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第57話 番外編3 犬も食わない話4
まだ慣れない家に帰ると、真っ暗な部屋が幸人を迎えた。輝彦は先に帰ったはずなのに、とリビングに向かい、灯りをつける。すると、ダンボールが積まれた中、輝彦は膝を抱えて顔を伏せて座っているのが見えた。
「輝彦……ただいま。どうしたんだ?」
幸人の声に反応したのは輝彦の赤い糸だ。グルグルと幸人の腕に巻き付き、二倍ほどの太さになるまで巻き上げてしまう。
けれど、当の本人は動かないままだ。糸からも束縛と執着心が見えるのに、それ以上は動かない。
「……ずいぶん楽しそうだったね」
「え……?」
幸人は、輝彦から聞こえた声にドキリとする。聞いたことがないほど刺がある声で、自分が気付かないうちに何かをしてしまったんだ、と慌てた。
「ごめ……」
「知らなかったよ。幸人が会社であんなにモテてるなんて」
ヒュッと息を飲んだ。今まで、友達すらろくにいなかった自分が、社会人になってから急に人が集まって来るようになった自覚はある。でもそれは輝彦や朱里、七海と付き合ってきたからこそ、いい対人関係が築けるようになったのだと思っていた。
けれど、輝彦はそれが嫌だったらしい。思えば、人慣れしていない幸人がかわいいと言っていたから、大人しい幸人の方が彼は好みだったのだろう。
「ごめん……不快な気分にさせて……」
自分の中では、いい方向へ成長したと思っていたのに、輝彦はそうではなかったらしいと気付いて謝る。彼の独占欲の強さは分かっていたはずなのに、あの場で同期を上手くかわせなかった自分を反省した。
すると顔を上げた輝彦は、眉を下げる。
「いや、……ごめん幸人、違う。幸人のせいじゃない」
彼はそう言うと、苦しそうに顔を歪める。こんな顔を見たのは初めてで、幸人は彼の肩を宥めるように軽く叩いた。「ごめん」ともう一度謝ると、輝彦は弱々しく首を振る。
「あー……かっこ悪ぃ、俺……」
はあ、とため息をついて髪をくしゃくしゃする輝彦。珍しい、と思って幸人は肩を付けて隣に座った。
「……今まで、ひとに嫉妬するなんてことなかったのに。散々目の前で嫉妬されてきて、あれだけ見苦しいって思ってたのに、自分はこの体たらくだよ……」
なるほど、と幸人は思う。輝彦が言うには、幸人が会社のひとに笑いかけるのも、逆に笑いかけられるのも気に食わず、それが耐えられなくなった自分に戸惑ったらしい。今までなら、遠慮なく間に入って自分が注目を集めるのに、今日は大半が輝彦に興味を示さなかった。同期が本当に、幸人の内面が好きなんだなと思ったら、怒りで暴れだしたい気持ちになったそうだ。
そして家に帰って怒りを鎮めていたら、それが嫉妬だったと気付いたのだとか。
「幸人のいいところは俺が一番知ってる! って思ったし」
「……うん」
「幸人が肩を組まれた時も、すごく間に入って邪魔したかった」
けれどそれでは、幼い子供がわがままを通そうとしているのと同じだと分かったらしい。幸人の立場も悪くなるし、みんなに好かれているなら黙っているべきだと。
「けどごめん。結局今、幸人に八つ当たりしちゃったし……はあああ、自分がこんな風になるなんて」
輝彦は大きなため息をついて、また顔を伏せる。まさか彼にこんな一面があったとは、と幸人は思ったけれど、本人はもっと戸惑ったのだろう。
「輝彦」
幸人は横から輝彦を抱きしめた。彼が自分を大切にしているからこそ、嫉妬が大きくなったのだと分かるから、彼を責めることなんてできない。
「幸人、ごめんな?」
また顔を上げた輝彦は、まだ眉は下がっていたけれど、笑っていた。不覚にも幸人は、そんな彼の表情にキュンとしてしまう。
すると、輝彦の糸が伸びてきて、頬を撫でてきた。彼の機嫌が直ったとホッとすると、「ん」と輝彦は目を閉じて唇を突き出した。
「な、なに?」
「仲直りのちゅー」
「……輝彦が勝手に怒ってただけだろ……」
「幸人がモテるから悪い」
綺麗な顔が、拗ねたように上目遣いになる。幸人が一番弱い、輝彦の表情だ。
「て、輝彦だってモテるだろ……」
「モテるの質が違う。俺に寄ってくるのは、所詮外見しか見てない」
じゃあ自分にだってそれに当てはまるのでは、という屁理屈は、言えなかった。輝彦の唇が幸人の口を塞ぎ、軽い力で吸い上げられる。
「……あー」
離れた輝彦が、気まずそうに視線を逸らした。
「明日仕事だよなぁ……」
「それ、昨日も言ったぞ」
幸人はそう言って笑うと、輝彦も苦笑する。どれだけ元気なんだ、とからかうと、幸人がかわいすぎるのが悪い、と責任転嫁された。
「だから、二十歳過ぎの男にかわいいとか……うわっ」
幸人は体重をかけられ床に倒れ込むと、すかさず輝彦は上に乗ってくる。その表情は楽しそうに笑っていたが、目には強い欲情が乗っていた。昨日も寝不足になるほどしたのに、と思ったけれど、自分に対する強い欲望を向ける輝彦に、勝てないのも事実で。
「……『いろいろ』の箱、リビングに置いてもよかったね」
「……っ、ここでするのかよっ。せめて風呂入って……」
笑いながら首元に顔を埋 めてくる輝彦に、幸人は息を詰める。唇を這わされたと思ったらそこを舐められ、うなじがチリチリしてじわりと汗が滲んだ。
「……ここ、しっかり消毒しないと」
そう言って執拗に首や肩を舐められ、幸人は呻いて輝彦の肩に爪を立ててしまう。消毒? と思って彼を見ると、赤い糸と指で同時に唇をなぞられた。
「肩組まれてただろ?」
「……っ、いや、あれに深い意味はなくて……」
そう言いかけて幸人はハッとした。若菜が幸人に対して、恋愛感情がないと分かっているのは自分だけなのだと。しかも輝彦は、幸人の性指向が男性なのを知っている。
「若菜……肩組んできた奴は好きな子いるよ。同期の女の子」
「……ふぅん?」
そういえば、中野に好きなひとがいるのか見るのを忘れていたことに気付く。でも、幸人が気にならなかった、ということは……若菜の片想いなのだろう。
「……っ、ん……っ」
「振られろ」
サラリと呪いの言葉を吐いた輝彦は、若菜が幸人に触れたことが相当ムカついたらしい。そのまま色んなところにキスを落とされ、幸人は次第に薄れていく理性の中で、リビングのダンボール箱を眺めた。
これが片付くのはいつになるだろう?
――でも、いいか。二人はこれからも長い時間、ここで過ごすのだから。
幸人はそう思って、輝彦の首に腕を回した。
[番外編3 完]
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あとがき
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!
そしてこの度、本作が電子書籍化することが決定いたしました!
これもひとえに、皆様の応援があったからこそで、感謝しかありません。
現在電子書籍化に向けて、あれこれと動いている状態です。まだ詳しくはお話しできませんが、また活動報告などで、詳細がご報告できたらなと思います。
ではまた違う媒体で、お会いできると嬉しいです。
改めて、ありがとうございました!
大竹あやめ
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