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ふたりを隔てていたものは
それから二年経ち、
『無事に除隊しました!』
とのメッセージが届いた。
俺は、
『お疲れ!おめでとう!』
と返し、それ以降ソファンからの返信はなかった。
一度は情を交わしあった仲だから、一応報告だけしてくれたのだろうか。
俺は相変わらず、デザイン事務所での勤務と土日のライブペインティングの二足のわらじのしがない夢追い人をしていた。
それでもこの前初めて個展を開催でき、その評判は上々だった。
──ソファンにも見せたかった。
そんなことばかり考えているから、体力的にしんどくて大した稼ぎにならなくても、土日はこの彼と出逢った駅前で絵を描いている。
彼を忘れようと思うなら、この場所ではなく別の駅前などで同じようにできそうな所を探せばいい。
近いうちにそうしよう。ソファンとの想い出が強すぎるここを離れようと決めていた。
この週末も、駅前は賑やかで平和だった。
喧騒、喧騒、喧騒。
その無数の音の中、スーツケースをガラガラ引く音が、絵を仕上げていた俺の後ろで止まった気がした。
「오빠, 정말 멋지다 !」(=お兄さん、すごくカッコイイですね!)
意味はわからなくても、かけられたその言語が韓国語なことは何となくわかるし、何よりそのやわらかい声音を俺は知っている。
なぜだかこわくなってしまい、そろそろと振り返る。
するとそこには、記憶の中の彼より少し大人びた顔つきのソファンがいた。
「ソ、ファン……」
「あ……迷惑でしたか?ごめんなさい。僕、航平さんに逢いたいなぁって……」
俺が驚きすぎているから、誤解させてしまったが。
それでも絵筆を置き立ち上がると、人目も憚らずきつくソファンを抱き締めていた。
「もぉ……みんな見てますよ……」
そう言いながらも嫌がらないで、控えめに俺の服を掴んでくる。
身体つきが以前より男っぽくなって、ニットキャップから覗く襟足はかなり短かった。
除隊後にまた穴を開け直したんだろうか。例のシルバーのピアスが左耳に通っている。
スペースの裏に連れて行き、今ここにいる経緯を訊く。
「日本でバイトしながら、翻訳に携われそうな仕事を探します。でも住む所ないんです。さっき羽田空港に着いてバスでここまで来たところです」
「えぇ……そりゃまた無計画だな」
ソファンがリュックの中から何か白い物を取り出す。シワが寄り今にも破れそうなそれは、二年前の別れ際に俺が渡した渾身のラブレターだった。
「航平さんがこの手紙で『俺のところに帰ってきて』って言いましたから。だから帰ってきました。しばらく泊めてください」
「お、おう……」
ド正論に圧倒されてしまったが、
「でもそれ、ずっと持っててくれたんだ。なんか照れる」
それは素直に嬉しいことだった。
「二年間の兵役、やっぱり苦しいことが多くて。そういう時にこの手紙、航平さんの描いた絵と、あと日本語とハングルのメッセージをこっそり見て元気もらおうとして……それでもたまに泣いちゃってました。……航平さんに逢いたいなって……」
ソファンの声が震え、手元のポストカードの青に涙が一雫落ちた。
青色は、地球上のすべてを繋いでいる空の色でもあり、俺たちの国を分かつ海の色でもある。
俺たちは海を隔てた隣の国に生まれた。どんなに近くても、政情はまったく異なる国。結果長い間引き離されてしまった。
けれど、そんな妨げで想いが変わらなかったのは俺もソファンも一緒だった。
陳列台に隠れるようにして、堪らずその頭を引き寄せて軽く口づけた。たしか初めてのキスもここで同じようにした気がする。
「ソファン、ずっと俺の隣にいろ。もうどこにも行くな」
「行かないです、絶対行かないです」
逢いたかったと泣くソファン。
俺だってずっと逢いたかった。
俺たちを隔てたものは、青い海の上の国境なんかでなく、もっと暗く哀しい歴史の傷跡だ。
ソファンの国では今日も来 るべき戦闘に備える兵士たちがいるんだろう。
俺は無力な絵描きだけれど、時に握る絵筆に平和への願いを込めてみてもいいのかもしれない。
キミと、キミの生まれた国が、どうか穏やかであるように。
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