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選択-6-A-

 お茶会。  と言っても、額面通りの意味ではない。商談なり何なり、目的の半分以上が仕事であることがほとんだ。  今日の行き先であるユルストレーム社も、大事な取引先の一つ。名前だけはアルノシトも知っている。紡績産業では頭一つ抜けた企業であり、高級品はもちろん、アルノシトの店でも置いてあるような日用品に関しても幅広く取り扱っている。  ──というのが表向きの知識。  ユルストレーム邸につくまでにエトガルが話してくれた情報によると、 ・布地の色味や模様のデザインなどは、夫妻の手によるものが大きい。 ・染料に使うための植物にも造詣が深く、その知識の応用で医療事業でも業績を伸ばしつつあること。 ・職人肌の彼らは、何よりも現場を優先しており、働く人間に負担をかけての利益を追い求めるような提案は却下されるどころか、今後の取引にも影響が出るためご法度。  基本的には穏やかで優しい性格の人たちであるから、よほどのことをしなければ問題はない。  などと話している間に屋敷へと。ルートヴィヒの屋敷よりは小さいかも知れないが、庶民であるアルノシトにとっては大邸宅。  世の中、こんなお屋敷がいくつあるんだろう。  感嘆の息を吐き出すと同時に車が停車した。一応、運転免許は取得したとはいえ、まだまだ技術的に未熟な自分が運転することはほとんどない。  代わりにドアを開けたり、服を整えたりの作業。今も停車した車から一番に降りて、ルートヴィヒのために扉を開く。 「いらっしゃい。お元気そうで何よりだわ」  背後から聞こえる声。女性だから、ユルストレーム夫人だろうか。ルートヴィヒが下りた後、音が立たないように扉を閉めてから後ろへと下がって視線を向けた。  穏やかな夫人の姿は、いつだったかの洋服を仕立ててくれた老婆を思い出す。 「お久し振りです──」  なんて形式ばった挨拶はそこそこに。夫人は興味津々といった様子でアルノシトの方へと歩み寄って来る。 「貴方が噂の見習いさんね?お名前は?」  噂?もしかして、何かしてしまったのだろうか。不安がよぎるものの、努めて表情や態度には出さないように殊更気を引き締める。 「アルノシト=ツベクと申します」  教わった通りに姿勢正しく一礼──出来たと思う。頭を上げると、上機嫌に笑う夫人と目が合った。 「素敵なお名前。よろしくね、アルノシト」  こちらへどうぞ、と先に立つ夫人の後に付き従う。よく手入れされた庭と──温室らしき建物。  染色のための植物などを育てているのだろうか。一瞬、興味がそちらに流されかけたが、今は「見習い」としての仕事中だ。自分の好奇心より優先することがある。  視線を向けた先。用意されたテーブルには、壮年の男性。彼がユルストレーム当主であろう。一瞬目が合った気がして、軽く頭を下げる。  そんな自分の動きを知ってか知らずか。ルートヴィヒは夫人を交えて、世間話からの市場の動向やらなにやら。  こういった会話は、雑貨店での最近の売れ筋はどうだ、とか、ここのところ何某が流行っている、とか、そういった話の延長だとは教えてもらったのだけれど。  スケールが大きすぎていまいち理解が追い付かない。 「──アルノシト」  名前を呼ばれて肩が跳ねる。自分を呼んだのはユルストレーム夫人。近くに来るよう言われて、恐る恐る足を進めた。 「お仕事のお話は終わったから、貴方のお話を聞きたいのだけれど」  都合はどうかしら?と尋ねているのは、自分ではなくルートヴィヒに対してだろう。  少しばかりの間を置いて、了承の返事を返すルートヴィヒ。ぱぁっと明るくなる夫人がメイドを呼び、新しいお茶と菓子を用意させている間。  促されてアルノシトも椅子に座る。今までずっと背後で待っているだけだったから、いきなりこんな席につかされて内心落ち着かないのは相変わらずではあるが。  努めて「従者」としてあるように、と決意を新たにしたところで、夫人が戻ってきた。 