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8.要請

 しばらくして、生徒会長の手が離れていった。    欲を吐き出して汚れたオレのをティッシュがぬぐって、ウエットティッシュみたいなのが清めてくれる。今度はアルコールの匂いがしない。水で濡らしたハンカチみたいな、不思議な感じだ。  ぼんやりした頭でその様子を眺めてると、自分の手をアルコールの匂いがするウエットティッシュで拭いてた生徒会長がにこりとオレに笑いかけてくる。 「落ち着いたか?」 「何とか……」  人様に何させてるんだろ、オレ。  情けないことに腰が抜けてまだ上手く動けないオレの代わりに、生徒会長が散らばってる丸まったティッシュを片付けている……どういう状況だよ。お互いに罰ゲームじゃねぇかこれ。 「……その、すんませんでした……」  何とも言えない気まずさが一気に沸いてきて、思わず謝ると目の前の顔はきょとんとこっちを見つめ返してきた。 「ん? お前のを擦って抜いてやった事か?」  その言葉にさっきまでの出来事が頭によみがえってきて、かぁっと顔に熱が集まってくる。 「なっ何でわざわざ言うんだよ! 自己嫌悪でいっぱいなのに!!」 「面白いから」 「はぁ!?」  にんまりと笑う生徒会長の顔は物凄く憎たらしい。ちょっとでも申し訳なく思って損した。  というか入学式で感じた優等生って雰囲気が嘘みたいに印象違う。詐欺だろこれ。そりゃ多少は顔作るもんだろうけどさ、落差が激しすぎて他人の空似レベルだぞ。 「……アンタ性格悪いって言われるだろ」 「いい性格をしているとは言われるな」 「意味一緒じゃねーか!」  睨んでみるけどニヤつくばっかりで効いてる様子は全然ない。どう考えてもからかわれているとしか思えない。  変な奴に助けられたとふてくされてると、話は変わるがと言葉が降ってくる。するとさっきまでニヤついてた表情が一気に真剣そうなものに変わった。 「お前、Ωのフェロモンが分かるんだろ」  急に話の矛先が自分に向いて、意味もなくドキリとした。 「えっと……まあ……ヒートしてんのかなー、くらいですけど……」  フェロモンが分かるかと言われると分かる方なんだろうか。  あの時Ωの生徒が甘い匂いさせてるって分かったのはオレだけっぽいし。沢良木はちょっと影響受けてたみたいだけど、言い出したのは結構めんどくさい状況になってからだった。  でも周りがαかβかΩかどうかなんて分からない。たまたまアイツがヒート中っぽかったから分かっただけで、本当にフェロモンが分かるのかどうか。分かるって答えてよかったんだろうか。  そんな事を悩み始めた頃、生徒会長はいつの間にかうつ向いてたオレの両肩を掴む。   「ヒートが分かるなら話は早い。俺に協力しろ」   「は?」    またからかってんのかと思って顔を見たけど、さっきみたいなニヤニヤ笑いじゃなかった。あくまでも真剣な顔のまま話が続いている。 「生徒会はさっきみたいなヒートトラブルのフォロー役も兼ねているんだが、半分がαで役に立たなくてな」  確か生徒会はα集団が入りたがるんだって市瀬が言ってたな。今年は半分金持ちαで、あと残りは一般生徒推薦の殆どβじゃないかって話だっけか。普段はいいけどΩのヒートで押さえられる側が半分居たんじゃ、そういったトラブルの時は確かに大変そうだ。  生徒会長がやたら動き回ってるのも人手不足ってやつなんだな。 「起こったトラブルの対処はβで出来ても、フェロモンの察知が出来ない。予防的に動ける人員が殆ど居ないんだ。俺一人では流石に手が回らない」  ……あれ、トラブル発生したら全員全力で走るのかと思ったけど生徒会長だけ動き方が違うのか。しかも、その言い方は……。 「一人で、って、会長はフェロモン分かるんすか」  生徒会長ってβ様なんじゃなかったか。βはフェロモン分かんないんじゃなかったか。あれ、でも沢良木は影響受けてんのかくらくらするって言ってたな。  良く分からなくなってきたぞ。  「俺はα寄りのβらしくてな。他のβよりフェロモンが分かるから、この特徴を便利に使っているんだが……今年のΩは警戒心が薄いのが多い」  αじゃないけどαに近いって事か。  何気に凄いことをけろっと言いながら、生徒会長は小さく溜め息をついた。    というか、まぁ……警戒心の薄いΩの代表格みたいな奴が目の前に居るとは思ってないんだろうな……。  何かこれオレもβの似たような体質だと思われてる気がする。逆なんだけど。  とはいえ無闇にΩだって言うなって散々親からもカウンセリングの人からも釘さされてるし、生徒会長に言って大丈夫なのかイマイチ不安だし……どうしたもんか。 「お前もフェロモンに対して鼻が利くんだろ。放っておくとヤバそうな奴を隔離したり、ピルや鎮静剤の投与をして予防活動を手伝って欲しい」   ――予防活動。   そのワードにちょっと気持ちが揺れた。  トラブルの対処だと連鎖とかって状態になる可能性もあるかもしれないけど、事が起きる前なら別に問題ないんじゃないだろうか。最悪持ってる薬を自分に使えば良い訳だし。    騒ぎを起こす羽目になったΩの奴の、苦しさと恐怖で引きつった顔が忘れられない。あんなトラブルは避けられるなら避けた方がいいに決まってる。 「……予防だけなら、協力してもいいです」  生徒会長一人より、オレも加えて二人の方が対応できる数は増える。そうしたらアイツみたいに不安な思いをするΩも減る。悪いことじゃない。  何か上手いこと転がされてるみたいでちょっとシャクだけど。  生徒会長の誘いに頷くと、その表情がぱあっと笑顔になった。にやにや笑いじゃない少し無邪気に見える笑顔にちょっと照れてしまう。 「それで十分だ。ありがとう……ええと。お前、名前は?」 「一年の行家です。行家春真」 「行家だな。俺は仁科儀冬弥だ。よろしく頼む」  さすがに知ってるけどな、アンタ有名人だし。  でもそんな有名人ですって気配なんか見せずに、人懐っこい表情で生徒会長は爽やかに右手を差し出してくる。  ころころ違う顔が出てくるけど……どれが本物の生徒会長の顔なんだろう。  そんな事をぼんやり思いながら、右手を握り返した。

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