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ぶどう狩り◆モブ視点◆ 3
「どうしよう……私もう胸いっぱいで食べれない……」
「先輩それ、取ったぶどうが酸っぱいからですよ」
わざわざ酸っぱいのを選んで取って、食べられずにカゴにしまっている周りの女性陣たちにも同情する。
「ツッコミありがと」
「どういたしまして。それは持って帰って砂糖漬けにするといいですよ」
「なにそれ、美味しくなるの?」
「缶詰のシロップ漬けみたいになるんです。酸味が和らぎますよ」
「へぇ! やってみる!」
そんな会話をしていると、視線を感じて目を向けた。
天音くんと目が合って、また飛び上がりそうになる。
可愛い可愛い天音くんが目をぱちぱちしながら「あの……」と近づいてきた。
もうすっかり推しになってしまった天音くん。私なんかになんの用が……?! どうしたのっ?!
「冬磨の会社の方……ですよね?」
「あ、はい、そう、です」
片言になってしまった私の返答に変な顔もせず、天音くんは「よかったぁ」と笑顔になった。
もうほんと……可愛すぎるんですが……っ?!
「あの、酸っぱいぶどうが砂糖漬けで美味しくなるって聞こえてきて」
「あ、はい、なりますなりますっ」
「あの、砂糖の量はどれくらいですか?」
「ああ、えっと、ひと房なら大さじ二、……三? くらいかな? 皮を取って砂糖をまぶして、冷蔵庫で一晩冷やすとできますよ」
「わっ、ありがとうございます! すごい酸っぱいぶどうがあって。どうしようかなって思ってたんです」
ごめんなさい、それは私が取ったぶどうです……!
「えっと……美味しく食べれるといいですね」
「はいっ、ありがとうございます!」
「あの、お詫びと言ってはなんですが……」
「え? お詫び?」
きょとんと見返されてクラっとしてしまう。無理無理無理……直視できない……!
「あ、その、今食べたぶどうがすごく甘かったんです。たぶんこの棚の辺り、美味しいと思いますよ」
「本当ですかっ?」
瞳をキラキラさせてぶら下がっているぶどうを吟味する天音くんは、まるで天使みたいだ。すごく真っ白で綺麗な、本当に天使って言葉がピッタリだ。
「わっ、本当だっ。すっごく甘い! ありがとうございますっ」
「いえいえいえ、とんでもない」
天音くんはニコニコと微笑みながら、そのぶどうをそっとカゴにしまった。
「これは口直しに取っておこう」
そうつぶやいて、今度は色合い的に、明らかに甘くなさそうなぶどうを探している様子。
もしかして……主任に仕返しを?!
そんな天音くんに先輩も気がついたようだ。
天音くんにそっと近寄った先輩は、少し離れたところにいる主任に聞こえないよう小声で話しかけた。
「もしかして、酸っぱいぶどう探してる?」
「え……っ」
びっくりした顔で振り返った天音くんに、先輩は手に持っているぶどうを天音くんへ差し出した。
「私が触っちゃったのでもよければだけど……これ、酸っぱいよ」
「えっと、もらっちゃってもいいんですか?」
「どうぞどうぞ。まだ二、三粒しか食べてないから」
「わぁ、ありがとうございますっ。試しに食べてみることもできないし、酸っぱいの探すの結構難しいなって困ってたんです」
天音くんは何度も頭を下げてお礼を言って、笑顔で主任の元へ戻って行った。
「くぅぅ……可愛いぃ……」
「うんうん……」
そして私たちは、天音くんを見守った。
仕返し、うまくいくかな。
「冬磨とぉま、これすっごく甘いよっ!」
「お、マジ?」
あ、こりゃダメだ……。私たちは目配せしてため息をつく。
きっと天音くんは嘘のつけない人だ。あれはいたずらをする子供と同じ目だ。くふふ、と笑い声が聞こえそうな顔で主任にぶどうを見せている。
天音くんがぶどうを一粒つまむ前に、主任が一粒手に取った。
ワクワクした顔で天音くんが主任を見上げる。
主任が自分の口に運ぼうとしたその瞬間、天音くんの瞳がキラキラと輝く。
あー! それじゃダメだよー! バレるー!
