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切欠は些細な事から-3-A-
焼肉屋での醜態から一ヶ月。早めにお礼というかお詫びというかをしたくはあったのだが、業務──というか、取引先の都合に振り回されて気づけば時間が過ぎていた。
仕事の合間に店を探したりはしているものの、残業続きのこともあって、休みの日は体力回復のために寝て食事を摂ったら終わっていた、というような状態。
佑からのメールには「僕のことは気にしなくていいですよ」なんて書いてあったが、誰より自分が気になってしまうのだ。
「あ~~~……疲れた……」
デスクに突っ伏していると、同僚がコーヒーを買ってきてくれた。
「お疲れさん。ここんとこ忙しかったからなぁ」
漂う香りに顔を上げた。礼を言って、デスクに置かれた紙コップに手を伸ばす。
「しょうがない。それに暇よりは忙しい方がまだいいし」
独特の苦みと香りに表情を緩めた。
「今日で一段落つくし。来週か再来週あたりには有給とってどっか行こうかな」
それはいいな、と同僚も笑う。少しばかり雑談した後、あ、と思い立って尋ねる。
「そうだ。お前、いい店知らない?」
「いい店って……大雑把過ぎるだろ。飲む方?食べる方?」
「食べる方……かなぁ」
じゃぁ、この辺とかどう?と、同僚が洋佑のパソコンを使ってブラウザを立ち上げると、いくつか候補を見せてくれる。
あまり堅苦しい店もよろしくはないが、かといって、安い早いの店では礼にはならないだろう。
「あ、ここいいな。美味そう」
料理の写真を指さした。どこかの有名店で修業したシェフが独立して云々、と店の説明の後、料理の内容やコースの値段がかかれたページへと。
少し高めではあるが、とんでもなく高い、という訳ではない。これくらいなら、お礼としてはちょうどいいのではないだろうか。
「ここにするわ。後で電話してみる。ありがとな」
「どういたしまして。今度、俺にも奢れよー」
同僚が立ち去った後、今のページをスマホの方へと送っておいた。
「よし。残り頑張るか」
気合を入れ直して、作業を再開した。
◇◇◇◇◇◇◇
店を見つけてから更に二週間。佑の予定を聞いてから、店を予約──しようとしたのだが、人気店だけあって中々予約がとれずにいた。
予約と予定が合わないのはどうしようもない。どうしたものかと迷っていたら、佑の方から「それじゃこのお店はどうですか?」とメールが送られてきた。
前々から行ってみたかったが、一人では勇気が出なくて、なんて書いてあったのが分かる場所──有名なホテルの中にある──と値段。
とはいえ、値段的には予約しようとしていた店とあまり変わりがないので、ダメ元で聞いてみるかと電話をしたらあっさり予約がとれてしまった。
高級ホテルの中にあるレストランとはいえ、ジーパンにTシャツのような服装でなければ、軽装でも構わない、と品の良さそうな声が教えてくれる。
自分は会社帰りのスーツで問題ないだろう。佑には電話で聞いたことをそのまま伝え、ホテルの前で待ち合わせすることにして当日を待った。
タクシーやらハイヤーやらの乗りつける横を通り、きょろきょろと見回していると声がかかる。
「朝野さん」
こっち、と手を振る佑を見つけて走り寄る。
「またお前の方が早かったな」
待ち合わせの時、佑より早く来れたことがない。それはそうでしょう、と佑が苦笑した。
「朝野さんは会社の都合があるけど。僕は時間に融通が利きますから」
それもそうかと納得。とりあえず、店に行こうと歩き出した。
「……しっかし、やっぱりでかいホテルは違うなぁ」
エレベーターに乗り込み、二人だけになってから呟いた。
入口にいたベルボーイからして品が良い。落ち着いたロビーや調度品もそうだが、何より従業員の態度が全然違う。
「高級」というのはこういうことをいうんだなぁ、なんて妙な感心をしていると、目的のフロアへ。
