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七夕-A-
アルノシトがいつものように祖父の雑貨店で店番をしながら、飼い犬のジークと遊んでいた午後──
「御免」
少し訛りのある喋り方をする客が訪れた。
この辺りではあまり見かけない東洋系の顔立ち。ゆったりとした衣服はこれからの季節、過ごしやすそうだ。
同じ黒髪でも、ルートヴィヒの黒とはまた違って見える色合いにアルノシトは眼を瞬かせた。
「何か御用でしょうか?」
訪れた客への対応をするため、ジークから離れて客の方へと。相手は丁寧に頭を下げてから話し出した。
「この辺りで……竹を手に入れることが出来る店をご存じではないだろうか」
少し言葉遣いが怪しい。先程の訛りといい、あまりこちらの言語に慣れていないのだろう。
「竹、ですか?」
客が頷く。
「葉や枝だけのものではなく。出来ればこう」
説明しようとした言葉が詰まった。身振り手振りで何か伝えようとしている動きを、じっと見つめる。
「えっと…鉢植え?根っこがあるものが欲しい?……のですか?」
そうではなくて、と首を横に振られる。
「こう……「長い」ものであれば」
長い────
多分、木で言えば幹に当たる部分があるものが欲しいのだろう。とはいえ、この辺りではあまり見かけたことはない。
東洋の雰囲気を売りにしている庭園や店等で見かけたことはあるが、そこへ行って譲って下さい、と言う訳にもいかないだろう。
「花屋……植物を扱うお店では聞いてみましたか?」
また頷く。
「そこの店主が……この店ならば、あるのではないか、と。教えてくれたのだが」
植物の専門店でも置いていないものが何故雑貨店にあると考えたのだろう。もしかしたら、造花のような、作り物ならあるのでは、と思われたのだろうか。
「うーん……俺が知る限りでは…………あ」
一つ思い当たった。
「……聞くだけ聞いてみますけど。あまり期待はしないでくださいね」
「手間をかけさせてすまない。あるなしにかかわらず、礼はさせて頂きたい」
東洋の人は礼儀正しいというのは本当のようだ。お礼云々は置いておいて、ひとまずは心当たりに連絡を取ることにした。
◇◇◇◇◇
「────ルー、電話」
机の端。自分の代わりに電話に出てくれた幼馴染が受話器をふらふらと振っているのが視界の端で見えた。
書類にペンを走らせていた手が止まる。顔を上げぬまま、次の書類へと視線を移した。
「急ぎでないなら、君が聞いておいてくれないか」
「アルからの電話やで」
「出る」
食い気味に腕を伸ばす。くっくっと笑いながら受話器を渡した後、ごゆっくり、と声には出さず唇を動かして退出していく背中を見送りながら、受話器に耳を押し当てる。
『もしもし。アルノシトです……忙しい時にごめんなさい。一つ、聞きたいことがあって』
電話越しの声。久し振りに聞くそれに目元が柔らかくなる。
「ちょうど今、休憩していたところだ。それに君の頼みなら一つといわず、いくらでも」
『えっと。竹……って持ってないですか?』
「竹?」
予想もしていなかった言葉に語尾が上がる。
『はい。お客さんが……竹を探していて。ルートヴィヒさんの家なら、庭とかにはえていたりしないかなって』
事情は分かった。自分に逢いたい、という用事でなかったことは少し残念だが、困った時に頼ってくれるようになっただけでも随分な進歩だと口元が緩んでしまう。
「私の屋敷にあるかは不明だが……心当たりはいくつかある。どういった目的で必要なのかを聞いても?」
アルノシトのことだから、物騒なことに使いそうな客であれば、このように問いかけてはこないだろうが。それでも念のための確認。
少し、間を置く。客と話しているのか、アルノシト以外の人物の声が小さく聞こえる。
「お祭りで使うらしいです。東洋の───紙に、願い、を書く……?」
電話の向こう。客とやりとりしているのか、少し声が遠くなったり、近くなったり。要約すると
客の故郷での伝統的な行事のために、竹が一本欲しい。
そういうことらしい。なるほど、と背凭れに体重をかけ天井を見上げる。
「その祭りというのは、一般的なものなのか?……その客人の故郷だけの狭い風習、というのではなく」
『…………多分、一般的なものだと思う、そうです。故郷だと、村や町全体のお祭りとかもあるらしいですよ』
奇妙奇天烈な奇祭というわけでもない様子。であれば──
「確か、東洋系の物を集めた庭園があったはずだ。そこを開放して、皆で楽しめるようにする、というかたちではどうだろうか?」
身内だけで静かに祝いたい、というのであれば、庭園の竹を持って行く、ということも可能ではあるが。
正直なところ、祭りを口実に久し振りにアルノシトの顔を見たい、という下心半分、東洋の祭りと言うものがどういうものかの好奇心が半分。
受話器の向こうでやり取りする声。
『……えっと。直接お話したいそうなんですけど』
アルノシトの声が聴けなくなるのは残念ではあるが、確かに直接話した方が早かろう────直接……。
「わかった。今からそちらへ伺っても?」
『え?!あ、……大丈夫、です……?』
語尾が奇妙な発音になるのは、色々な意味が込められているからだろう。
「では今すぐ向かうから……少し、待っていて欲しい、と」
