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3 映画
「ごめん、おまたせ」
幸人が輝彦の元へ戻ると、彼はホッとしたように表情を緩ませる。途端に輝彦の糸が幸人の糸に絡み付こうとしているのを見てしまい、慌てて視界からそれを追い出した。
「大丈夫か? 体調悪いなら帰る?」
心配そうに顔を覗いてくる輝彦には、幸人への好意は感じられるものの、友人としてのそれと変わらない。
「大丈夫。トイレ行ったらスッキリしたし」
「そう? 体調悪くなったら遠慮すんなよ?」
「ありがと」
幸人が笑顔でそう言うと、輝彦の糸が顔の近くまで来た。当然、糸だから顔なんてないのだけれど、幸人の顔を覗き込むように先を曲げ、頬をスリスリと撫でてくる。触感はないけれど、くすぐったい。どうやら輝彦は本気で心配しているようだ。
(大丈夫だよ)
そう思って糸をチラリと見たら、輝彦の糸はびっくりしたように一瞬固まり、それからシュルシュルと幸人の手首に巻き付いた。輝彦の言動からは分からないけれど、彼の糸は素直らしい。面白いな、と笑った。
「どうした?」
「あ、いや……あまり話したことがなかった東堂と、こんな風にでかけてるのが不思議で」
幸人の悪い癖は、他人には糸が見えないことを忘れてしまうことだった。歳をとるにつれて咄嗟に嘘がつけるようになったけれど、一度大きな失敗をしている身としては、気を引き締めていかなければ、と姿勢を正す。
「あ、悪い……やっぱ迷惑だったか?」
「え? いや、迷惑とかじゃなく、話してみると東堂も普通だな、と。悪い意味じゃないよ」
そう言うと、輝彦は笑った。女の子が騒ぐのも無理はないと思う爽やかな笑顔だったが、輝彦の糸は先っぽをブンブンと振って犬の尻尾のように喜んでいる。やはり、輝彦は糸の方が感情が出やすいらしい。そして、肝心な自分の糸はというと、輝彦の糸に動きを制限されて、抜け出そうと必死だ。
(頑張れ俺の糸……!)
そう思いながら、映画館に入っていく。今日は輝彦の希望でアクション映画を観る予定だ。
席に着くと、東堂が身体をこちらに向けて話しかけてきた。
「さっき、有栖川が言いかけたのは何だったの?」
「え? ああ……東堂の下の名前、何て言うんだ? って聞こうとしたんだ」
すると、輝彦の糸がこれ以上ないくらいブンブンと左右に揺れた。とても嬉しいらしいけれど、輝彦の表情は落ち着いていて、にこやかなままだ。
「輝彦だよ。有栖川は?」
「俺は幸人」
幸人はそう答えると、輝彦はふはっと噴き出す。名は体を表すって幸人みたいなひとを言うんだなと言われて、まさに同じことを輝彦に思っていた幸人も笑う。
「それを言うなら東堂も。キラキラしてて、名前の通りだ」
すると輝彦の糸は急に大人しくなった。嬉しそうに暴れていたのに、この話は嫌だったのかな、と幸人は思う。
しかし輝彦はにこやかな顔のまま、「有栖川に褒められるなんてな」と笑っている。それが何となく気になって、いつもなら気付かないふりをするけれど、幸人は彼の顔を覗き込んで言った。
「……ごめん。今の話、好きじゃなかったか?」
すると輝彦は大仰に両手を上げて、背もたれに身体を預ける。足を投げ出し両手を頭の後ろにやって、まだ何も映っていないスクリーンを眺めた。
「慣れてるからいいよ」
それでも微笑んでいる輝彦だが、彼の糸は幸人をまたぐるぐる巻きにし、先っぽで幸人の頬を撫でてきた。どうやら最高に嬉しいらしい。
なるほど、と幸人は思う。彼は見た目の派手さにひとが寄ってくるけれど、外見を褒められるのはあまり好きじゃないようだ。気にしていない風を演じているけれど、糸の方が素直だと知ったいま、普段から本音で話せる相手がいないのかもな、なんて思う。
そして、大人しいと言われる幸人のところに来るのも納得した。彼はきっと静穏や、癒しを求めて幸人のそばにいるのだ。
(俺といて落ち着くならいいんだけど)
落ち着くから好き。それは分かった。でもそれだけでこんなに好意を向けられるものなのか。
(やっぱり分からないな)
きっかけが全然思い当たらない。輝彦が好意をあまり表に出さないのは、何となく男同士だからかなと検討がつくけれど。
そんなことを考えているうちに、照明が暗くなる。やがてスクリーンに映像が流れ始め、幸人はそちらに夢中になった。
映画は王道のアクション映画だ。マフィアの拠点に潜入した男性主人公が、同じく私情で潜入してきた女性と出会い、共闘する。お互い息もピッタリで、とてもいいコンビだなと幸人は思っていたが、あるシーンで二人が赤い糸で繋がれているのを見て、なるほどな、と思った。
解けない結び方で結ばれた二人は、夫婦だったのだ。同じ業界にいて、お互いがライバルでありパートナーというカップルはそれなりにいる。この二人も私生活でもいい関係なのだな、とほっこりして笑った。
すると、顔の近くに輝彦の糸の先がやってくる。右隣に座る彼は真剣にスクリーンを見ているけれど、幸人の手を拘束し、さらにちょっかいをかけようとしているなんて、気がそぞろなのは明らかだ。
そんな輝彦の糸をよそに、スクリーンの主人公たちが大きく動く。お互い目的を果たし、何のしがらみもなくなった二人は激しく相手を求め、愛を確かめ始めたのだ。
それに合わせて、輝彦の糸が幸人の頬を撫でてきた。頬だけじゃなく、耳や首も撫でられ、感触はないはずなのにくすぐったいし気まずい。
(こ、こんなに激しいラブシーンがあるとは……!)
そう思いながら、この映画は確か東堂のリクエストだったよな、と思い出し、まさかな、と苦笑する。
まさかこのシーンを、自分と見たいだなんて思っていないよな、と幸人はスクリーンから目を逸らした。
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