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クリスマス 2

「え、残業?」  待ち合わせで顔を合わせるなり、冬磨が「明日からしばらく残業になる」と言った。 「うん、明日からな。悪いけど、しばらく一人で帰ってくれるか?」 「……うん、わかった」  たまの残業はあっても、何日も続く残業なんて初めてだ。  それに、前もってわかってる残業なんて珍しい。  冬磨……忙しいんだな。そっか、師走だもんね。 「天音、寂しい?」 「……うん……寂しい」  素直に口にすると、繋いだ冬磨の手にぎゅっと力がこもった。 「ほんと……」  冬磨は手で顔を覆って深く息をつき、ゆっくりと俺を見つめて静かに言った。 「なんでそんな可愛いんだよお前……」  冬磨にとって、俺はなんでも可愛いらしい。  残業は仕方ないことなのに、寂しいなんて……こんなのただのわがままなのに。冬磨は俺に甘すぎる。   「わがまま言ってごめんね。仕事、頑張ってね」    なんとか微笑み返すと、冬磨はぎゅうっと俺を抱きしめた。   「え、冬磨……っ、み、見られちゃうよ……っ」 「そんなん今さらだろ」  いやいやいや、手繋ぎは今さらでもハグはまだ誰にも見せたことないよ……っ。  ……あれ、ないよね? 「なるべく早く終わらせるから、ごめんな?」 「大丈夫。無理しないでね。ちょっとわがまま言いたくなっちゃっただけだから」 「まじで可愛い、天音」  冬磨のぎゅうぎゅうの方が可愛い。カッコイイ冬磨がやるから、すごく可愛い。  ここが地下鉄の駅だということは頭の隅にペイっと捨て、俺も冬磨に負けじとぎゅうぎゅう抱きついた。  夕飯を食べたあと、冬磨がどこからか大きな箱を出してきた。   「それ、なに?」 「なんだと思う?」  開けてみな? と言われて、わくわくしながら箱を開けた。 「わ! クリスマスツリーだ! すごい大きい!」  えー! すごい! わぁ、綺麗!  俺の背丈くらいあるツリー、カラフルな丸いオーナメント、てっぺんに付ける大きな星、次々と出して声を上げた。 「ふはっ。予想通り」 「え? なにが?」 「なんでもない。早く飾ろうぜ」  何が予想通りなのかわからないけど、冬磨が楽しそうに笑ってるからいっか。  クリスマスツリーの飾り付けは、冬磨と一緒だからすごくすごく楽しくて本当に幸せだった。           ◇     冬磨の残業が続いて時間ができた俺は、予定していた冬磨へのクリスマスプレゼントを作ることにした。  どこで作ろうかと悩んでいたから、こっそり作ることが出来てほっとした。  冬磨は仕事で忙しいのに……ごめんね、と心の中で謝った。  冬磨の残業は一週間たっても終わらなかった。  二週間目に突入して、俺はとうとうすることがなくなった。  冬磨と出会う前って毎日何やってたんだっけ……。全然思い出せないや……。  部屋の中はシーンとして、時計の針の音だけがやけに大きく聞こえる。  今日の夕飯は、ミートソースをかけたパスタと、レタスとツナのサラダ。ミートソースはレトルトだ。  俺でも失敗なく作れるものだと、これが限界だった。  先週は親子丼を作ったら、しょっぱくて食べられなくて、冬磨が野菜を足して味付けを調整して、美味しく食べられる料理に作り直してくれた。  疲れて帰ってきた冬磨に迷惑かけてちゃ意味がない。  もっと料理が作れるようになりたい。もっともっと頑張らなきゃ……!  長かった冬磨の残業期間がようやく終わり、とうとうやってきたクリスマスイブ。  窓の外に広がる街の灯りも、なんだか今日は特別に感じる。  仕事を終えて帰宅すると、冬磨はすぐにクリスマスのための料理を作り始めていた。  俺もスーツから普段着に着替え、その上にジャンパーを羽織りながら冬磨に声をかけた。 「予約したケーキ取りに行ってくるね」 「すぐそこのケーキ屋か? 帰りに取ってくればよかったな」 「あ、えっと、ちょっと遠くのケーキ屋なんだ。すごく美味しいって聞いたからそっちにした!」 「そうなのか? 寒いからマフラー忘れるなよ? あと、滑るから気をつけてな?」 「うん、ケーキが崩れないように気をつけるね」 「じゃなくて、お前が怪我しないように気をつけろっつってんの」  冬磨が優しい瞳で俺を見つめ、苦笑いする。  そっか、ケーキの心配じゃなかったんだ。  冬磨の優しさに触れるたび、すでに幸せでいっぱいの心が、さらにあふれるほど満たされていく。 「うん、気をつけて行ってくるね」 「ああ、行ってらっしゃい」    俺は予約したケーキを取りに行く振りをして、急いで敦司の家に駆け込んだ。 「美香ちゃん! 今日はよろしく!」 「よーし、やるよー!」  