案の定、主任がふっと笑って、ぶどうの粒を天音くんの口に近づけた。
「えっ、何、冬磨が食べてよっ」
「天音も食べろよ。甘いんだろ?」
「お、俺はもう食べたからっ。冬磨も食べてっ」
「俺も食べるって。天音もいっぱい食べろよ、甘くて美味いやつ」
「いや、冬磨が……っ」
ちょうど開いた天音くんの口に「ほれ」とぶどうを入れる主任。
「んっ」
「どうだ? 甘いか?」
「ん……う、ん」
「お前、それかじってねぇな?」
「か、かじったよ?」
「ほんとか?」
ほれ食え、もっと食え、と主任が天音くんの口の中にポンポンとぶどうを入れていく。
「ま、待っへっ、とぉま、待っへ……っ、ん……うぁっ!! 酸っっぱぁーっ!!」
「ぶはっ!」
主任が派手に吹き出し、お腹を抱えて笑い出す。
あんなに楽しそうに笑う主任、初めて見た……。天音くんと一緒だと、あんなに表情豊かになれるんだ。
主任に恋人ができたと騒がれ始めてから、どんどん素敵になっていく主任を見て、それまでの笑顔には血が通っていなかったんだと気づいた。
主任は天音くんと付き合うようになって、まるで別人のように生き生きとした表情を見せるようになった。主任の瞳には幸せがあふれていて、以前よりずっと穏やかで優しい雰囲気になった。
酸っぱい思いをした天音くんには申し訳ないけれど、おかげでこんなに楽しそうな主任が見られて、嬉しくて目頭が熱くなる。
「み……水……っ、水……とぉま……っ」
「はいはい」
主任が笑いながらペットボトルの蓋を外して天音くんに手渡すと、天音くんはそれを受け取り、飲み干す勢いでがぶ飲みをした。
「ははっ、大丈夫か?」
「ぅぅ……ひどいよ……とぉま……」
「ほんとお前、嘘下手だよな?」
「もぉ……演技スイッチ入れればよかった……」
「それはダメだ」
ん? 演技スイッチってなんだろう?
天音くん、嘘は下手でも演技は得意?
「これ、そんな酸っぱいのか? どれ」
と、主任も天音くんと同じくらいの量のぶどうを口に頬張った。
「……おおおっ、酸っぱっ! さっきのよりキツいなっ。水、水」
「大丈夫? もうあんまり残ってないよ?」
「ん、いいよ、ちょうだい」
主任は残り少ないペットボトルの水を飲み干して「やっぱ二本買えばよかったな」と笑った。
二人は飲み物もシェアするんですねっ!!
「はー。酸っぱいぶどうはもう食いたくねぇな。でもこれ、ちゃんと持って帰んねぇとな」
「あ、大丈夫だよ! さっきね、砂糖漬けにするといいって教えてもらったんだ」
「砂糖漬け? へぇ~誰に?」
「えっと……あ、名前聞くの忘れた!」
キョロキョロと周りを見渡す天音くんに、私は思わず先輩の陰に隠れた。
私なんてモブですからっ。気にしないでくださいっ!
「冬磨の会社の人でね……――――」
一生懸命に説明する天音くんに、主任は「ま、帰る時にまた会えるだろ」と頭をポンとしてなだめた。
「次は梨食いてぇな」
「梨! 俺もぶどうの次は梨が好き!」
「じゃ、行くか」
「うんっ」
そして、また手を繋ごうとして「あ……ダメだった……」としゅんとする。
「もういいじゃん」
そう言って繋ごうとする主任の手を「ダメ」と天音くんは振り払う。でもその目はすごく繋ぎたそうだ。
「いいじゃん。な?」
「ダメ」
「なぁ、いいだろ?」
「ダメだよ」
「あーまね?」
「ダメだってば……」
な……ななななんですかアレは……っ!
主任が甘えモードなんですけど……っ!
やばい……っ、超萌える……っ!!
隣で先輩が悶え苦しんでいる。
周りの女性陣も、声も出せないほどの状態だった。
そうだよね、主任の甘えモードが見られるなんて想像もしてなかったよ。
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