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【三】新しい日々……!

 こうして、サピアの新しい日々が幕を開けた。  まず夕方に仕事へと出かける――そして、大体開店と同時に訪れるルクスに、挨拶をする事から、勤務が始まるようになった。注文を取らずとも、現在では、彼の一杯目が麦酒である事を、サピアは覚えた。  ルクスはいつもカウンター席に座り、一人で酒を、開店から夜遅くまで飲んでいる。相手をするのは、専らロビンであり、ロビンは料理をしながら微笑している。  最近ルクスは、宿をこの店の三階に移したらしく、サピアが来ると、先にカウンターに居る事も多い。  ロビンとルクスの二人が、人間の冒険者だったというのは、漏れ聞こえてくる話から、サピアも理解していた。だが、深く尋ねた事はない。大体すぐに、他の客達が訪れるので、そちらへの応対に忙殺されるからだ。  そうして零時頃、客足が落ち着いた所で、一日の仕事が終わる。  すると――ルクスがサピアに声をかけてくる。そこで賄いを食べながら、一緒に話すのも、日常の風景の一コマとなった。  本日はバジルソースでバケットを食べながら、サピアは頬を緩ませている。ルクスは何を言うでもなく、その隣で酒を煽っている。食べながら、サピアはルクスを一瞥した。 「……」 「……」  すると目が合った。途端、ルクスの頬が朱く染まる。  ――酔っているのだろうか? と、サピアは小首を傾げた。その愛らしい姿を見ると、さらにルクスは赤面する。ジョッキを置いた彼は、片手で唇を覆った。そして顔を背ける。 「……一目見た時から気になっていたけどな……仕事を頑張ってる姿を見ると……ああ、もう……愛おしすぎる……!」  ルクスが呟くように言った。サピアは目を丸くする。純粋に仕事ぶりを褒められたのだと感じたのだ。 「有難う、ルクス」 「名前呼び、クる」 「え?」  呼び捨てにして良いと、最初に言ってきたのは、ルクスである。一昨日の事だった。一体何が来るのだろうかと、サピアは首を捻る。 「まずその垂れた耳が、犯罪級に可愛い」 「犯罪? 垂れてるけど、合法だよ? 狼獣人らしくないけど、狼獣人だと認められてるんだ! 失礼だなぁ!」 「そ、その……可愛い」 「可愛くないよ! 僕はこれでも、狼獣人なんだ! 格好良い以外は、嫌だ!」 「褒めてる」 「どこにも褒め言葉が見当たらないよ!」  二人の、噛み合っているようで、全く噛み合っていない会話を、カウンターの中から、ロビンが微笑ましそうに見守っているのも常だ。  この日は、客が皆帰るのが早く、既に店内には、ロビンとサピアを除けば、ルクスの姿しか無かった。サピアとルクスのやり取り以外は静かな店内で、早めではあるが看板を閉店に変え、後片付けを開始しながらロビンが言う。 「少し裏手で、明日の仕込みをしてきます。サピアくん、ルクスの相手を頼んだよ」 「は、はい!」  こうして、店内には、サピアとルクスの二人になった。ルクスは息を呑み、沈黙したたま、ロビンの背中を睨んでいる。 「ロビンさんがいないと寂しい?」 「寂しくねぇよ。理性が持つか心配なだけだ」  そう言うと、ルクスがジョッキを煽った。その様を見据えながら、サピアはオレンジジュースのストローを銜える。甘くて冷たい。大好きになってしまったこの店のジュースの味に浸ってから、サピアはふと思い立って、聞いてみる事にした。 「ロビンさんとは、どんな旅をしていたの? 魔獣、いっぱい倒した?」 「――ロビン、ロビン、ロビン、うるせぇな」 「え?」 「そんなにロビンが気になるのか?」 「ううん。僕は、ロビンさんとルクスの事が気になったんだよ」 「っ!」  素直にサピアが答えると、ルクスが真っ赤になって小さく咽せた。 「お、お、俺の事が、き、気になった……だと?」 「うん。ルクスとロビンさんの事」 「……そ、そうだな。ええと、俺とあいつと、他に二名で、ちょっと長旅をした事があってな。それだけだ。断言して、俺とロビンは、そういう関係には無い」 「そういう関係?」 「だ、だから! 恋愛とか、そういう関係だ」 「? 男同士だし、それは分かるよ?」  