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5.救いの手

 向かってくるヒート状態らしいαの集団。  必死で押し返してるとオレ達に気づいて正気に戻りかける奴も居たけど、甘ったるい匂いに近いせいかすぐに興奮状態に戻ってしまう。  しかもこっちは五人なのに向こうは人数が増えていた。これ以上増えないように通るなって声かけてくれてる奴らもいるけど、放課後であちこちから人が来るから防ぎきれない。 「ダメだ人数多すぎる! おいっお前早く逃げ――」  鍵の閉められる場所に移そうと慌てて声をかけるとビクン!とΩらしき生徒の体が震えた。恐る恐るこっちを見た顔は真っ赤で、目が潤んでとろんとしてる。  急に甘ったるい匂いが強くなった。思わず息を止めてしまうほどに。 「えっなに!? ちょっ、お前ら落ち着けっ……力強ッ! うわわわ待て! 待てってコラァ!」 「いってぇ殴んな馬鹿! あーもう落ち着けって!」  皆川と田野原の困惑した声が響く。  さっきの匂いに当てられたのか、一気にαの動きが激しくなっていた。さっきまで押し合いだったのに殴り合いの乱闘みたいになってしまっている。  おまけにα同士も殴り合いみたいになってて、しかも向こうはお互いに噛んだり引っ掻いたりしてる。何だか危なそうな気配しかしない。 「なぁこれどうしたらいいんだよ!? 殴って黙らせてもセーフ!? βじゃアウト!?」 「正当防衛にならなきゃ逆にβ差別だよこんなの!」  悲鳴みたいな声を上げる田野原と皆川。その顔は明らかに動揺してて落ち着きがない。  いくらカウンセリングや授業で教わってても、実際に直面すると全然違う。予想以上の勢いと迫力に皆も戸惑っているようだった。  「こういう時のΩってどうすりゃいいんだ!?」 「保健室は!? ……そも保健室の人はβなのか!?」 「知らねぇー! 無闇に聞くなって言われてんのにわざわざ聞かねぇよぉぉぉ――っ!!」  原田と沢良木も後ろを気にしながら話している。第二性を無闇に聞かないルールのせいでどうすれば良いのか判断出来ない。段々パニックみたいになってくる。    ――と。   「もう少し抑えてろ、お前達! 一発殴って昏倒させるくらいなら揉み消してやる!」    誰かが声を上げながらこっちに走ってきた。α集団も、そいつらを抑えてる皆もすり抜けて真っ直ぐΩの生徒の方へ向かってくる。  センター分けの優等生っぽい髪型に整った顔。少し小柄な背丈が着てるブレザーには生徒会のメンバーがつけてるっていうバッジが光っていた。 「誰だよ悪役みたいな台詞言ったの! ……あ、β様だ!?」  原田が叫ぶ頃には生徒会長がこっちに辿り着いていた。  すげぇ事良いながら走ってきたその人は、Ωの生徒を押し倒すとシャツを引き出して肌着を捲り上げた。何してんだと言ってる暇もなく、腰につけてるポーチみたいなやつから細長い棒を取り出す。  棒の端っこを押し込むか何かしたのか、カチッと変な音がした。すると反対側からキラリと光るものが飛び出してくる。 「えっ針!? ちょっ、アンタ何して……!」 「……っ、ぐ!」  止めようと頭が判断した時には生徒会長がとっくに動いていた。迷いなく腹の向かって右側に棒の先端が入っていって、Ωの生徒はビクンと体を跳ねさせる。 「ギャーッ何か刺した! 腹まっしぐらとか容赦ねぇ!!」 「うるさい、黙ってαどもを抑えてろ!」  一部始終を見ていたらしい原田が文字通り悲鳴を上げる。それに反応したのか暴れ始めたΩを地面に押し付けながら、乱入者は原田を叱り飛ばした。    ふーふーと荒い息を吐いてるΩの生徒は恐怖のせいか涙目だ。かたかたと震えるその顔を覗き込んだ生徒会長はじっと見つめる。 「……安心しろ、鎮静効果入りの抑制剤だ。特効薬クラスのキッツイやつだがな」  しばらく震えてたけど、自分に話しかけてる顔がβ様のそれだと理解したらしい。αじゃないと分かったせいか、薬が効いたのか、暴れてたΩの震えが少しずつ収まっていく。  ゆっくりゆっくり、息を吸って吐いてを繰り返す。しばらく見守っていると腹に刺されてた針が抜かれていった。 「処方されたピルは持ってるか?」  落ち着いたと判断したのか、ゆったりした声で生徒会長が話しかける。周りが乱闘みたいになってるとはとても思えない声音だ。 「……こ、れ……」 「ん、いい子だ。一つ飲ませるぞ」  多分飲もうとして間に合わなかったんだろう。途中まで薬が出かけてるシートを受け取って錠剤を一つ取り出した。