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8 輝彦の家
ラーメンは、今までにないくらい美味しかった。
スープは豚骨醤油味だったが麺の太さもトッピングの味付けも、ラーメンのために店主がこだわって作ったと思われるものだった。予想通り店主は一見強面のおじいさんだったけれど、しっかりと結ばれた赤い糸の先は、やはり同じような歳の女性だった。店先に出ていた若い女性はどうやら娘さんらしく、その女性も誰かの糸と繋がっていたので幸人は内心嬉しくなる。
(いいな。家族みんな仲良さそうで)
店を出る時に、店主に向かって「美味しかったです、ご馳走様でした」と声を掛けたけれど、店主は頷いただけで黙々と調理を続けていた。それを見た輝彦の糸が、なぜか大喜びしていたけれど。
「幸人、このあとも時間ある? よかったらウチに来ないか?」
「え……」
まさかそんな展開になるとは思わず、幸人は返答に躊躇った。確かに大学生が帰るにはまだ少し早い時間だけれど、自分のことを好いているひとの家に、ホイホイついて行くのはどうだろう。
(かといって、警戒してますって態度も変だし)
自分と輝彦は友人だ。友人なら家に遊びに行くのは変なことではない。
「俺一人暮らしで、帰っても暇だし寂しいだけなんだよね」
これはますますまずいと思う。密室で二人きりになる場所へ自分から行ったら、何があっても言い逃れはできないのではないか。
(それに輝彦の糸が……あれ?)
先程まで幸人の身体に巻き付き、先っぽをブンブン振って喜んでいた輝彦の糸は、幸人の指の先から垂れた糸に、擦り寄るようにして少しだけ絡んでいた。大人しい。いつもあれだけ暴れている輝彦の糸が、大人しいのだ。
幸人は輝彦を見上げた。彼は微笑んでいて、いつも通りに見える。
「あ、もしかして用事がある? それなら……」
「大丈夫っ。課題やってないの忘れてたんだ。どうしようか迷ってただけ」
少しだけなら、と幸人は言うと、輝彦はさらに笑みを深くした。それは幸人の呼吸を一瞬止めるほど綺麗で、男のひとなのに綺麗という形容詞が合うなんて、と思う。
「そっか、じゃあ少しだけ。……行こう」
そう言って輝彦は駅の方へ歩き出した。家はここから遠いのだろうか、と思って、幸人はそのまま尋ねてみる。
すると、また輝彦の糸が手首に巻き付いてきた。元気を取り戻したらしい糸は、そのままグルグルと手首を覆っていく。
「……実は近くなんだよね」
「そうなんだ。駅近くていいな」
「うん。学校行くのも、遊びに行くのも便利だよ」
手首には相変わらず輝彦の糸が巻き付いている。どれだけ巻き付くのだろうと思っていたら、手首の太さが二倍ほどになってしまった。かなりの執着心に、幸人は本当に家に行って大丈夫かな、と心配になる。
幸人たちは駅舎内に入ると、そのまま反対方向へ抜けた。駅の反対側は商業ビルが立ち並んでいるものの、アーケード側ほど賑やかではない。そのまま十分ほど歩いて、大きな通りから二本ほど離れたところに輝彦の家はあった。
ごく普通の、二階建てのアパートだ。輝彦は一階の端の部屋に住んでいるらしい。
「どうぞ」
「……お邪魔しまーす……」
比較的新しく建てられたものなのか、ドアは古い集合住宅によくある金属製の重たいものではなく、静かにドアが閉まる。
輝彦が一足先に玄関框 に上がると、振り返って微笑んだ。
「あ、鍵は一応掛けてくれる?」
「あ、うん……」
鍵というワードにドキリとしながらも、幸人は玄関ドアの鍵を掛けた。家の中は当然ながら暗く、玄関のコンセントに設置された人感センサーの明かりだけがぼんやり点いている。
暗い廊下を歩くと、先に部屋へ入った輝彦が明かりを点けてくれた。廊下はキッチンも兼ねていて、反対側は浴室だったようだ。単身用らしくシンプルでこじんまりとした部屋だったけれど、どこも綺麗に整頓されている。けれどテレビのそばに置いてあったDVDの量と、服の量がすごい。整理されているものの、量が多くて圧迫感がある。
「物が多くて落ち着かないだろ。座ってて、飲み物持ってくる」
「ありがとう」
ダウンコートを脱いでエアコンのスイッチを入れた輝彦は、キッチンに戻り冷蔵庫を開けている。意外とちゃんと自炊しているらしく、庫内には野菜や肉も入っていた。
(ジロジロ見すぎか……)
ひとの生活を覗いているようで気まずくなり、幸人は視線を部屋に戻す。
(やっぱり、輝彦は映画鑑賞が趣味なんだな)
DVDのタイトルはほとんど知らないものだったけれど、輝彦が映画好きなのは伝わってきた。戻ってきた輝彦が、幸人の視線を察して苦笑する。
「昨日はありがとうな」
思ってもみなかった輝彦の言葉に幸人は驚いていると、彼は気まずそうにペットボトルをローテーブルに置いて、隣に座った。
「庇ってくれただろ? 朱里と七海が来た時」
「ああ、あれか」
「いつも、映画観るより出演してる方が似合うって言われるんだよね」
やっぱり、と幸人は思う。輝彦は見た目のせいで派手な言動を周りに求められていて、本人はそれを望んでいないのだ。
「ほんとは映研サークルとか入りたいけど、似合わないからやめろって止められて。バイトもあるし、あんまり活動できないかなって」
どうぞ、とお茶のペットボトルを寄越され、幸人は素直に受け取った。すると輝彦は目を細めて口角を上げる。やっぱり綺麗な顔だな、と幸人は思った。キラキラしていて、女の子にも人気で、男子も似たようなキラキラした友達が多いと思っていたのに、やっぱりどうして自分なんだろう、と聞いてみたくなる。
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