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改めましての決まり事-3-B-

 酒を飲んだせいもあるのかも知れないが、翌朝、目覚めた時には佑は朝の日課を終えた後だった。  起こしてくれたらいいのに、と言ってみるものの、自分が逆の立場だったら、一人で行っただろう。  過ぎたことは仕方ない。気を取り直して、簡単に朝食でも作ろうかとキッチンに立つ。 「……洋佑さん、料理出来るの?」  心配そうな佑の声に、胸を張った。 「さすがの俺も目玉焼きくらいは作れるぞ……いや、半熟とろとろとかそういうのは無理だけどさ」  パンを焼いてバターを塗って、その上に目玉焼きを乗せるくらいは出来る。  胸を張る程の事ではないかも知れないが。まぁ、とにかく。それくらいは作れるから、座って待っていてくれ、と佑に告げたのが十数分前のこと。  ただ待っているだけでは手持無沙汰だったのだろう。予告通りのトーストの上に目玉焼きを乗せた皿をテーブルに置くと同時に珈琲の香りが漂う。 「お待たせ」  どうぞ、と皿をテーブルに置くと、佑は嬉しそうに笑った。 「あ、美味しそう」 「だろ?俺だってこれくらいは出来るんだぞ」  冷めないうちに。  佑の入れてくれたコーヒーにも礼を言ってから一口飲む。 「はー……美味しい」  独特の苦みは好みが分かれるところだろうが、洋佑はこの味が好きだ。佑は佑でトーストを食べて、美味しい、と表情を緩めている。  二人で朝食を食べ終わった後、食器を片付けながら、他愛もない話をする。食器を片付け終わった後は、リビングのソファへと腰を下ろした。  ふと、会話が途切れる。気まずくはない、むしろ居心地の良い無言の時間。どちらからともなく体を寄せていく。  静かに指を絡めながら、互いに凭れかかるように距離を詰めた。 「…………」  視線は重ねない。ただ、絡めた指先をじゃれつかせ、時折緩めては強く握る。ふふ、と自然に笑みが漏れて、洋佑はそのまま佑の太腿の上に寝転ぶように体を倒した。 「?」  自然と離れた指が髪を撫でる。佑に髪を撫でられるのは心地良くて、洋佑はそのまま目を閉じて体を委ねる。 「……眠い?」 「んー……眠くはないよ。佑に頭を撫でられるのが気持ち良いだけ」  なら良かった。  そういって佑が再び髪を梳き始める。こんなことを言ってはなんだが、犬や猫が撫でて欲しさに人に甘える気持ちが今なら分かる気がする。 「そういえばさ。昨日──寝る前、ベッドがどうとか言ってなかったっけ」  思い出した。ごろごろと甘えたまま、何気なく問いかけると、髪を梳く手が止まる。 「うん。洋佑さんの部屋、ないから……作らなきゃ」 「俺、帰って寝るだけだからベッドさえあればいいぞ?」  部屋を作る──と言っても増築するわけではないだろう。今いるリビングとキッチン、いつもの寝室の他に二部屋。一つは佑に入らないで欲しい、と言われているから、入ったことはない。  もう一つが空き部屋で何もなかったから、そこを洋佑の部屋にする、ということだと思うのだが。 「趣味とかもないし……部屋を貰っても持て余すだけだから」  だめ、と髪を撫でる手はとめないまま、穏やかに首を左右に振った。 「例えば、どうしても家で仕事したい時とか。考えたくないけど、僕と喧嘩して今日は一緒に寝たくない、とか……そういう時は部屋がいるでしょ?」  それに── 「着替えとか。今は寝室に収納ケース置いているけど……全部持ってきたら、起き場所なくなっちゃうよ?」 「あー……そっか」  ごろごろと膝の上で甘えたまま思案に眼を伏せる。仕事に関してはリビングでしてもいいと思っていたのだが。喧嘩した時は喧嘩した時で何とでもなるだろうし。  ただ、服の置き場だけはどうしようもない。 「そういや、佑は服どうしてるんだ?」 「僕は自分の部屋に置いてる」  入るな、と言われている部屋だろう。ゆっくりと眼を開けると、自分の顔を覗き込んでいる佑と視線が重なった。 