「ねぇ──一つ、聞いてもいいかしら?」  夫人の眼はルートヴィヒではなく自分を見ている。 「アルノシト。あなた、ルートヴィヒさんとはいつからお知り合いなの?」 「──妙な事を聞かないでいただきたい」  半ば食い気味に。自分よりも先にルートヴィヒが答える後ろで、エトガルがく、と笑いをこらえるように肩を震わせるのが見えた。 「だって。今、あなたの噂で持ち切りなのよ?私も気になって」  はしたない、とユルストレームの当主がたしなめるが、夫人は気にする様子はない。  貴方と言うのは自分だろうか。それともルートヴィヒか。その表情はうかがい知れないが、一瞬震えた肩に動揺が見える。 「それでね、どちらでお知り合いに──」  ずい、と身を乗り出すようにして夫人がアルノシトの顔を覗き込んできた。流石に当主が間に割って入る──と、メイドがお代わりのお茶とお菓子を運んできたので、会話が中断される。 「──すまないね。妻は好奇心が旺盛なんだ」  困ったように笑う当主の表情にも声にも、夫人へのいたわりが滲んでいた。祖父と祖母のやり取りを思い出して、アルノシトの表情も緩む。 「お気遣いありがとうございます。ルートヴィヒ様とは、とある事件がきっかけでご縁を賜りまして」  丁寧に入れられた紅茶の香りが漂う。遠慮なく召し上がって、と促されるのに軽く会釈してから言葉を続けた。 「お仕えさせていただく機会を頂戴しております。身に余る光栄とともに、大変ありがたく──」 「もう。お仕事のお話は終わったのよ?」  不満げな夫人の声に眼を瞬かせる。堪え切れずエトガルの肩が揺れた。目を後ろに向けている訳ではないのに、ルートヴィヒが眉を上げる。 「エトガル」 「──失礼いたしました」  す、と表情を切り替えるエトガル。やれやれと言いたげに非礼を詫びるルートヴィヒの後ろで、エトガルが無言のまま片目を閉じて見せた。  相変わらずの仕草に肩の力が抜ける。 「はしゃいでしまってごめんなさいね。私、嬉しくって」  少し気持ちが落ち着いたのか、先程よりは穏やかに口を開く夫人。 「ルートヴィヒさんの傍に居てくれる人がいることが」  思わずルートヴィヒの方を見てしまう。彼は何も言わないまま、紅茶を飲んでいる。視線に気づくと、カップを置いたが、こちらを見ないまま目を伏せる。 「アルノシト」  今度は夫人ではない。当主が静かに口を開くのに、自然と居住まいを正して彼の方を見る。 「君が今いる場所は──多くの企業や財閥が、ありとあらゆる手を尽くして人を送り込もうとしていたものだ。君にそのつもりはなくても、羨望や嫉妬もうけるだろうし、人の目を集めてしまうだろう」  妻のようにね、と微かな苦笑。 「だが──私も。妻と同じように、ルートヴィヒ君の傍に君のような人がいてくれるといい、と思っているよ」  彼らとは初対面であるのに。何故、こんなに肩入れして貰えるのかの理由が分からなくて、困惑が滲んでしまう。  知らない間に身辺調査でもされていたのだろうか、なんて不安に沈む前に耳にルートヴィヒの声。 「──。すまない。君をだますような真似をした」  ふぅ、と大きく息を吐き出した後、観念したようにルートヴィヒは夫妻を見た。 「今日、ここに来たのは。君を夫妻に紹介する、と言ったが──それは従者としての練習ではなく」  今度は、まっすぐにアルノシトを見つめた後、静かに言葉を続けた。 「私の伴侶になるかもしれない人だと。そう紹介するつもりだった」 「え」  固まってしまう。一瞬の沈黙の後、夫人が柔らかく笑う声。 「本当に何も話していないのね?……子供の頃から変わらないんだから」  仕方のない人。  なんて溜息をつく姿は、いたずらをしたアルノシトを叱る祖母のようで。夫妻とルートヴィヒがただの「取引先」の関係でないことが分かるほど、親愛の情に溢れていた。

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