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第56話 番外編3 犬も食わない話3

「あれ? 幸人偶然じゃん」  その日の夜、同期で集まった居酒屋で、幸人は爽やかな笑みを浮かべた輝彦と鉢合わせ、固まった。 「え、有栖川の知り合い?」  隣にいた若菜が聞いてきて、幸人の心臓が一気に忙しく動き始める。 「え、えっと……」 「はじめまして。大学からの友人なんです。ルームシェアしてて」  にこりと営業向けの笑顔を見せる輝彦は、すかさず幸人を赤い糸で巻き上げた。あっという間に幸人は目だけが出ている状態になり、触れはしないものの、心理的に動けない。 「あ、お友達だったんですねー。有栖川さんにはいつもお世話になってますー」  他意はないであろう中野が、笑顔でそんなことを言っている。輝彦は、「幸人は大人しいから、仲良くしてやってくださいね」なんてキラキラした笑顔で言っていた。……怖い。今はその笑顔がめちゃくちゃ怖い。赤い糸と言動が、まったく一致していない。 「もちろんです。有栖川さんは同期の中でも癒し要因なんですよ?」 「そうそう。困ってるとすぐに察して助けてくれるし」 「いつも穏やかで、話しやすいですしねー」 「……へぇ」  中野の言葉に便乗した同期の女性が、次々と幸人を褒めてくれる。けれどその度に、輝彦の笑みから感情が抜けていくのだ。これはすぐに会話を止めないと。 「て、輝彦こそ、何でここに?」  これ以上会話を続けさせるのはよくない、と本能が告げていて、幸人は話題を無理やり変える。 「お店のリサーチだよ。じゃあ、俺はあっちで飲んでるから」 「えー、せっかくだから一緒に飲みましょうよ」 「でも……」  さすが輝彦。ほんの数分会話をしただけなのに、輝彦に赤い糸を向けている女性が数人出てきた。輝彦の糸は幸人と結ばれているため、この女性たちとどうにかなる可能性はないだろう。けれどやはり、押しが強そうな女性に好かれるのは、派手な外見が影響しているのだろうか。 「輝彦は仕事の一環でここに来たんです。邪魔したら悪いよ」  幸人はそう言って女性たちを宥める。それもそうですね、なんて言って素直に引いた女性たちは、それでも赤い糸を輝彦に向けていた。 「じゃあ、隣の席にいます。話しかけたくなったら、いつでもどうぞ」  完全に営業スマイルを浮かべた輝彦は、そのまま本当に隣の席に座った。しかも幸人が見える位置に。 「ねぇ、すごいイケメンですけど、どうやって知り合ったんですか?」 「え、……同じゼミで……」 「有栖川の癒しパワーに引き寄せられたのかも?」  若菜までそんなことを言っている。幸人はそんな、と謙遜しながら、話題の中心が自分になっていることに気付いた。なんの取り柄もない一般人ですよ、と言うと、同期のメンバーはみんな笑った。 「何言ってるんですか。この同期、別称『有栖川さんを愛でる会』ですよ?」 「ええ? 何ですかそれ」  いつの間にそんな会が発足したのだろう、と驚いていると、若菜が肩を組んできた。いきなりのスキンシップに驚いたものの、彼は笑っていて、特別な意味はないと気付く。 「穏やかなひとって、それだけでモテるんだよ。ああ、お前が女ならよかったのに」  どっかの誰かさんとは違うね、と若菜は中野を見た。しかし中野はそれを無言の笑顔で返す。 「若菜、女の子にそういうこと言ったらダメだよ」  いくら中野の気を引きたいからって、そんな子供じみたやり方は得策じゃない。幸人はそう言うと、周りの女性はうんうん、と大きく頷いた。 「さすが有栖川さん。大人だなぁ」 「若菜さんは、もうちょっと有栖川さんを見習ってくださいよ」 「まあまあ、若菜さんは若菜さんで俺にない、いいところがありますし」  逆に今度は若菜がいじられそうになり、幸人は女性陣を宥める。この辺は朱里と七海との接し方で、何となく学んできた。どうすれば皆が笑顔でいられるかを、幸人は大学生の頃よりずっと真剣に考えている。  すると、視線を感じてそちらを見た。輝彦がこちらを見ていたけれど、すぐにそれは逸れ、やはり輝彦が気になったらしい同期女性二人と、笑顔で話している。彼の赤い糸も、巻きついているだけで大人しい。 (……輝彦?)  パートナーの様子がおかしい。けれど声を掛ける訳にもいかず、幸人は肩を組まれた若菜の腕をそっと外した。つれないなぁ、という若菜に「スキンシップは得意じゃなくて」と言うと、また若菜は女性陣にいじられていたけれど。  どうしたんだろう? 独占欲と想いの強さは変わらないのに、輝彦が大人しい。いつもなら構ってと言わんばかりに糸が動いて、気を引こうとしてくるのに。  そんな輝彦の様子に疑問に思いつつも、別称『有栖川さんを愛でる会』は月曜日とあって、早めにお開きになった。 

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