オレにΩの生徒を起こして体を支えるように指示すると、手慣れた様子でそいつの口を開けさせて橙色の粒を中へ放り込む。 「ゆっくり飲み込め。ほら、水」 「んん……ん……」  まるでこうなるのが分かってたみたいにポーチからパウチみたいな小袋に入った水まで取り出した。子供みたいに頭をなでられながら、Ωの生徒はゆっくりと水を飲み下してるみたいだ。  しばらくしてこくんと大きく喉を鳴らして、ふうっと息吐き出す音がする。 「ちゃんと飲み込めたな。よくできました」  相変わらず頭を撫でる生徒会長の顔が、ふっと少し微笑んだ。   「あ゛の゛っ……ま、まだすか!?」    何となく穏やかな時間が流れてたけど、原田の呻き声に我に返る。オレが抜けたせいでさっきより距離が近付いてるα集団を、皆が必死の顔で抑えていた。 「そ、そろそろッ、腕限界なんすけどッ!」 「抑制剤が効くまで抑えてろ」  あんなにΩの生徒には優しい声音だったのに、原田には容赦なく命令口調で斬って捨てた。さっきと違いすぎる。Ω専用の声か何かなんだろうか。 「ぅひーっ鬼! つかこいつら何でこんな力強……いってぇ指噛むな馬鹿野郎――ッッ!!」  Ωが近いからなのかα集団の行動ががむしゃらになってきてる。慌てて加勢しようとしたけど、横から伸びてきた腕に行く先を阻まれた。 「こいつを診てろ」 「えっ、あの」  αの集団に怯える生徒を預けて、何故か生徒会長が立ち上がった。  ……いや、アンタ小柄だしオレより力弱そうなんだけど。押し合ったら負けそうなんだけど!?  そんな心配をよそに、生徒会長はαの集団に寄っていった。拳を握って、脇をしめる動作をして、腰を落として――原田の指に噛みついてる奴の腹に握った拳をぶちこんだ。  食らった方はぐうっと低い呻き声が聞こえて、ずるりと地面に倒れ込む。 「ぎゃぁぁっ! いっっってぇぇぇぇ!!」 「お前には何もしていないだろうが」 「見てるだけで痛い! 容赦ねぇぇ――っ!!」 「この状況だ。仕方ない」  騒ぐ原田を適当にあしらって、生徒会長は一人また一人とα集団を物理的に沈めていく。何人か似たようなバッジをつけた生徒が乱入してきて、どんどん集団が地面に転がっていった。      乱入者の出現から、しばらくして。  目の前には生徒会に縛り上げられたαの集団がごろごろと転がっていた。 「やったら縛るのうめぇ……なに、この学校そんな治安悪いの……」  原田の呆然とした声が沈黙に転がった。多分、多少の違いはあっても皆同じことを思ってるんじゃないだろうか。生徒会が人間を縄で縛るのめちゃくちゃ上手いってどういう事だよ。  あと、一人明らかに縛るのが趣味な奴居るよな。必要以上に凝った縛り方してるよな。 「ヒート事故が起きやすい環境だからな。αを抑えるなら脚を使えなくさせるに限る」 「言い方が怖い!!」  こればっかりは田野原に全面同意だ。しかもあれだけ人を沈めたり縛ったりしてんのにけろっとした顔で立ってる生徒会長に、β様ってこんななのか……とざわつくオレ達。それをよそに当の本人は少し宙を見た。 「……落ち着き始めたな。効いてきたか」  そう呟いて向けられた視線の先は、だいぶ呼吸の落ち着いてきたΩの生徒だった。   「大丈夫か?」  近付いてきたβ様に話しかけられてこくんとΩの生徒は頷く。周りの状況が飲み込めたせいか、ヒートで真っ赤だった顔が今度は血の気が引いて真っ青になっている。  いきなり手を差し出したβ様を不思議に思いながら見てると、Ωの生徒は生徒手帳を出した。  その間に挟まってたのはΩだって分かった時に配られる手帳サイズの冊子だ。かかりつけの病院とか処方されてる抑制剤が書かれてて、飲んだ記録つけろって言われてるやつ。んで、いつも持ち歩くの忘れて怒られるやつ。  生徒手帳に挟むのは賢いな。真似させて貰おう。 「ふむ、薬は一時間前に服用済み……突発的なヒートのようだな。少し経過観察が必要そうだが、歩けるか?」  またこくんと頷いて、そいつは何度か体を揺らす――けど、立ち上がる気配はない。腰が抜けたんだろうか。 「無理するな。相楽(さがら)、こいつを隔離室へ運んでやってくれ」 「承知しました」  指示された長身の相楽って奴がへたり込んでたΩの生徒を軽々と抱え上げた。俗にいうお姫様抱っこってやつ。変な展開に慌てたのか抱え上げられた方はわたわた挙動不審な動きをし始めるけど、暴れるなら落とすぞと脅されて大人しくなった。    運ばれていくΩの生徒を呆然と見送っていたら、いつの間にか生徒会長が近付いて来ていた。

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