。はい、今日の分」  ロビンにそう声をかけられたのは、客足が落ち着いた夜の十二時頃の事だった。店内にはまだ客も多いが、勤務時間は零時までという契約だったのである。 「有難うございます!」  初めてのお給料に、サピアは瞳を輝かせた。それから――まだカウンター席に座り、一人で酒を飲んでいるルクスをチラリと見た。 「ロビンさんのお友達、まだ飲んでるの?」 「友達というか――まぁ旅の仲間だったわけだけれど、あいつは酒豪だからねぇ」  楽しそうにロビンが答えた時、ルクスもまたサピアをチラリと見た。目が合い、慌ててサピアは視線を反らそうとした――のだが、何故なのかそれが出来なかった。まるで射抜くような鋭い眼差しを目にした瞬間、体が動かなくなってしまったのだ。まじまじと見据えられて、困惑が内側からせり上がってくるのだが、目が離せない。  緊張感が途切れたのは、ルクスに手招きされた時の事である。 「……えっと」 「一人酒も寂しいようだから、サピアくんさえ良かったら、賄いもかねて、なにか食べていかない? お代は不要だし、ルクスの相手をしてもらえるとこちらとしても助かるよ」  ロビンにそう促されて、曖昧にサピアは頷いた。エプロンを外して、ロビンに手渡してから、サピアはカウンターの奥から外へと出る。そしてルクスへと歩み寄った。 「座れ」 「は、はい!」  サピアはルクスの座る椅子を見て、一つ席を空けてから、横の丸椅子に腰掛けた。すると空腹を実感して、気づくとお腹が泣いていた。その音が妙に大きく響いた気がして、サピアは赤面する。その前に、ロビンが馬鈴薯のチーズ焼きを置いた。 「何か飲むか?」 「オレンジジュース」 「酒は飲まないのか?」 「飲んだ事がなくて。狼獣人は、十六歳から飲めるけど、その……」  お酒は値が張る。貧乏暮らしのサピアは、これまでに飲んだ事が無かったのである。だが、ルクスは特に追及するでもなく頷いていた。それからロビンを見る。 「とりあえずオレンジジュース」 「ルクスがおごるというのも、考えてみると珍しいねぇ」 「悪いか?」 「あんまり良くは無いかな。せっかく入ってくれた店員さんを、喰われるのはなぁ。下心が無いとルクスはご馳走しない事に定評があったと思うけれどね?」 「――オレンジジュースだぞ?」  ロビンは何も答えずに、クスクスと笑うばかりだ。  二人のやりとりを聞きながら、サピアは銀色のフォークで、馬鈴薯とチーズを口に運ぶ。 「美味しい……」  思わず頬が蕩けそうになった。目を輝かせているサピアを、ロビンとルクスがほぼ同時に見る。瞳をキラキラと輝かせたままで、サピアは顔を上げた。 「ロビンさん、これ、すごく美味しい!」 「気に入ってくれて良かったよ」  これから毎日、賄いでこんなにも美味しい料理を食べられるのかと思うと、サピアは幸せだった。そればかりを考えていたので、ルクスが硬直している事には、サピアは気づかない。  あんまりにもあどけない笑顔でフォークを握っているサピア。その姿を、戸惑うように、僅かに頬を染めたルクスが見ている――その事実に、サピアは全く気付かなかったのだ。  ロビンだけが内心で、『あー、一目惚れかぁ』なんて考えていたのだが、それはルクスも気付かなかった。

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