降りてすぐにレストランの入り口があり、入ってすぐの受付で予約していた旨を伝えるとすぐに席へと案内された。
夜景が見える個室席。どうぞと、椅子を引かれて腰を下ろす。
テーブルに着いた時に見えた夜景。わ、と眼を輝かせる佑に少し得意げに胸を張った。
「いい眺めだろ」
「はい。凄いですね」
素直に頷かれると少し照れ臭い。はは、と視線を夜景に向けながら笑う。
「あの時は本当に迷惑かけてしまったからな。今日は楽しんでくれると嬉しい」
「はい。有難うございます……ところで、今日はちゃんとご飯食べてきました?」
う、と言葉に詰まる。ちゃんと食べたよ、と答えたところで、最初の料理が届いた。長い料理の名前は覚えられなかったが、味は文句なしに美味い。
一口食べて思わず吐息が零れた。
「……すご…美味いな」
「ですね」
佑も嬉しそうに笑う。そうしてアミューズからオードブル、スープ……と順番に出てくる料理を食べるうち、洋佑は気づく。
佑はフォークとナイフの扱いが上手い。
実は個室にしたのは、景色がいいという理由のほかに自分のフォークとナイフの使い方に自信がなく、周りに見られては一緒にいる佑に恥をかかせるかも知れない、と思ってのことだった。
もちろん、佑も上手く扱えないかも知れないし、それならそれで都合もいいだろう。
なんて思っていたのだが。
「……お前、ナイフとフォーク上手いんだな」
「そうですか?」
今だって、魚料理をきれいに骨だけにしている。自分の皿と見比べると、その差は歴然だ。
「料理も上手いし。苦手なことって人付き合いくらいじゃないのか?」
「そんなことないですよ。……他にも色々あります」
例えば?
軽い問いかけにフォークを持つ手の動きが止まる。それほど難しいことを聞いたかと眼を瞬かせたが、少しの間を置いてからゆっくりと口を開いた。
「…………稲荷寿司の中が五目御飯になっているのとか」
「…………」
予想外というか。思ってもみなかった答えに今度は洋佑の動きが止まる。
「五目御飯嫌いなのか?」
「五目御飯は嫌いじゃないです。稲荷寿司の中に入っているのが苦手なんです」
自分はどちらも美味いと思うが、佑にはこだわりがあるらしい。
そんな他愛のない話をしているうちにコースは進み、最後のコーヒーがテーブルに置かれた。
「いやー美味かったなぁ……」
正直なところ、自分はこういった「改まった料理」には少し苦手意識があった。名前は大仰だが味はいまいち……なイメージがあったのだが、名前はともかく、味の方は文句なしの美味さだった。
佑も満足そうに頷いている。
「有難うございます。朝野さんのおかげです」
「いや、元々は俺が迷惑をかけたんだし。こっちこそ、お前のおかげで美味い飯が食えたよ」
最後のコーヒーも飲み終わった。後は雑談して帰るだけ。
「…………なんか、帰るの勿体ないよな」
夜景を眺めながら、洋佑はぼそっと呟いた。
他意はない。こんな夜景を見ることも、個室で美味い料理を食べることもちょっとした非日常。子供が遊園地から帰りたがらないのと同じような理由。
「じゃぁ帰らないでください」
「え?」
佑の言葉に驚いて顔を向ける。いつもと同じように穏やかな表情。
「実は……泊ってもみたくて。部屋をとったんです」
部屋?ホテルの?……それって────真意がつかみかねて返事をためらう。
「……大丈夫です、ちゃんとベッド二つありますから」
深読みした洋佑の肩から力が抜けた。それを見た佑が小さく笑う。
「僕と一緒の部屋、嫌じゃなかったら……ですけど」
「嫌なわけないだろ。あ、でも着替えとかはさすがに持ってきてないな」
適当にコンビニで買って来るとして────部屋代の話はここでするのは無粋か。
うん、と一人頷く。
「よし。じゃぁここを出たら、次は部屋を探検だな」
子供じみた言葉に佑は嬉しそうに笑って頷いた。
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