テーブルに並べたクリスマスケーキの材料を見て、一気に気分が高まった。  いよいよ初めてのケーキ作りだ!  とはいえ、スポンジはスーパーで買ったやつだ。仕事のあとではゼロから作る時間はない。  うん、妥協も大事だよね。  美香ちゃんに教わりながらイチゴを切り、生クリームを泡立てていく。  ハンドミキサーを握る手が慣れなくてぎこちない。  美香ちゃんに、「ミキサーを持ち上げるとクリームが飛んじゃうから気をつけて」と言われたそばからやらかしてしまった。 「うわっ、ご、ごめん敦司、飛び散っちゃった……!」 「ああ、いいから続けろ。冬磨が待ってるぞ」 「ごめんね、本当にごめんね……!」 「お前、顔にも付いてる」 「えっ、どこっ?」 「あとで鏡見ろ」  敦司がテーブルに飛び散ったクリームを拭き取り、美香ちゃんは笑いながら俺をサポートしてくれる。  もちろん、美香ちゃんも自分たち用のケーキを作成中だ。 『ケーキを作りたい』と悩んでいる俺の話を聞いた美香ちゃんが、今日のケーキ講座を提案してくれた。  イブを邪魔しちゃ悪いし、と何度も言ったけど、「一緒にパーティーの準備をするんだよ? もうそれ『楽しい』しかないよ!」と美香ちゃんは笑ってくれた。  敦司も美香ちゃんも、本当に大好き。ずっとずっと友達でいたい。 「あとはゴムベラだけでデコレーションするよ〜」 「え、なんかぎゅーって絞ったりとかは?」 「初めてのケーキだから簡単に! でも可愛くできるから安心してね」 「はいっ! 先生っ!」    美香ちゃんの作り方を真似ながら、スポンジにクリームを乗せて伸ばし、イチゴを並べていく。  初めてのケーキ作りに緊張していたけれど、少しずつ形になっていくのが新鮮で、気づけば作業が楽しくなっていた。 「うん、上手じょうず!」 「ほんと? 大丈夫?」 「大丈夫!」    またクリームを乗せてスポンジを重ね……だんだんケーキらしくなってきた!   「あっ、クリーム垂れた……っ」 「大丈夫。私なんてわざと垂らしたよ。この方が可愛いでしょ?」 「ほんとだ、可愛い!」  仕上げにたっぷりのイチゴを真ん中に乗せて、砂糖菓子のサンタクロースともみの木を飾った。 「で……できたー!」  横から見ると、スポンジの間からクリームとイチゴの断面が見える。一番上のクリームは良い感じに自然に垂れていて、中央のイチゴがゴロゴロしていてすごく可愛い!   「天音くん、すごく美味しそう! 完璧! やったね!」 「美香ちゃん、ありがとう! 敦司もありがとう!」 「俺は見てただけだぞ?」 「そうそう、敦司は見てただけだよね〜」  美香ちゃんが少し悪戯っぽく目を細めて敦司を見る。 「おい、見てるだけでいいって言ったのは美香だろっ?」 「えー? そうだっけ?」 「おいっ?」  二人の言い合いなんて珍しい、と目を瞬く。  ムキになる敦司、子供みたい。二人のときはこんな感じなのかぁ。  二人の軽口に笑みがこぼれる。  なんだかんだで仲のいい二人のやりとりに、俺はホッとした気持ちになった。  出来上がったケーキは、美香ちゃんが用意してくれた真っ白な箱にそっと収める。  入れるとき、崩れないか心配で緊張して手が震えた。  箱のふたを閉める前に、ケーキがきれいに収まっていることを確認して、ようやく胸を撫で下ろした。  帰る準備を整えて玄関で靴を履きながら、改めて二人にお礼を伝える。 「美香ちゃん、敦司、今日は本当にありがとね」 「こちらこそだよ〜。すごく楽しかったね! またお菓子作りしようね、天音くん」 「うんっ」 「上手に出来てよかったな」 「もう本当に、美香ちゃんのおかげだよ」  時計を確認すると、だいたい予定通りの時間。でも、のんびりしている余裕はない。ケーキを持って急がなきゃならない。  気を引き締めるために、両手でケーキをしっかり抱え直し、深呼吸をする。 「急げ。もうすぐ料理もできる頃だろ」 「うん、急がなきゃっ」 「あ、でもケーキが崩れないように気をつけてね!」 「う、うん、頑張る……!」  ケーキで両手がふさがり手が振れない俺は、代わりに声だけで「ばいばーい!」と叫び、アパートをあとにした。 「寒っ」  外の冷たい空気を吸い込み、思わず身震いする。  昼間に少し溶けた雪が凍って、道路がまるでスケートリンクの様になっていた。  向かいのマンションまではすぐなのに、足元が滑って胸が冷やりとした。  崩れませんように……と祈りながら慎重に進む。  マンションを見上げると、冬磨が待つ家の灯りが見えて、それだけで幸せな気持ちになった。 「喜んでくれるといいな……」  ケーキの箱を胸に抱え、急ぎ足で進みながら自然と顔がほころんだ。  

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