受話器を置いて、部屋を出て行った───おそらく、扉の前で待っている幼馴染兼運転手へと声をかける。
「エトガル!すぐに車をだしてくれ」
「は?お前、書類どんだけ──」
「戻ったらすぐ片付ける」
歩きながら説明するから、と連れ立って歩き出した。
◇◇◇◇◇
あの後。雑貨店には不似合いな高級車が乗りつけたことで、軽く噂にはなりはしたが、珍客の話を聞いた後のルートヴィヒの行動は早かった。
依頼人の望む形に近い庭園を無料で開放し、希望者には行事を楽しむことができるようにと手配するまで数日もかからなかっただろうか。
物を知らぬ自分よりも責任者としてふさわしかろうと、客人に差配を任せたから、おそらくは望み通りのものになっているはずだ。
────と、当日まで予定が溢れているルートヴィヒは、その日に間に合うよう仕事を片付けることに専念した。
その甲斐あって、数日の休暇を捩じ込み目的の庭園へと向ったのはつい先ほどのこと。
関係者側の入り口から中に入るなり、依頼人につかまり礼を言われた。
どうやら彼の主に当たる人物の頼みが理由らしい。無茶な注文をつける主なのかと思っていたが、そういうわけではなく。
むしろ、何事にも控えめな主の珍しい要望だったからこそ叶えたかったと言われて、得心がいった。
少し言葉を交わしていると、慌ただしい足音。
「ルートヴィヒさん、こんにちは……あ、こんばんは、かな」
慌てて頭を下げる恋人の姿に眼を瞬かせた。見慣れぬ服を身に着けている。依頼人──時雨 が自分の着物の中から見繕って合わせてくれたという東洋の衣服らしい。
「ルートヴィヒさんの分もあるから」
はしゃいだ様子で自分の手を引っ張るアルノシト。
バスローブにも似た見た目だが、着てみると意外にもしっかりとした布と作り。少し動きづらさは感じるが、折角の好意だし、と自分も着せてもらう。アルノシトと揃えたのだと言われたら、着る理由しかない。
久し振りに逢う口実にも出来たし、見慣れない衣装ではしゃぐアルノシトの姿も見れた。むしろ自分の方が礼をすべきなのではないだろうか。
なんて考えながら、先を行くアルノシトを追いかける。
「ここから見ると、すごく綺麗なんですよ」
休憩用にと置かれたベンチへ腰を下ろす。
時雨のいう「七夕」という祭りでは、細長く切った紙に願い事を書いて竹に吊るすものらしい。
そうして吊るされた色とりどりの紙が行燈の灯りに照らされ、風になびいているさまは中々のものだ。
「……これは確かに」
嬉しそうに笑ったアルノシトが自分の隣へと腰を下ろす。周囲に人がいないと言っても、どこで誰が見ているかはわからない場所故に距離は詰めずにそのまま。
「時雨さんも本当に喜んでたし……来ている人もみんな楽しそうで。有難う、ルートヴィヒさん」
少し間を置いてからアルノシトが距離を詰めた。頭を肩へと乗せるように凭れかかる。遠目から見れば、眠っているようにも見える姿勢。
「礼を言うなら時雨──を、アルノシトのところへ寄越してくれた花屋にだな。そうでなければ、こうして──」
逢えなかった、というのはあまりに自分勝手だろうか。元々は時雨の依頼だったというのに、それに便乗しすぎているような気がして言葉を切った。
少しの沈黙。風に揺れる短冊を見ていると、どこか現実のものではない気もしてくる。
「……俺は着物を着たり、短冊を作ったりするのも楽しかったけど……ルートヴィヒさんに逢えたのが一番楽しい」
ぎゅ、と強く腕に抱き着いてくる。少しだけ腕を浮かせると、意図を察したのか、抱き着く腕の手の指へと指先をじゃれつかせるように絡めてくる。
「この「七夕」のお祭りはね。年に一回だけ逢うことを許された恋人の伝説が元になってるんだって」
それは知らなかった。また後で時雨に詳しく聞いてみようと思うが、今は────
「だから。ちょっと……ちょっとだけ。甘えてもいい……」
ですか、と続く言葉が飲み込まれた。ルートヴィヒが顔の向きを変えて軽く口付けたからだ。
触れ合わせるだけですぐに離す。
「…………ずるい」
拗ねた口調で絡めた指先を軽く握る。ほんの少し頬が上気しているように見えるのは、行燈の灯りのせいではないだろう。
「私の願い事は──短冊に書かなくても。アルノシトがいてくれれば叶うから」
あ、と声は出さずに唇の形が変わる。暫くの沈黙の後、握り返す指に力を入れたり緩めたりを繰り返す。
「…………でも。折角だし、一緒に短冊書きたい、です」
その後は────言葉が途切れる。これ以上、二人だけでいると少し──いや、理性が利かなくなりそうな気がする。
借りたものを汚すのも悪いし、人のいる場所へ行こう、とどちらからともなく立ち上がった。
つないでいた指を名残惜し気に離された後、ためらいがちに袖を掴まれる。
「……迷子、になったら困るから」
他の人もいる中で指をつなぐのは憚られたのだろう。ルートヴィヒは気にしないのだが、遠慮がちに袖を握るアルノシトの姿が何とも言えないものがある。
「…………時雨に着付けを教えてもらうか」
「?」
何でもない、と促して歩き出した。
この後、年に一回の祭りがこの街の小さな名物になるのは、また別の話。
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