「寝室のクローゼットが空いてるから……どうしても個室要らないなら、そこに置いてもいいよ」 「じゃぁ……とりあえず、そこに置かせてもらってもいいかな。自分の部屋が欲しい、ってなったら、改めて考えるってことで」  よいしょ、と身体を起こす。佑も無理強いする気はないようで、わかった、と頷いた。 「早速、見に行ってもいいか?」 「うん」  二人で立ち上がって寝室へ。大きめサイズのベッドの他には洋佑の着替えや荷物をまとめた一角、簡易的なデスクとノートパソコンが置かれている。  今まであまり気にしたことがなかったが、パソコンを使って仕事をしている人間の私室というには不自然かも知れない。  ただ、洋佑の部屋は似たようなものだったから、あまり気にしていなかった──というのが本当のところだ。 「ここ」  佑の案内に従って寝室の奥のドアへ。がちゃりと開くと思わず 「ひっろ……」  声が出てしまった。二人並んでも十分に歩ける通路の脇に収納棚。  佑の言っていたとおり、スーツケースや普段あまり使わないであろう物が置かれているが、それ以外何もない。ベッドやソファを置く空間まではないが、ちょっとした椅子くらいなら余裕で持ち込めそうだ。 「俺、部屋ここでいい」 「えぇ?!」  佑がこんなに驚いた表情と声を出したのを見たのは初めてかもしれない。そんなにとんでもない事を言ったか、と首を傾げる洋佑を前に、あわあわと落ち着きをなくした佑が、しどろもどろに視線を彷徨わせる。 「だめだよ、窓もないし……こんなとこ、洋佑さんの部屋になんて出来ない」  自分ではいいアイデアだと思ったのだが。驚きすぎて混乱している今なら、言いくるめれば何とかなるかもしれない。が、あまりにも取り乱した佑の様子を見ていると、強く押し切ることはしたくない。 「ごめん。そんな驚くと思わなかった……いいと思ったんだけど」  落ち着こうと深呼吸を繰り返している佑へと腕を回して抱きしめる。ぎゅ、としがみつくようにして抱きしめ返されると、ごめん、ともう一度謝ってから顔を上げた。 「もう言わない」 「……うん」  落ち着きを取り戻した佑がまた抱きしめる腕に力を込めた。腕の中にある洋佑の存在を確かめるように、何度か深呼吸。 「洋佑さんは……僕にとって大事な人だから。洋佑さん自身でも、自分をもっと大事にして欲しい」  腕が緩められる。一瞬触れるだけのキスをした後、また抱きしめられた。  そんなに雑に扱ったつもりはなかったのだが。ただ、もし、逆の立場であったら。佑が押し入れの中が部屋でいい、みたいなことを言い出したとしたら、自分もびっくりして言葉をなくしたかも知れない。  とりあえず出よう、と促してベッドルームに戻ってきた。そのまま並んで腰を下ろすと、まだ少し落ち着かない様子の佑の背中をそっと撫でる。 「ごめんな?……よくよく考えたら、自分の部屋は押し入れでいい、なんて言われたらびっくりするよな」  うん、と素直な返事。ようやく感情が落ち着いたのか、佑の表情が緩んだのを見て、洋佑もほっと息を吐き出した。 「まぁ、ほら。とにかく、俺、部屋に関してあんまり執着ないって分かったろ?」 「分かった。……でも、欲しくなったら何時でも言ってね?……ちゃんと空けておくから」  ベッドに並んで座ったまま。なんとなく無言の時間が流れる。 「あ……じゃ、さ、一ついい?」  ふと、思いついた事。改めて佑へと視線を向けて問いかける。 「?」 「佑の部屋、見たいって言ったら怒る?」  入るな、と言われていた部屋。気にならなかった──と言えば嘘になる。もしかしたら、物凄い散らかりまくったりしているのなら、それはそれで意外な一面で面白いかも知れない。  なんて好奇心からの問いかけに、佑は、いいよ、と立ち上がった。 「見られて困るものはないから──ただ、何となく恥ずかしくて」  この機会に全部見せる。  深い意味はないのだろうが、洋佑の鼓動が一瞬早くなった。

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