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【五】変わった関係……!

 こうして――サピアとルクスの関係は少し変わった。 「サピア、愛してるぞ」  まず、ルクスは所かまわず、サピアに愛を囁くようになった。ひと目もはばからず、隙あらばサピアに抱きついてくる。サピアは本日もそれを押し返しながら、真っ赤になっている。 「もうすぐお客さんが来るんだから、離してよ!」 「客がいなかったら良いのか?」 「そ、そういう意味じゃなくて……っ……」  恥ずかしくて、サピアはギュッと目を閉じる。睫毛が震えている愛らしい姿を見て、ルクスは愛が極まっていく。もうサピアの事で、彼の頭は一色だ。  周囲に溢れる甘い空気を、ロビンは苦笑しながら眺めている。  それがこの酒場、クロツグミの日常風景となりつつあった。最近では、常連客となった者達も、二人の特別な親しさには気づきつつある。それはルクスの牽制が激しいからというのもあるが。  ――そんなある日、夜の七時を過ぎた頃、鐘の音が響いて団体客が店へと入ってきた。 「あ!」  サピアが目を見開く。 「帰ってきたの!?」  驚いて声をかけたのは、皆が顔見知りの、狼獣人だったからである。するとサピアの姿に気づいたガルディが、小さく息を呑んだ。 「ああ……まだ、現地にピラー様達は残っているが、俺達は先に帰還したんだ……が、なんだその黒いエプロンは?」 「僕、ここで働いているんだよ」 「……人間の酒場で?」  呆れたようなガルディの声に、サピアはハッとした。確かに、狼獣人が人間の酒場で働くというのは、滅多な事ではありえないのだ。 「まぁ……俺達のように力もなく、弱いお前には適職かもしれないが……少しは職を選べ。どこまで狼獣人の面を汚せば気が済むんだ? 族長もさぞお嘆きになるだろうな……いいや、ピラー様はお前に甘いか……」  ガルディはそう言うと、両手を腰に当てて、深々と溜息をついた。 「誇り高き狼獣人が、たかが人間にこき使われるなど……あるまじき事だ」  その声に、サピアは小さく震えた。ロビンは非常に良い人であるし、ここでの仕事にだって誇りを持てるとサピアは考える。しかし反論が思いつかない。そのため俯いて言葉を探していると、サピアの隣に、すっとルクスが立った。 「たかが人間? お前ごとき、ロビンならば、指をパチンと鳴らすだけで塵芥だぞ」  いつもとは異なり、初日に出会った時のような、どこか気怠い声で、ルクスが言う。 「おだてないで下さい。まぁ、事実ですが」  するとロビンが、切った檸檬入りの水を、ガルディ達がついた席に配りながら苦笑した。そして片手を持ち上げると、手首を小さく動かした。 「――なんだと?」  ガルディが忌々しそうに目を細くする。 「ただ、私は今は、一介の店主なので、勿論お客様には優しいですよ。可能な限りは」 「失礼な客なんて、ただのゴミだろう」 「ええ、生ゴミですね」 「さっさと片付けろ」 「その仕事は、ルクスに任せます。まだ宿の代金を頂いていないので」  ロビンとルクスが物騒なやり取りをしている。サピアは顔を上げて、人間二名と同族の皆を交互に見た。するとその時、ルクスが剣の柄に手をかけた。ハッとして、サピアは息を呑む。 「待って、ルクス! ガルディ達は僕の仲間なんだよ!」 「仲間? 俺はサピアなんかと同列にされる覚えはない。たかが人間が良い度胸だ。かかってこい!」  その言葉に失笑するように口角を持ち上げながら、ルクスが剣を抜いた。  ――瞬間、その場に神聖な気配が溢れかえった。荘厳な空気に気圧され、サピアも含めて、店中が凍りつく。動けるのは、ルクス本人と、嘆息しているロビンだけらしい。 「まさか聖剣でゴミ掃除をする日が来るとはな。俺の愛しいサピアを侮辱した事、あの世で後悔すると良い」  サピアは唖然とした。あの世、と、聞いて、狼獣人族の宗教にある天国という言葉が脳裏を過ぎる。ガルディは愕然としたように目を見開き、次第に震え始めた。そして、彼は声をひねり出すように唇を震わせる。 「ま、まさか……伝説の勇者……聖剣のルクス……?」 