この大陸では、同性愛もそれほど珍しくは無いが、基本的に番うのは異性同士である狼獣人のサピアにとっては、男同士というのは恋愛をする関係にないというのが基本的な知識だった。しかしそれを耳にしたルクスは項垂れた。 「俺は……男もいける」 「人間は、そうかもしれないけど、狼獣人ではあんまり聞かない」 「サピア。お前は――男は嫌か?」 「嫌というか、考えた事が無いよ」  サピアが答えると、ジョッキを置いて、ルクスが向き直った。そしてまじまじとサピアを見る。それから不意に、サピアの頬に触れた。サピアは首を傾げる。そうしていると、ルクスがもう一方の手で、サピアの顎を持ち上げた。 「少しは、考えた方が良い。この店に通ってくる冒険者の内の幾人か――いいや大勢が、お前に見惚れているんだからな」 「そうなの?」 「ああ、そうだ。俺もその一人だからな。ライバルには目敏いんだよ、俺は」 「?」  言われた意味が上手く咀嚼できず、サピアは困惑した。するとルクスが、今度は指先でサピアの柔らかな唇をなぞる。身を乗り出したルクスは、それから今度は、両手でサピアの頬に触れた。覗き込まれる形になり、サピアは目を丸くする。 「……」  無言でルクスが、サピアに顔を近づける。どんどん近づいてくる端正なルクスの顔を見ていると、サピアは動けなくなった。まるで初日に射すくめられているように感じた瞬間のように、真剣すぎるルクスの瞳を見ていると、体が硬直するのだ。唇と唇が触れ合いそうな距離になり――そして、ルクスの綺麗な形をした唇が、サピアの口を奪った。 「ん!」  突然の事に狼狽えて、何か言おうと唇を薄くサピアが開くと、ルクスの舌が侵入してくる。焦るサピアの舌を追い詰め、絡めとり、ルクスがサピアの歯列をなぞる。人生で初めての濃厚な口づけに、サピアはギュッと目を閉じた。最初は怖いと思ったが、暫しそうされていると体がふわふわしてきて、力が抜けそうになる。 「ぁ、ハ」  椅子から落ちてしまいそうになり、慌ててサピアはルクスの首に両腕を回した。すると息を呑んだルクスが、片腕でサピアの腰を支える。それから角度を変えて、より深々とサピアの口を貪った。たどたどしくキスに翻弄されているサピアは、手馴れたルクスに息継ぎを促されて、必死で酸素を求める。 「っ……」  長い口づけが終わった時、サピアはとろんとした瞳をしていた。必死で呼吸をするサピアの瞳は、困惑と羞恥で潤んでいる。蒸気した頬が朱く染まっていて、そこには艶があった。いつものあどけない可愛らしさとは異なる――色香。それを目にした瞬間、ゾクリとルクスの体が熱くなる。それもあったし、己に抱きつくようにしているサピアが愛おしすぎるのもあって、今度は両腕でルクスがサピアを抱きしめた。 「一切気づいていない様子だから言う」 「?」 「好きだ」 「……え?」  サピアにとっては、不意打ちの告白だった。驚いて顔を上げると、ルクスの真剣な顔がそこにはある。とても冗談には思えない。するとルクスがサピアの耳元に唇をよせた。 「サピアが欲しい」 「あ!」  耳元で囁かれてすぐに、首筋を噛まれて、思わずサピアは声を上げた。ツキンと疼いたその箇所から、全身を甘い何かが走り抜けた。 「悪い――理性はやっぱり持たないみたいだ」 「ルクス?」  怖くなって、怯えながらサピアはルクスを見上げる。するとルクスは微苦笑していた。 「好きだサピア。一目見た時から、本気でずっと気になっていて――毎日、頑張っているお前を見ていると、どんどん気持ちが膨らんで……もう抑えきれねぇんだよ」  どこか焦燥感を滲ませる声でそう言うと、ルクスがギュッとサピアを抱きしめた。そしてサピアの柔らかな髪を撫で、犬に似た耳に触れながら続ける。 「俺の事が、嫌いか?」 「そんな事は無いけど……今日のルクスは、怖いよ……」 「――優しくする。全力で。だから、今夜、俺についてきてくれ」 「何処へ行くの?」 「俺の部屋」  そのまま空気に飲まれて、おずおずとサピアは頷いていた。真剣なルクスの瞳が、否という回答を、サピアにさせなかったというのもある。こうして二人は、三階のルクスの部屋へと向かう事になったのだった。

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