「俺を知っているということは、新聞を読む程度の教養はあったんだな」 「……な、なんで……こんな辺鄙な街のボロい店に……?」 「ボロくて申し訳ございませんねぇ」  ロビンが嘲笑するように言う。ルクスは冷たい顔でガルディを睨んでいる。  ――このままでは、ガルディ達が死んでしまうかもしれない。  本能的にそう考え、慌ててサピアは震える体を叱咤して、割って入る。 「ルクスやめて! ロビンさん許して! ガルディには悪気は無いんだ。ただちょっと口が悪いだけで、本当は優しいんだよ!」  すると、ロビンとルクスが、ほぼ同時に虚を突かれたように息を呑んでから、顔を見合わせた。 「……サピアくんは優しいですね」 「……サピアがそう言うんなら」  二人の様子と、すぐに剣をしまったルクスに対し、サピアは脱力した。びっしりと全身に汗をかいていた。空気が自然なものへと戻った途端、ガルディも床に経たり込む。店の空気も柔らかなものが戻ってきた。 「前々からそうだとは思ってたけど、やっぱり本物のルクスか……」 「あのロビンが、店……」  他の客達が、そんな事をひそひそと話し始める。ガルディ達は、その光景を一瞥した後、サピアを見た。 「助けてくれて有難うな……」  ガルディがそう言って立ち上がり、店の扉を見る。そうして狼獣人の一行は、何を頼むでもなく帰っていった。見送っていると、気が抜けてしまい、サピアは後ろに倒れ込みそうになる。その体をルクスが支えて、そのまま抱きしめた。 「お前は、本当に優しいんだな」 「ルクス……だって、みんな、大切な仲間なんだよ……もうあんな事、しないで」 「――そうだな。サピアの願いは、叶えられる限り、全部叶えたいしな」 「有難う……」 「その代わり――今夜、家に行っても良いか?」  ルクスは、サピアの耳を撫でながら言う。驚いてサピアは顔を向けた。家、と、聞いて、先日の三階の部屋での事が脳裏を過ぎり、赤面してしまう。すると唐突にルクスを意識してしまい、胸がドクンドクンと煩くなった。そんなサピアに、触れ合いそうなほどの距離へ、ルクスが唇を近づける。 「ダメか?」 「い、いいけど……」 「――約束だぞ」  こうして、それからすぐに、店での仕事をサピアは再開した。  そして夜の十時頃に、ロビンから声をかけられた。 「今日は色々ありましたし、早く上がって良いよ。ルクスとも約束があるようですしね」 「っ、え、えっと……ちゃんと零時まで……」 「同族の皆様もおかえりですし、明日はお休みですし、ご挨拶の準備などもあるのでは?」 「そ、それは……はい」   素直にサピアは頷いた。明日には伯父であるピラー達も帰還するだろうと考えると、正直助かると感じていた。それに――今夜ルクスが家に来ると思うと、仕事に身が入っていない自覚もあった。なので素直に、今日は帰る事に決める。  するとカウンターで飲んでいたルクスが立ち上がった。  そしてサピアの肩に手を回す。 「行くか」  このようにして、二人は店を出た。  冬の気配が差し迫っている夜更け。星空がいつもより高く見える。三日月が見守る中、二人で露店街を抜け、長い草花が茂る道を歩いていく。ルクスは物珍しそうに、周囲へと視線を向けた。虫の鳴き声が遠くから響いてくる。 「暗いな。魔道灯も無い」 「うん。田舎だからね、あんまり魔道具は無いんだよ」 「手、繋いでも良いか?」  ルクスの声は質問を形作っていたというのに、サピアが頷く前に、手は繋がれていた。無骨なルクスの手の温度に、サピアの頬が熱くなる。外気は冷たいが、心は温かい。 「僕の家、小さいけど良い?」 「ああ。サピアが普段暮らしている場所が見たいんだ」  その後、並んで歩いた。様々な話をしながら、時折視線を重ねる。  サピアは、ルクスの声音が心地良いと感じていた。  魔力が込められていなくても、まるで吸い込まれそうになり、日増しにルクスから視線が離せなくなっていく。ルクスを見る度に、胸がトクンとする日々が増えていく。まだ出会ったばかりだというのに、サピアもまた、確実にルクスに惹かれつつあった。

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